とあるボルダーその20その1

2008年 8月22日記

 暑さの続く今日この頃、最近は全然外岩に行っていないので、避暑も兼ねて、どこか涼しいところでもと言うことで、何日かの休みをもらい、7月末から8月始めにかけての木曜日から水曜日に、相棒と二人で、小川山から瑞牆に行くことにした。すると、相棒が、折角だから娘の4歳になる息子も連れて行こうといいだしたので、結局子連れでということになった。

 木曜日の朝、7時前に出発し、4歳の息子を迎えに行ったのだが、その娘宅で突然の用事が発生してしまい、出発は午後の4時前になってしまった。

 娘宅は横浜だったので、どうせ遅くなってしまったからと、国道1号から16号を通って、相模湖から中央道に乗ることにした。

 相変わらず調子の悪いカーナビをなんとかなだめながら、下の道を走ったのだが、八王子から相模湖への国道が思いの外混んでしまって、中央道に乗ったのは既に暗くなっていた。

 談合坂サービスエリアに寄り、アイスを食べた。人込みの中も何だったので、外のベンチでアイスを食べた。ところが、ちょうど食べ終わったころ、雨が降り出したので、あわてて自動車に戻った。

 帰りにガソリンスタンドを探すのも大変だと、行きにガソリンを補給することにして、勝沼で高速を降りた。雨はほとんど上がっていた。

 いつもいれている銘柄のガソリンスタンドを探しながら走ったので、ガソリンスタンドが出てくるたびにそのガソリンスタンドをうかがっていたのだが、セルフや値段の安いスタンドは自動車が列を作っているのだが、それ以外のスタンドはほとんど自動車がいなかった。確か、8月からガソリンが値上げされるとのニュースが流れていたので、そのせいで安いところに殺到していたのだろうか。

 ちょうど、道路の左側にいつもの銘柄のセルフのスタンドが現れたので、ガソリンをいれることにした。普段は帰りに給油するので、下り車線のスタンドに入るのは、多分初めてだ。ここも、何台か自動車が並んでいた。

 走りだすと、また雨が降り出したが、強くはならず、その後も降ったり止んだりを繰り返していた。

 川上村のいつものスーパーで買い物をするつもりだったので、今回はまだ買い出しをしていなかった。しかし、既に普通のスーパーは営業を終わっている時間だ。以前、こちらに移り住んだ仲間を訪ねた時に何度か寄った24時間営業のスーパーがあった事を思い出し、そのスーパーに寄ることにした。

 そのスーパーは韮崎の町の中にあるので、国道20号から韮崎の町に入って行ったのだが、町に入ったすぐの交差点で道を間違えてしまった。でも、それほどのロスもなくスーパーに辿り着いた。

 以前、仲間と行ったツアーで、仲間がスパゲッティにビン詰めのソースを使っていたことを思い出し、探して見たら、マヨネーズの容器の様なパックのスパゲッティソースを見つけたので、スパゲッティとそのソースを買うことにした。最初は相棒が怪訝な顔をしていたが、強引に買い物カゴに押し込んでしまった。

 4歳の息子がカードがおまけに付いているソーセージを見つけ、それを欲しいというので、それも買った。その他、パンや野菜、果物などを買い込んだ。

 小川山に向け出発したのだが、良く考えると、小川山のテントサイトは、夜中にテントを張るのに良さそうな場所を探すには少しきついところがある。明るいうちに着く予定で、小川山から瑞牆と考えていたのだが、この時間では瑞牆の方がややこしくないのではないか、また、例え管理棟の脇のキャンプサイトが分からなくとも、ビバークのつもりならば、それなりのサイトもいくらかは分かるし、ということで、急遽瑞牆泊に切り替えることにした。

 10時過ぎにいつもの駐車場に自動車を停め、小生のみで、管理棟の回りのキャンプサイトの偵察に出掛けて見た。

 管理棟の裏の右奥の方に明かりが見えたので、行って見ると、運動会用のテントに照明を点け、何人かのどうやらボーイスカウトの様な人達が談笑していた。挨拶をし、テントはどの辺に張ったら良いのかを聞いて見たら、管理棟の回りはどこでも良いようだということと、ここはボーイスカウトの団体がいるが、道路の向こう側には多分誰もいないだろうと教えてくれた。

 道路の向こう側は駐車場だしと、少し疑問を持ちながら、もう一つ見えた明かりのほうに歩いてゆくと、舗装された道路が出てきた。その道路の反対側には管理棟があった。そんな所にもう一本道路があったようだ。道路を渡り、明かりに向かって草原を歩いてゆくと、バーベキュウ用のカマドのある建物だった。その先のバイオトイレらしい所には蛍光灯も点いていた。しかし、先の人が言ったように、こちら側には、テントの様な影は見えないようだった。

 自動車に戻り、テントをもって、バイオトイレの近くのちょっとした木の脇迄行き、そこにテントを立てることにした。真っ暗だし時間も遅かったので、テントと寝袋と、既に寝ていた4歳の息子だけを運び、早々に就寝した。

 翌朝、朝食の用意のため、駐車場に行った。殆どの荷物は自動車に置きっ放しだったため、朝食は自動車の脇ですることにしたのだ。

 駐車場には、自動車が7〜8台停まっていた。そのうちの1台に人がいたので近付いて、挨拶をした。どっかでお会いしたような感じの人だったので、クライマーかと尋ねてみた。すると、そうだという。それで思い出した。2年ほど前、ここであるイベントがあり、その時にご一緒させていただいた方だった。というか、その時のグループのお仲間だった。そのことをお話すると思い出していただけたようだった。

 その方と少しお話をしていると、その時のお仲間の一人が現れた。こちらの方とは、ひょんなことから、ご実家が小生の母の生家の隣町だというこが分かり、そんなことをお話させていただいていたので、お互いにすぐに分かった。続いて、その方の奥様も現れた。

 その方に、テント代についてお伺いすると、やはり、一張り、一般が2千円のところクライマーは千円ということだった。これは、以前から聞いていたことだが、一人なのか一張りなのかがはっきりしなかったので聞いて見たのだ。その時、長期割り引きの話が出て、我々の反対側に張られていたテントを指し、そのテントは2カ月張りっぱなしにしているテントであり、2カ月分のテント代を既に払っているのだといい、そのため、外国ではポピュラーな長期滞在割り引きの交渉がし憎くなってしまったと言っていた。1泊千円としても、60泊となれば相当な金額になる。こういうお金持ちがいると?、ということだった。

 相棒と、4歳の息子が駐車場に現れたので、二人を呼び寄せ、一応紹介をした。すると、孫かと聞くから、そうだと答えたら、その方が、そういえば、自分にこれ位の孫がいてもおかしくはないかと言っていた。お互い、そういう齢と言うことだった。

 最初にお話をした方が、折角コーヒーを入れていてくださったのだが、相棒が自動車の脇で食事の用意を始めたので、そちらに戻って行った。

 娘が昨日持たせて呉れたある有名な店の焼きそばやパンなどで朝食を採っていたら、最初にお話をした方が、小川山に転身されて行った。確か、月曜日にはまたこちらに戻られるといっていた様な。我々の前を通られたので挨拶をした。

 管理棟が開いたので、キャンプ代を払いに行った。申し込み書を呉れたので、住所や名前、期間や目的などを書いて出すと、プロパーかと聞かれた。プロパーとはと聞き返すと、一般の人かと聞くから、岩登りに来たと言った。

 というのも、瑞牆クライマー連絡会の仲間達が努力して下さって、クライマーはテントが一張り一泊二千円のところ千円に割り引いて呉れることになっているのだ。

 申込書には、目的をちゃんとボルダリングと書いてあるのに、クライミングと書かなければならなかったようだ。土曜日までと言うことで、三千円を支払った。そして、瑞牆クライマー連絡会の話などを少しだけさせてもらった。

 テントに戻り、支度をして、まず、皆で「みんなの岩」に行った。最近、過去の自身の紀行文を読んでいて、それがどこだか分からなかった写真の場所がどうやらそこらしいという事がわかったので、まずはそれを確認するためであった。

 「みんなの岩」自身は既に場所は分かっていたのだが、その近くにあるらしい岩がよく分からなかったのだ。というか、「みんなの岩」は一つだけで、回りにはボルダーは無いものと思い込んでいたのだ。「みんなの岩」の近くにあった岩を持参したポケットコンピュータに格納された写真と照合すると、間違いなく写真の岩だった。

 蚊がいた。折角野外用の大きな蚊取り線香を持参していたのに、それを持ってこなかった。取りに帰るのも大変だし、主目的が石の確認ということだったので、そのまま荷物を置いた。

 まずはどこか登ろうかと、「みんなの岩」の左端のカンテの右側を触って見た。リップが少しえぐれたというか、マントルせよ的な形状をしていたので、そこをマントルしようとの魂胆であった。しかし、離陸がなかなか出来ず、結局カンテ側に逃げ、カンテ登りで、そのリップの左を登ることになってしまった。

 やっぱり、そのリップが登りたかったので、次は、少し右から離陸し、地ジャン気味に出て、リップに飛びついた。すると、リップが取れたので、そのまま少し右にスタンスを求め、そのままマントルした。

 4歳の息子が隣の苔だらけの岩の上に登ったので、そっちに行ってその岩の正面の易しそうな所を登ってみた。苔だらけだったが、傾斜もなく難しくはなかったので上に抜け、息子に合流した。

 自動車に戻り、蚊取り線香をもって、皇帝岩に行った。

 6級だったかの、離陸の難しい、裏の右端辺りの凹角気味のところを登る課題をやって見た。この課題、大分以前から凹角限定でやっているのだが、未だにできないでいる課題だ。そもそも、離陸ができないのだ。

 先ず、右側のちょこっとしたダイク状というかカンテ状の所に右手、左側の下の方のちょっとした丸っこい出っ張りに左足で、なんとか離陸ができないかと、一生懸命やってみた。そこを登った人は確か、右手を返して、オポジションで岩の中に入り立ち上がっていた様な記憶がある。しかしそのムーブが全くできない。できる気配が見いだせない。仕方がないから、凹角の右から凹角の右のカンテの縦ホールドを左手で、地ジャン気味に離陸し、カンテの上の方のガバホールドを取ってしまった。

 その左隣の、上の方の斜めの小さなフレークのリップを取りに行く感じのところをやってみた。右手は、少し長めの斜めの1cm位の平らなバンド状の面をもったカチホールドだ。右足のスタートである。

 立ち上がって左手を出したら、届いた。届くんだ。そのホールド、下から見ると結構遠いのである。届いたことに感激し、満足して降りてしまった。

 その面の左側には下半分が大きく被った所のそのリップの上に、左右のホールドにちょうどよいポケットが2つあり、その少し上に直径が30cm位の大きなポケットがあるところがある。そこは登ったのか登れなかったのかの記憶はない。登ったような気もするが。

 両手ポケットで、ハングの中の、多分SDで使うのだろう小さなフレーク状のホールドに右足をかけ、離陸し、体を捻りながら勢いをつけて右手を出したら、そのポケットが取れた。その手で、スタートの右のポケットに足を上げようとしたのだが、左足が突っ張れず、足が上がらなかった。中途半端な状態で足をもがいていたら、右手が外れ出した。仕方がないから飛び降りた。

 同じところをまたやって見た。今度は大穴に両手をマッチして見た。体が壁にくっついてしまうので、足が上がらなかった。そんなことを何回か繰り返したのだが、疲れるばかりなので、あきらめた。

 しばらく休んだ後、先程一度で諦めたその右端の遠いホールドを取りに行く課題をまたやって見た。今度は届かなかった。

 足を探し直し、少し右の完全にスメアで乗るアバタみたいな所で、気合を入れ直してやって見た。遠い次のホールドがしっかりと取れた。左足を壁の適当な場所に押し当てて、右足をスタートホールドに上げようとして見たが、左足が突っ張れず、なかなかうまくは行かなかった。

 次には、左手に右手もマッチして見た。しかし、そのホールドのホールド面の傾斜がきつく立っていたので、左手は一番上の少し寝たところをもてるのだが、右手は垂直に近い角度になってしまうので、なかなか力が入らず、足もなかなか決まってくれなかった。もがいているうちにまたまた力が尽きて落ちた。

 その左上のホールドのちょっと左に、下から辛うじて届く水平のカチホールドがある。使えるかもと探って見たが、ホールド面が少し外傾しているし、角も少し丸いから、小生にはそんなに持てるホールドではなかった。

 結局、両手マッチを何回か繰り返して見たが、成功はしなかった。

 既に昼を回っている。初段の課題も離陸ができない。移動することにした。

 今までに何回か取り付いている、スタートホールドのカチが持てるかどうかでその時の調子が計れる、千里眼の岩の右の課題に行くことにした。

 舗装された上の林道に出、駐車場に戻り、会場エリアに登って行った。

 実は、この会場エリアの遊歩道の概要がいまだに把握できていない。千里眼のエリアが何番目の谷だったかも未だにすぐに忘れてしまう有り様である。

 先ずは、一番広い遊歩道を真っすぐ登って行った。すると、同じ広さの遊歩道との十字路にでたので、そこを左に入った。

 少し傾斜が増し、再びT字路にぶつかった。そのT字路の上には東屋があった。そうか、この道はここに出るのか。そのT字路を左折し、ほぼ水平の遊歩道を進んで行った。

 遊歩道の右の上には大きな岩が見えてきた。大黒岩だ。会場エリアからすぐの谷だから、3の谷だったのか。この先に2の谷があるのか。そう思いながら、大黒岩の前にいった。

 まず、大黒岩の上の方のカンテに3級の課題のある岩の前に行ってみた。この課題も未だ登れていないのだ。

 傾斜は僅かに被っている。その面の右のカンテと左上のカチで離陸し、左足を僅かなスタンスに上げて左上のカチを取りに行く。そんなムーブだったと思う。

 離陸し、左足を上げて、その足に乗り込んだのだが、その上のホールドは取れなかった。思っていたよりも悪いホールドだった。

 2回か3回位やったか。その位で諦めた。

 4歳の息子が岩を登りたいというので、その上の以前のイベントで子供達を登らせた事のある岩に連れて行った。この岩は、そんなに大きくはない、膝くらいの高さのリップがしゃくれている岩で、大人であればそのリップに立つと上のリップが取れてしまう岩だ。しかし、リーチのない子供にはそのリップが届かないので、真ん中に斜め上に走るフレークの縁を使わなければ登れない岩だ。

 まず、右の方からしゃくれたリップの上に乗り、左にトラバースしてフレークの縁に乗り込んで行く所までは行けたのだが、そこからフレークの縁に乗り込む所が少し足が高くなるので、できなかった。

 下でスポットというか、サポートしていたので、落ちることはないだろうし、たとえ落ちても丸抱えで受け止めても大丈夫な体重だから、思い切ってやらせて見たのだが、やはり4歳の息子には無理の様だった。

 ここに来た本来の目的は、千里眼の右のランジの課題をやることだったので、千里眼の岩に移動した。

 この課題は既に何回くらい挑戦したのだろうか。多分、このとあるエリアで小生が一番数多く挑戦した課題ではないかと思う。ここに一人で来た時は恐らく必ずといって良いほど寄っている。と思う。多分。

 ホールドを確認し、スタンスを確認する。ホールドってこんなに良かったっけ。先ずそう思った。続いてスタンス、えっ、どこだっけ。この少し左のこの良さそうなスタンスだったっけ。

 一先ずそのスタンスで離陸を試みた。離陸できない。ホールド、やっぱり悪かったんだ。やっと昔のホールドの感覚が蘇ってきた。

 この課題、離陸だけで結構疲れる。少し休む。

 昔のホールドの感触を思い出しながら、指のかけ方を探る。やっと昔の感覚を思い出し、足もなんとなく思い出して、離陸を試みる。その結果、何とか離陸はできた。しかし、とっても跳ぶところまでは行かなかった。

 この季節だし、離陸ができれば、まぁ衰えてはいないかも。そう考えることにし、その試技も終了とした。

 時間は多分3時を回ったころだと思う。そろそろ帰ることにした。

 会場エリアを我々だけでゆっくりと歩くという経験は今までほとんど無かった事だ。一人で来たときでも、会場内の遊歩道を散策すると言うことは、多分無かったと思う。ということで、今回はエリアの確認を兼ねて、東屋の分岐から直接芝生広場には下らず、そのまま先に歩いて行った。

 途中、遊歩道脇の白い花にアゲハチョウが沢山止まっていたり、その近くをヒラヒラと舞っていた。マダラ何とかという、珍しい蝶らしい。以前その名前を教わったのだが。

 なんだか見たことのある岩が現れた。最近は瑞牆レイバックと言われている岩も見えた。

 えっ、ここが3の谷? ということは、さっきのところは2の谷? ということのようだ。どうも未だに2の谷と3の谷の区別が付いていないのだ。芝生広場の上は4の谷、芝生広場から左斜め上に遊歩道を登って行き、東屋の先に現れるのが3の谷だとばっかり思っていた。芝生広場の真上が3の谷、右の谷が4の谷、3の谷とばっかり思っていた谷は2の谷だったのだ。大黒岩は2の谷だったのだ。

 その3の谷に入り、美しき日の岩を見に行った。すると、その奥の岩の、ほぼ垂直の壁が見えた。なんとなく格好よく見えたので、そこの課題を登って見た。確かグレードは5級か6級だ。難しくはない。適当にホールドはあるし、リップの上にはしっかりしたホールドもある。僅かに被っているように見える岩だから、少し力は要るが、なんとか登ることはできた。

 4歳の息子が、その向かいの、昔小生が一生懸命磨いた岩の上に登ったので、そこの一見易しそうに見える、その実意外に難しいところを登って見た。やっぱり難しかった。仕方がないから、その真ん中は諦め、左によった、少し易しいところを登った。

 この岩、昔、仲間と戯れに岩を磨き、登って見たところ、 意外と悪く、登れなかった所だ。それが、その後その岩を訪れると、チョークがいっぱい着いていて感激をしたことのある岩なのだ。今回もやはり、結構チョークが残っていたので、やはり最近でも遊んでくれているようだ。

 その岩の裏に回ると、下が少し切れていて、見た目結構格好の良いところがあった。腰の辺りのリップを取り、ほぼ同じ高さのスタンスで体を真横にし離陸したところを相棒に写真を撮ってもらったのだが、それが以外と格好よく写っていたので、満足してしまった。

 既に5時近かったので、遊歩道に戻り、そのまま水平に走る遊歩道を進むと、大きな谷沿いに真っすぐ登る細目の遊歩道に出た。その遊歩道を上に進むと、谷沿いの水道管のメンテ用の踏み跡に入る。そこを少し進むと、1級の課題が現れた。

 その踏み跡を戻ると、右の奥に、通称アップ岩と言われている岩があった。そうか、この岩はここだったのだ。やっと、なんとなく会場エリアの全体の配置図的なものが頭に浮かんできた。

 その真っすぐに登る遊歩道を下りながら、以前から探している、未だに見つからない、時間切れで登れなかった6級だかの課題のある沢を跨いだ岩を探したが、やっぱり見当たらなかった。

 夕食を済ませ、暗くなってきたので、相棒の携帯の充電を兼ね、電波の入る場所を求め、彷徨うことにした。娘の家の事が少し心配だったからだ。

 最初は、信州峠に行けば入るだろうと考えていたのだが、実際は、黒森の集落まで行くと電波が入ってきた。

 実は、普通の携帯であれば、アンテナを立てれば、ここの駐車場でも電波が通じるらしいと、朝ここでお会いした方が言っていたのだが、相棒の携帯ではやはり、小川山と同じく、入らないのだ。

 4歳の息子は、出発早々寝てしまったので、相棒のみ娘と電話していた。

 序でに、小生のパソコンのPHSも試して見たのだが、PHSの回線は繋がらなかった。

 翌日に続く


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作成年月日 平成20年 8月23日
作 成 者 本庄 章