「蝸牛」つまり、カタツムリのことだった。
柳田国男氏の「蝸牛考」には、東京の西多摩郡氷川(現在奥多摩町)地方ではカタツムリのことをマイモズというとある。以下にその部分を引用して見よう。
蝸牛を右(引用者注:メェメェコンジョ、メェメェクンジョ)に近い語で呼ぶ例は、東京の近くにもまた偶然に一処あった。(一部省略)入間郡の一部にメェメェズ、北多摩郡大和村でもメェメェズ、西多摩郡氷川ではマイモズ、それが甲府の周囲に行くとメンメンジョウとなり、その中間には前に挙げた北都留郡のモモウズを生じ、(以下省略)しかし、「マイモーズ」は、果たして「マイモズ」なのだろうか?
マイモーズの目的の一つ、「マイモーズの意味を探る」だが、遂にその目的を達成した!! かも?
以前から、「まいもーず」は「まいまいず」の訛ったものとの疑いを持っていたのだが、最近、あるブログ上に『マイモーズとは奥多摩語で「かたつむり」のことらしいです。』との文言を発見した。やっぱり「マイモーズ」は「マイマイズ」だったのか。
ところで、マイマイズとは? それは、カタツムリのことだ。
かたつむり? なんで? なんで、カタツムリの悪場なんだ? 分からない。
ということは、やっぱりガセか? 因みに、越沢にもマイモーズという滝があるらしいが。
最近、一部でわが「マイモーズ」は崩壊したとの風評が存在している。しかし、それは誠に持って悪辣なデマゴギーであることをここに強く指摘しておこう。
わが「マイモーズ」は不滅である。その証として、わがマイモーズの精鋭3名は、去る平成17年2月、折しも襲来した寒波を粉砕しつつ、3日間に渡る雪中東北ツアーを敢行したことをここに報告しておこう。
平成16年正月早々、我がマイモーズのホームページのアクセスカウンターが誤動作を起こしてしまった模様である。あまりにも多くのアクセスが一時期に集中したためなのか? であれば、嬉しい限りである。
平成15年3月吉日、飛び抜けて他に秀でた我がマイモーズボルダリング研究所の研究員の1人が、遂にインターネット上にスローパーホールドの究極の攻略法を解説するホームページを見つけ出した模様との第一報が入ったので、広く、此処に全国のボルダリング愛好者に謹んで報告し、貴君自身による検証を期待するものである。まずは、ここを御覧あれ。
平成14年10月吉日、我がマイモーズにまたまたまた大量の大型新人の参加が許された。またまたまた我がマイモーズの平均年齢は低下を続けた。かな? 少なくもまたまたまた有段者が増えたことだけは報告しよう。
我がマイモーズは、平成14年2月上旬から同3月下旬にかけて、相次いで米州及び欧州に総勢延べ約6名のボルダラーを派遣したことをここに報告する。
我がマイモーズは、平成13年12月31日から平成14年1月1日の間、たっぷりと雪の残る極寒の地、小川山廻り目平に於いて、再びボルダリング合宿を完遂したことをここに報告する。
平成13年12月吉日、我がマイモーズはまたまた有段者を獲得した。これで、マイモーズのほぼ全員が有段者となった。約一名を残して。但し、彼の約一名の名誉のために付記しよう。彼はインドアでは既に有段者だ。多分。
平成13年9月吉日、二千一年ビーセッション第二戦に構成員三名を送り込み、遂にメジャーデビューを果たすこととなった。そして、肝心の結果だが、それは聞かないでほしい。決勝進出11名中にそれなりの人数を送り込んだとだけお答えしよう。これはこれで成果ではあるのだが。
平成13年8月吉日、我がマイモーズにまたまた大型新人の参加が許された。またまた我がマイモーズの平均年齢は低下を続けた。そして、またまた大型化を果たすこととなったことを報告しよう。
平成13年5月吉日、我がマイモーズは遂にコンペデビュー、しかも複数でいきなりの決勝進出を果たしたことを報告する。
宮城県川崎町国営みちのく杜の湖畔公園時の広場で行われた夢プラン第4回ボルダーコンペ2001にデビューを果たした我がマイモーズ3名の内2名は、関東からの遠征にもかかわらず、並み居る強豪をなぎ倒し、決勝進出者6名の中に潜り込んだ。
で肝心の結果だが、優勝を逃してしまったことは返す返すも残念であった事だけを報告する。
平成13年5月吉日、我がマイモーズにまたまた本当の若人の新人が参加を許された。これでまた一層、マイモーズの平均年齢が低下してしまった。嬉しいことなのだろうか。
平成13年3月吉日、我がマイモーズに久々の大型新人が参加を許された。これでまた一歩、マイモーズの意味の解決に近づいたか。
我がマイモーズは、平成13年2月17日18日の両日に渡り、愛知県は豊田市の某クライミングジムを拠点に、同市王滝渓谷近辺のボルダリングエリアを次々と席捲したことをここに報告する。また、近日中の再度の席捲をもここに宣言しておこう。
我がマイモーズは、平成12年12月31日から平成13年1月1日の間、粉雪の降り頻る小川山廻り目平に於いて、果敢にもボルダリング合宿を完遂したことをここに報告する。
一部にそのような噂が流布されているようであるが、決してそんな事はない。ごく一部の構成員がそうなだけである。大半は若くてピチピチである。と、言いたいところだが、現在のボルダリングシーンを冷静に眺めると、若くてピチピチとはちと言い過ぎか。何れにしても、決して中年集団でない事だけは明言して置こう。
現在我がボルダリングチームザマイモーズは崩壊の危機に瀕していると言われている。というのも、現会長が再起不能の状態に陥っているとの噂が流されているからだ。だが、我がボルダリングチームザマイモーズはそう簡単には崩壊はしない。何しろ会長は他にも沢山居るからだ。既に3人の会長を排出し、現会長は何と4人目なのだから。来月はまた新たな会長の選出が予定されているのだから。
我々は西暦2000年末から西暦2001年頭初にかけて、小川山廻り目平に於いて冬季合宿の敢行を予定している。尚我々は、この合宿に向け、既に12月9〜10日には同廻り目平に於いてプレ合宿を敢行した事を併せて報告する。