キャンプの時などに行われている焚火について、以前から小生の持っていた疑問が最近何となく分かりかけてきたので、その辺のことを書いて見る。何しろ、最近は殆ど外にも行かず、指の痛みを理由にジムもご無沙汰なので、こんなことでも書いて見るかというところである。
普通、野外で焚火をする時、殆どの人達は石で竈(カマド)様の物を作る。竈は作らないにしても、木を組み、大きい焚火をする。しかし、小生が教わってきた焚火は石組みの竈は使わない。また、そんなに大きな焚火では始めない。最初は極小さな焚火から始める。そして、必要に応じてその焚火を大きくしてゆく。その必要がなければ、最初に起こした焚火の規模を維持する。
なぜ、小生のような焚火のやり方をする人達が殆どいないのか、いや、小生が教わった人達の仲間以外でその方法で火を起こした人を見たことがないのか。唯一ボルダリングの仲間にその方法の焚火をやる人を知っているだけなのか。ということを疑問に思っていた。
我々が野外で焚火をする時、何のために焚火をするかと言うと、殆どの人達は焚火のための焚火である。所謂キャンプファイヤーだ。だから最初から大きな焚火をする。と言うことなのかもしれない。とすれば、何となく分かる。しかし、飯盒で炊事をする場面でも、或いは、バーベキューパーティーでも殆どの人達は竈を作る。かえって、この炊事用の焚火では竈が必至という感じである。そこが分からなかったのだ。
小生の焚火の目的は炊事用ということで、その方法を教わった。実際、沢の中での炊事は殆どが焚火だった。冬山でも森林限界内では焚火で炊事することも多かった。そして、そのときの焚火は決まって我々風の小さな焚火だった。
一体、焚火で炊事をするには、大きな焚火では炊事はできない。大きな火で炊事をするにはそれなりの道具が要る。その道具がないときには、石などを使って竈を作る。そして、その竈の中で小さな焚火をする。と言う発想が一般的かもしれない。しかし、我々の方法では竈は作らず、薪の上に直接鍋や釜を置く。その為に竈を使わずに小さな焚火を起こす。ただそれだけの違いかと思っていたのだが、最近、ある雑誌の知床でカヌーガイドをしておられる方の記事を読んで何となくその疑問が氷解し始めた。
その人が言うには、縄文時代の日本人(こんな言い方があるかどうかは知らないが)は竈は使わなかったというのだ。その理由として、日本は湿度が高い。従って、石の竈では熱が石に奪われ、湿った薪で火を起こすのは難しいので、石は使わず、薪を平行に束ねて熱を囲い込むのだ、ということらしい。その方法は将に我々の火越しの方法である。風邪が通る方向に平行に薪を束ね、種火をその薪で囲い込むと言う方法である。薪は平行で風の通る方法だから、風は通る。無理に風を送ることもやらなくとも良い。
それに反して、石を置きその中で火を燃やす竈方式は、乾燥地帯での焚火の方法らしい。雨の多い亜熱帯モンスーン地帯から照葉樹林帯地域で、石そのものが熱を奪う竈方式では濡れた木は燃えにくいので、竈は使わないらしいのだ。このことは、亜熱帯モンスーン地帯(照葉樹林文化圏)とその西の地中海文化圏との境で焚火の方法も竈を使うか使わないかが変わるらしいのだ。
やっぱり、日本での焚火には竈は似合わなかったのだ。やはり、沢の中で、濡れた木片で火を起こすには竈では駄目だったのだ。やはり、縄文時代から連綿と続く由緒正しい焚火の方法は小生の教わった方法に近かったのだ。
ということで、焚火が起こるまでに時間がかかるだとか、焚火が小さすぎるだとか、色々と悪口を言われてきたが、これからは小生の方法を堂々とやることにしよう。