やっぱりボルダリングのやりすぎは身体を壊す

2001年9月9日記
 当たり前のことだが、やっぱりボルダリングのやりすぎは身体を壊すという話である。

 金曜日を一日休んだ後、土、日、月と外の岩を登り、火曜日はジムに行った。そして、水曜を休んで木曜にまたジムでボルダリングをやたら、やっぱり身体が壊れた。

 具体的には、二の腕の筋肉の付け根の腱のところが痛むのである。使いすぎによる腱の炎症というところだろうか。

 その後も、普段のサイクルに戻っても、痛みは引かないばかりか、だんだん痛みが増す感さえあるのだ。

 そして、その後の二回目の日曜日、朝、赤信号を少し急いで渡ろうと一歩踏み出したとき、脹脛に痛みが走ったのである。多分軽い肉離れであろう。これはこれで、2日程で痛みも軽減したので、火曜日に軽くボルダリングを行った。脹脛さえ使わなければ痛みは無い。そして、数日で痛みも殆ど無くなった。

 木曜日の日、痛みはほとんど無い。ある課題で、リーチが少し足らず、少しジャンプしたとたん、痛めた足の脹脛でプチンという音がした様な気がして、激痛が走った。またやってしまったのだ。今度は足がつった時のような痛みである。痛みも強い。

 そして、次の日曜日、相変わらず痛い。そんな状態である。

 やっぱり疲れていたからなのだろうか。自慢ではないが、今までクライミングで身体を壊したことは無かったのだから。

 土、日、月、火、木と、4日続けた後一日おいてまたやってしまった。7日のうち5日もボルダリングをやってしまった。その後も、完全に回復させること無く週3回のペースを続けてしまった。どう考えてもやりすぎである。

 確かに同じジムの若い人の中には週6日を登っている人もいる。そういう人もいる。

 若ければそれも許されるかもしれない。しかし、小生はすでに若くは無い。若くは無いどころではないとの声もあるかもしれない。

 小生、若い頃、あるスポーツのある試合の直前にスケジュールの都合で、10日間、朝、夕ときつい練習を続けたことがある。その時は、しばらく疲が抜けず、試合もだめであった。若くてもそうであった。多分、そのとき以来のオーバーワークかもしれない。

 ボルダリングの疲れは、疲れたという疲れではない。やってみて、疲れているとわかる疲れである。それに反し、ルートでの疲れは疲れたと感じる疲れである。

 前にも書いたかもしれないが、ルートの疲れは乳酸の蓄積による疲れである。だから、乳酸の存在によって疲れを感じる。だから、乳酸が存在すると疲れを感じるのである。

 しかし、ボルダリングの疲れは、筋収縮力の低下という疲れ、つまり、ATPの枯渇による疲れであるから、休息中は身体自体は、疲れたあるいは疲れているという自覚は無い。筋肉を使ってみて収縮しないから、それで疲れていると実感するのである。いわゆるヨレているという状態である。

 これらは、筋肉の話で、少々やりすぎても、多分、直接の障害はそんなには起こらないのではないだろうか。まぁ、筋肉痛は、筋繊維の細かい断裂がその原因らしいから、使いすぎれば壊れるのではあろうが。

 だが、腱の場合は、組織的な疲労ということになる。いわゆる金属疲労と同じ感じの疲労で、組織が破壊されて起こるものである。これは、ほとんど身体には感じない。多分、大きく壊れてきて、その時の痛みが大きくなって、それで初めて自覚するものと思う。

 多分、やりすぎた場合の疲労や障害は、この腱の疲労や障害となって現れるのではないかと思う。

 そして、その腱をかばう形で、普段あまり使わない筋を使うこととなり、それらの筋の障害を併発する。ということではないだろうか。

 と考えると、今回の小生の症状を説明できる。たぶん、この説明はそう大きくは間違ってはいないであろう。

 とするならば、組織的にも老化の進んだ、それだけ長く生きてきた人間には、やりすぎは、致命的な障害を発生する可能性が大きいと言わざるを得ない。

 普通に生活していても身体は壊れる歳になったことを自覚しなければならないのであろう。悲しい現実ではあるが。


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作成年月日 平成13年 9月 9日
作 成 者 本庄 章