とあるボルダーその23

2012年 8月17日記

 娘の子供2人が夏休みで遊びに来たので、その子供達を連れて相棒と一緒に瑞牆に行った。上の息子は、4年前の夏に瑞牆に連れて行った息子だ。そして今回は、下の娘も大きくなったので、その娘も一緒だ。朝の10時頃に出発の予定だったが、やっぱりというか、何時ものように12時頃の出発となってしまった。

 途中ガソリンを入れ、湾岸道に出る手前まで来ると、何時もはそんなに渋滞する時間では無いのに、渋滞していた。やっぱりこの2時間が、とか思いながら裏道に逃げ込んだら、そっちも渋滞していた。この裏道が渋滞するのは土曜日や日曜日の夕方である。平日の昼間の渋滞は未だ経験した事のない所だ。やっぱり盆前の普通ではない渋滞なのか。途中でUターンし、別の抜け道に回った。

 その後、首都高でも渋滞に遇い、予定よりも1.5時間ほど遅れて中央道に入った。がお陰さまで、その後はスムーズに走ることが出来た。

 何時もは相模湖とか勝沼で高速を降りるのだが、今回は子供が2人もいるし、キャンプ場の受付時間にも遅れてしまうかもと、須玉迄高速で行くことにした。

 何時もの様に相模湖とか勝沼で高速を降りれば、甲府から韮崎辺りのスーパーで買い物が出来るのだが、今回は須玉から直ぐに瑞牆に向かうので、若しかすると買い物は出来ないかも知れないと相棒に話していたのだが、高速を降り、国道から県道に入ると間もなくスーパーが現れた。何時その辺を通る時は夜中だったので、そこにスーパーが有ったことに気が付かなかったようだ。

 キャンプ場に着くと、キャンプサイトを囲んでいる獣除けの電気牧柵の入口部分は開いていた。既に5時を過ぎていたので、管理棟は開いてはいないだろうとは思ったが、自動車をキャンプサイトに入れ、一応管理棟まで行って見た。やはり管理棟は既に閉まっていた。念の為、営業時間を見ると、4時半には既に閉まっていたらしい。折角高速を何時もより少し飛ばしつつ須玉迄走ったのだが、もしかするとその必要は無かったのかもしれない。

 キャンプサイトには誰もいないし、駐車場にも数台しか自動車はいなかった。平日とはいえ、夏休み真っただ中だし、もう少し人がいると思ったのだが。

 自動車から荷物を降ろして、テントを張った。場所は、幾らか日影になるだろうとのことで、以前にも張った事のある少し大きめの木の下にした。今回は、テントの上に鉄骨の凄く重い自立型のタープも張った。これ、重ささえ厭わなければ、雨対策に意外と有効なのだ。

 その後、何台かの自動車がやってきたが、その全ての自動車が直ぐに戻って行ってしまい、結局は我々と少し離れた場所に泊った人のみになってしまった。

 スーパーで買ってきたお弁当を4人で食べる筈だったのだが、子供二人がカレーを食べたいと言い出したので、子供達には持参したパックのご飯にレトルトカレーをかけてやり、我々二人だけで冷たいお弁当を食べることとなった。

 子供達がテントの中で騒いでいる間、我々二人は外で静かにコーヒーを沸かし始めた。すると間もなくテントの中が静かになった。

 暫くゆっくりした後、テントに入ると、子供達は既に熟睡していた。おまけに上の子は大の字になり、下の子は寝袋の中で猫の様に真ん丸くなって。その為、我々の寝るスペースを作りださなければならなかった。因みに時間はまだ7時過ぎであった。

 テントに入って、ほんの一瞬騒いだだけで寝入ってしまった子供達は、やはり夜中にトイレに行きたいと起き出した。ここのトイレは、駐車場を横切り、階段を上って上の広場まで行かなければ無い。キャンプ場内のバイオトイレは去年から故障したまま未だに治っていないのだ。当然ランプを持って子供と一緒にトイレまで行かなければならない。それも2回も。そして、自分の為にも。で、結局3回も4回も夜中にトイレに行ってしまったのだった。

 夜中に少し寒さを感じたので、余分に持参していたタオルケットを寝袋の中に入れた。寝袋は本当に夏用の羽毛服より小さくなる寝袋だったのだ。確か前回も同じ寝袋だったのだが。

 やはり8時前には寝てしまったせいか、翌朝、4時過ぎには目を覚ましてしまった。しかし、子供達は寝ていた。で、また寝た。

 子供達は補虫網を振り回して蝶々やトンボ等を捕っていた。そういえば、前回はアサギマダラがいっぱい飛んでいたのに今回は全く飛んでいなかった。略同じ時期のはずなのだが。

 駐車場には新しく何台かの自動車が停まっていたので、行ってみた。すると、同じ様な歳格好の夫婦が登山の準備をしていた。瑞牆山に登るため、千葉から来たのだとか。少しお話をしてしまった。

 管理棟が営業を始めたのでキャンプの申し込みに行った。子供達も、虫籠を忘れたということで虫籠を買うと、一緒に行った。やっぱり虫籠は売ってはいなかった。で、管理棟の人に虫を入れるための段ボール箱を頂いた。

 適当に朝食を済ませ、子供達の虫取りも一段落したので、10時過ぎに皆と一緒に会場エリアに向った。

 先ずは一の谷を目指した。「ミネルヴァ」という五段の課題のあるエリアだ。

 植樹祭会場の芝生広場を横切り、登って行くと、遊歩道に電牧のゲートがあった。そこを過ぎて直ぐ左に入る少し広めの遊歩道を進むと、その道は焼却炉の所で止まっていた。以前は確かその先に踏み跡が有ったのにと、踏み跡を探してみたが、藪で埋まっており、使える踏み跡は無かった。

 引き返して、その分岐の直ぐ上の少し細目の遊歩道を登って行った。この遊歩道を暫く登ると水平に走る遊歩道にぶつかる。その遊歩道を左に行けば大黒岩のある二の谷だ。その先がフサフサ岩、そして一の谷である。

 フサフサ岩を過ぎると、間もなく右に入る一の谷への踏み跡が現れる。そこを登って行くと、梟岩が現れた。

 ここは、大分前に来たことは有ったのだが、その時は一の谷という呼び方はしてはいなかった。と思う。その後、仲間から一の谷という言葉を聞き、ボルダーがあるとのことで、一人で岩を探しに来た谷だ。その時には梟岩は見には行かなかったのである。だが、今回のトポによると、その梟岩には五段の課題があるというので、その課題を確認すべく今回また来てみたのだっだ。

 梟岩の右隣のスラブの岩は見覚えが有った。確か、易しいスラブを磨いて登った岩だ。ということは、その隣の梟岩も登ったのだろうか。がしかい、現在は、その10級のスラブは苔が戻っており、登れる状態ではなかった。

 五段は登れないから、その隣の隣の「梟クラック」という9級の課題を登ることにした。9級ではあるが、それなりに高い課題だ。

 右側にフィンガークラスのクラックが走っている。そのクラックを使い、クラック右側のスラブを登る課題だ。因みに、そのスラブを登ると8級らしい。しかし、現在は苔が大分戻っている。

 まず、クラックを使い離陸を試みた。下が切れているので、離陸できなかった。右側のスラブの方からの離陸を試みた。手が無く離陸出来なかった。9級で離陸が出来ない。まぁ何時ものパターンではあるが。

 気を取り直し、左足をハングのリップの少し上まで上げ、少し頑張ってやっとの思いで離陸した。その後は9級だった。抜け口が少し高かったし、苔も少し戻っていたので、少しだけ怖くはあったが。

 ここは、トポにはこの岩とフサフサ岩しか載ってはいない。フサフサ岩は昔から散々登って、悔しい思いもそれなりにさせられた岩だ。従って今回はこの岩は触らずに、二の谷に行くことにした。

 二の谷には大きな大きな大黒岩がある。そして、千里眼、倶利伽羅等のあるエリアだ。長年の宿題となっている「あかね雲」を触ることにした。

 「あかね雲」は、三角形の形のカンテを登る、綺麗な課題である。行ってみると、下地が掘れており、木の根っこが露出していた。下地が下がっていたのだ。下地が傾斜しているので、掘れてしまったようだ。その為、今迄に何回となく繰り返した離陸のムーブが出来なかった。仕方がないから、別ムーブを探ろうと、足を探してみたが見つからなかった。何しろここ何年もの間外岩はご無沙汰だったから無理も無いと、早々に諦め、千里眼に行った。

 途中、大黒岩にくっ付いた、以前子供達を登らせた事のあるちょっとしたスラブの岩に子供達を登らせてみた。苔が大分に戻っており、子供達も以前の様には登れなかった。

 こちらも何年もの間の宿題となっている「百里眼」を触ってみた。この課題、夏場は離陸から難しかった課題だ。しかし、離陸が出来た。しかも、左足が、今迄はその足では離陸の難しかった、少し左側の乗りやすい足での離陸がだ。ここ何年かのジム通いで、指だけは確実に強くなっていたようだ。少々感激した。がしかし、飛ぶことが出来なかった。というのも、下地の石の露出がより大きくなっており、思い切って飛ぶことが出来なかったのだ。

 この課題、今までは2級と言われていた。しかし、最近発表されたトポには1級となっている。わっ、1級なんだ。そういえば千里眼は二段だったっけ。

 既に昼を回っていたので、千里眼の前で昼食とした。と言っても、残り物のパンを食べただけだったが。

 続いては、倶利伽羅に行くことにした。カラクリ側の岩の写真を撮るためである。

 倶利伽羅の裏辺りの易しいところを登った後、カラクリ側を登ってみた。勿論スタンドアップ且つリップの真ん中あたりのマントルでだ。当然トポにはそんな課題の記載は無い。

 そのまま踏み跡を登ると、少し被った面に斜めの狭いバンドが走っている、結構見栄えのする岩が出て来た。で、早速そのバンドを触ってみた。

 トポを見ると、マントルデスクという岩らしい。えっ、マントルデスクって、もっと明るい岩のはずだが、この岩は、茂みに囲まれた日影の岩ではないか。てっきり初めて触る岩だと思ったのに。ということで、家に帰り、以前の写真と見比べてみたら、間違いなく、以前は開けた斜面の岩だった。うーん、私たしゃ何年この瑞牆に来ていないのだ、と思ってしまったのだった。

 マントルデスクということは、そこを少し先に行けば、大黒岩から先住者の岩に行く踏み跡に出る筈だと、その先の踏み跡らしきものを進んでみたのだが、はっきりした踏み跡には出ず、やっとのことで団栗岩に出ることが出来た。以前マントル岩には確か団栗岩から登って行った筈なのに。

 団栗岩を登ってみた。先ずは右側。トポでは多分8級。やっと登れた。次は左側。確か未だ登れていない場所。ガバを持って離陸。右手を出す。何とか留まった。左手、留まらない。

 その後3回か4回ほどやったのだが、その左が1回だけ留まったで、登ることは出来なかった。5級らしいのだが。

 一、二とくれば次は三だ、ということで、三の谷に行った。

 三の谷と言えば美しき日、或は瑞牆レイバックだろうが、そんなものには目もくれず、というか目もくれられずに、夜岩の奥の小さなクラックの岩に行った。なぜか。そんな高難度、ハイボールは出来っこない。要はクラックがやりたかったからなのだ。

 この課題、グレードは10級。高さは2m足らず。多分これを触る人はまずいない。と思われる課題だ。そんな課題を何故。やっぱりクラックだからだ。そう、クラック限定で登ろうという訳だ。

 当然クラックにジャムを決め、SDでスタート。まぁ、足までは限定はしないのだが。立ちあがって手を進める。クラックは上に行くと広がってくる。ハンドからフィストを利かす。と言えば聞こえは良いが、実際はテーピングなどしていないから、痛さに耐え、ぎりぎりやっとのフリクションで登って行く。そんなこんなで、手はジャミングのみで、やっとのことで登ることが出来た。

 やっとのことで、ジャミングのみでボルダーを登ることが出来た。多分ジャミングのみで登ったのはこれが初めてだと思う。今迄にも何度かジャミングでボルダーを登ろうとしたが、結局はレイバックとか何らかのジャミングを使わないホールドを使ってしまうとかをしてしまっていたのだ。記念すべき登攀であった、筈だ、多分。まぁ、そんな大したことでもないから、どうでもよい事ではあるなのだが。

 子供達が夜岩の上に登っていたので、「スーパークーロワール」を登ってみることにした。

 出だしは順調だった。あと一歩でマントルという所まで来た。あと一歩が中々上がらなかった。手、足が見つからなかったのだ。少し広めの凹角なのだが、足が突っ張れない、手もいホールドが無いのだ。既に落ちたくは無い高さまで来ているし。意を決して、少し横を向いて足を突っ張り、身体を上げた。で、結構不格好な格好で上に抜けることが出来た。7級だというのに。

 移動を始めると、下の娘がむずり出した。確かに、小学1年生には少しきつい山道を歩かせてしまったかもしれない。それもサンダル靴で。ということで、下山することにした。

 テントで休んでいたら、下の娘が小さなクワガタムシを見つけ、それを上の息子が捕まえた。そして、そのクワガタを入れる箱が欲しいと言い出した。先にもらった段ボールにはバッタやトンボが入っているので、それとは別に保管したいとか。ということで、管理棟に行くことにした。

 管理棟で、段ボールではなく、お姉さんの持って来たお菓子の箱を頂くことが出来た。で、序ということで、皆でソフトクリームを食べた。

 昨日、少し離れた場所に泊った人も既に帰ってしまっており、キャンプ場には我々だけになってしまっていた。管理棟の人達も帰り、駐車場の自動車も帰ってしまうと、本当に我々だけになってしまった。

 適当に残ったもので夕食を済ませ、テントにもぐりこんだのだが、子供達がなんだかんだ言い出して、なかなか寝ないのだ。おまけに兄弟喧嘩を始めてしまった。そんなこんなで、やっと子供達が寝た後、相棒と、確かに子供達を疲れさせてしまったかもしれないから3泊の予定だったが、2泊で明日には帰ろうかというような話をしながら、昨夜よりは少し長く話をしてしまった。

 夜中に自動車がやってきた。どうやら複数の様だった。で、暫くすると、近くにテントを建て始めたようだった。朝起きると、我々の近くに3つのテントが張ってあった。

 そのテントの人が外でいすに座っていたので、少しお話をしてみた。大阪からで、ルートとボルダーと両方をやりに来たとのことだった。

 トイレに行った帰り、駐車場に停まっていた自動車で支度をしていた人とも話してみた。その人は一人でボルダリングに来たとのことだった。この方は、以前から瑞牆に見えていたようで、やっぱり最近はボルダラーが増えているとのことだった。またもう1台の自動車の人は、ルートの開拓に来たとのことだった。

 この日は、まだ行ったことの無かった天鳥川沿いの指人形と蝶岩に行ってみることにした。

 指人形は嘆きの岩の上流の左岸らしい。林道のすぐ脇だからアプローチは殆ど無い。しかし、林道からは見えないので、場所が分からなかった。トポによるとグリーンロッジの下流の橋の近くとなっていたので、橋を渡った先の退避場に自動車を停め、グリーンロッジ方面に歩いてみた。2ヶ所ほど違う踏み跡があったが、それ程迷うことなく辿りつくことが出来た。

 この日は、子供達に水遊びをさせるのが主目的だったので、指人形の下のちょっとした広場に荷物を置き、子供達と一緒に蝶岩の偵察に出かけて行った。

 踏み跡を下流に向かって辿ると、間もなく渡渉地点が出てくる。しかし、その渡渉点は子供には無理に思えたので、子供達にそこで待つように言い聞かせ、一人で対岸に渡り、その先に行ってみた。

 蝶岩は中々見当たらなかった。少し歩くと、大きな岩が現れた。しかし、トポの図と何となく合わない。この岩には四段の「バタフライ・エフェクト」という課題のほか、リップマントル6級、4級、5級、カンテ左面の4級等の課題が設定されているのだが、どうもそれに該当しそうなラインが見当たらないのだ。沢側の面に僅かにチョーク跡とも思える跡が見えるものの、それ以外にチョーク跡らしいものは見えない。子供達も待たせているので戻ることにした。

 渡渉点まで戻ると、娘が泣いていた。小生の真似をして渡渉して沢に落ちたらしい。相棒が面倒を見ていた。息子はうまく渡渉し、沢で遊んでいたようだが、そこは引き上げ、皆で荷物の場所まで戻ってきた。

 本流は、やはり幾らか水量が有り、岩もゴロゴロしているので、丁度広場の横で合流している枝沢で遊ばせることにした。こちらは合流部が浅くなっており、水量も殆ど無かったからだ。

 小一時間子供達を遊ばせ、子供達も、水が冷たいらしく、気が済んだようなので帰ることにした。

 指人形の写真は来た時に撮ったのだが、人間は写さなかった。この岩はトポには初段と三段の課題しかなく、実際も上部がハングしていて、小生の手の出る岩ではないと思っていた。だが、実際に見てみると、左側の方に縦に細いバンドが走り、それを使って左のカンテを掴めばその上のハングの始まる辺りのカンテでマントルが返せるのではと思えて来た。これはやってみなければ。ということで、子供達を待たせ、そのラインに取りついてみた。

 離陸こそ1回目は失敗したものの、2回目にはリップが取れた。そのまま2手ほどリップを辿り、マントルを返したら、マントルが返った。うーん、やっぱり登れた。グレードは分からないけど。家に帰って写真を見たら、指人形のマントルと同じ場所でマントルを返していた。もしかして?今度一人で攻めてみよっと。内緒だけど。

 その日は管理棟がお休みだったし、殆ど人もいなかったので、自動車をテントの横に停め、少しゆっくりした後、帰り仕度を始めた。

 帰りは、前夜相棒と話した通り、増富の湯に向かうことにした。

 増富の湯は、何時もならば、瑞牆山荘を回って行くのだが、時間も早いしということで、瑞牆湖のビジターセンターに寄ってから行くことにした。

 夏休ということで、増富の湯は混んでいるのではと思ったが、瑞牆の森同様、平日の夕方にしては混んでいたのかも知れないが、それ程混んではいなかった。

 帰りも須玉経由で帰ることにした。

 須玉では、ファミレスがあったので、そのファミレスによって夕食にした。須玉には中華料理屋とか牛丼屋が有ったことは覚えていたのだが、ファミレスがあったことは覚えてはいなかった。そういえば、このファミレスは以前仲間と何回か寄った事を店に入ってから思い出した。それだけ瑞牆にご無沙汰だったのか、はたまた単なるボケなのか、答えははっきりしてはいるが。

 帰りの中央道は、この先どこどこから渋滞何キロとか出てはいたものの、ゆっくり走ったこともあってか、渋滞で自動車が停まるということは無かった。無論、首都高も同じ、比較的スムーズに家に帰りついた。当然子供達もほぼ全行程寝っぱなしで。


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作成年月日 平成24年 8月17日
作 成 者 本庄 章