とあるボルダーその22

2008年12月 6日記

 金曜の夕方から日曜日にかけて、相棒と二人で、とあるボルダーに行ってきた。前回見つからなかった岩の場所を、ここの開拓者に教わったので、それらの岩探しが目的であった。

 木曜日の夜出発の積もりだったのだが、いつものように金曜日の朝となり、結局は金曜日の昼過ぎの出発となってしまった。で、序でだったので、明るいうちの用事を足していたら、夕方になってしまったのだった。

 金曜日の夕方だから道が混むかと思ったのだが、千葉県内はそれ程の渋滞もなく走ることができた。しかし、首都高はそうは行かず、レインボーブリッジ辺りから込みだし、高井戸付近まで、込み合ってしまった。そのお陰で、中央道の通勤割り引きには間に合わなくなってしまったのだった。

 急いでも仕方がなくなったので、石川パーキングにより、夕食を採る事にした。石川パーキングに入ると、雰囲気がなんとなく違う感じだった。暫く来ないうちにここも改修をしたのだろうか。

 焼き魚定食を食べようとしたら、既に売り切れだった。八王子ラーメンも昼飯がラーメンだったので相棒に却下され、結局はカツ丼になった。そういえばここ暫く、カロリーの関係から、カツ丼を食べていなかったので、なんとなく新鮮だった。

 通勤割り引きが使えれば韮崎辺りまで中央道で行く積もりだったのだが、時間も出来たことだしと、相模湖から20号に降りた。国道20号は空いていた。

 道が空いていたとは言え、ゆっくり気味に走ったので、結構時間がかかってしまい、大月を過ぎる辺りで10時になってしまった。なんとなく眠くもなっていたので、大和道の駅で仮眠することにした。相変わらず、大和道の駅には何台かの乗用車が停っていた。

 朝起きると、既に明るかった。途中一度も目が覚めなかったようだ。そんなに疲れていたのだろうか。回りを見ると、隣の自動車は昨夜の自動車だった。窓が曇っていたから、その自動車も車中泊の様だった。

 反対の隣に大きめのバンが入ってきた。相棒が、そのバンは、棚が作ってあるから見ろと言った。トイレの序でに見て見たら、キャンピング仕様だった。所有者も居たので、小生もこういうのが欲しいと思って居るのだと、少しお話をした。

 7時過に出発し、韮崎に向かった。またいつものスーパーに寄るためだ。土曜日の朝だからか、道は空いていた。

 スーパーには9時前に着いた。見ると夜12時まで営業の看板があった。ここって24時間営業じゃなかったっけ。前回と同じく、店は開いて居るのだかまだ開いていないのだか分からない状態だったので、壁に有った張り紙を見ると、そこに有った各店舗の営業時間は9時から24時と10時から20時だったかの2タイプがあるように書いてあった。いずれにしろ、24時間営業はやめたようだ。でも、その店が何店かは分からなかったので、試しに営業開始時間を聞いて見たら、9時からとの返事だった。そして、もう店に入ってもよいと言ってくれた。それで、前回寄った時、なんだかまだ営業前のようだったのは、実際にまだ営業前に店に入ってしまった様だった。昼飯のパンと夕飯のうどんやら野菜やらを買った。

 この店は、レジ袋が2円だったのを忘れていた。急いで自動車まで以前どこかでもらった手提げ袋を取りに戻った。

 今回も塩川ダムのビジターセンターに寄った。そして、前回もらえなかった地図を探して見た。見当たらなかった。キョロキョロ探していたら、そこの係の人が何を探しているか聞いてくれたので、瑞牆の森の遊歩道などが書いてある地図の載ったパンフレットがあったはずなのだがと聞くと、今はそういうのはないとの返事だった。でも、瑞牆の林道とか登山道とかの書かれたパンフレットのコピーを呉れた。

 売店の中を散策していたら、先程の係の人が、こんなのがあったと、2万5千分の1の地図に植樹祭会場と、瑞牆林道と瑞牆の森の大まかな遊歩道を書き込んだ地図の載ったパンフレットのコピーを持ってきて呉れた。小生の探していたのは、それだった。よかったー。

 瑞牆の森の駐車場に行くと、結構自動車が停まっていた。

 我々の自動車の横に大きめのワンボックス車が入ってきた。その自動車からは数名の男性が降りてきて、何枚かのボルダーマットを降ろした。どこからかと聞いて見ると、石川からとの事だった。何年か前に能登半島の窓岩からヒメボルダーや、百万貫岩などを回ったことを話すと、もしかしてと、また小生の名前を言われてしまった。

 我々も支度を整え、ここの開拓者から場所を教えてもらった言葉岩を探しに行った。その岩は何年か前にその開拓者に連れられて行った岩なのだが、その場所が分からなかった岩だったのだ。

 言われたように、目標物から5歩歩いたら、状況はほとんど変わらなかった。実はその場所を教えてもらった言葉の中に、「大きな木の看板から5歩歩くと」との文言があったのだ。それを見た時に、5分の間違いではとも思ったのだが、そこから5分ほども歩くと、次の目標である遊歩道がありそうにはない場所の様に思えたので、6歩目から気をつけながら歩いたら、ほどなく教えられた木の段のある遊歩道が見つかった。木の看板からからは20m程だった。感覚的には確かに5歩程度かも。なんとなく納得した。

 その遊歩道を降りて行くと、確かに岩が有った。ぬかるんだその沢沿いの場所まで行くと、間違いなくさがしていた岩だった。なんだかジメジメしたところだった位しか覚えていなかった岩なのだが、全く予想しなかった場所だった。そこには三段だかの課題があるらしいのだが、その岩の横にへばり付いた小さな岩の、確か3級位の課題が登れなかったので、そこを触って見たかったのだ。やっぱり離陸できそうになかった。

 またぬかった場所を通り、時計を持ってくるのを忘れていたので、駐車場まで戻ることにした。

 途中相棒が、道に落ちていた棒のようなものを見つけ、拾い上げたのだが、もしかして骨と、すぐに捨て、確かに骨かと小生に聞いてきた。見ると、小さな動物の足の骨だった。その付近にはまだ何本かの足の骨が落ちていた。イノシシとか犬とか、それくらいの大きさの動物の骨だ。回りを探して見たが、足の骨しか見つからなかった。

 今回は、今までに所在が分からず、開拓者に場所を教えてもらった3カ所の岩を探すことがメインだったのだ。自動車に戻り、時計と水筒を持って再び岩を探しに行った。次は、マントル3連発の岩だ。芝生広場を横切り、遊歩道を登って行った。

 その岩は、ガチガチ岩の隣ということだった。このガチガチ岩、最近ではアップ岩と呼ばれている岩だが、の回りは結構探したはずだったのだが見つからなかった場所だ。

 行って見ると、確かにその岩から茂みというか、ちょっとブラインドになった方向に踏み跡が一本伸びていた。その踏み跡を進むと、大きなルーフをもった岩が現れた。しかし、その岩は、その辺を探した時に何度と無く前を通った岩だった。ちょうど2m位の高さの、やはり張り出しが2m位の、大きな平らなルーフをもった岩だ。小生の記憶では、その岩の上はもっと平らだったので、違うとばっかり思って通り過ぎていた岩だ。やっぱりこれだったのかと思いながら、その岩の裏にある、平らな被った面をもった岩を確認に行くと、確かに被った面をもった岩が有った。やっぱり間違い無くその岩だった。記憶なんてやっぱりあてにならないものだ。と、何回思ったことか。最近はそう思ったことをも忘れているようだ。

 この岩の前には、以前は間伐材が置かれており、その間伐材の上からスタートすると、ルーフのリップが持てて、マントルがやり易かったのだが、現在はその間伐材は片付けられており、リップを持つにはいくらかリーチが無いと少しつらい感じになっている。しかし、わずかに1本の間伐材が残っていたので、そのうえに乗って見たら、小生にも辛うじてリップが持てた。

 この岩の写真がまだ無かったので、写真を撮ることにして、リップの真ん中辺りにぶら下がることにした。確かグレードは2級だったと思う。

 リップにはちょっとしたカチが一カ所ある。そこに左手を掛けて右手を探して見た。小生に持てるホールドは見つからなかった。左の方も探して見た。やはり見当たらなかった。仕方が無いから、左手の上に右手を重ねて見た。なんとなく力が入るような感じがした。その手でぶら下がって見た。ぶら下がることはできた。次はリップへのヒールフックなのだが、そこまで足を上げられるほどホールドはよくは無い。三段ボルダラーもできなかったのだから小生にできるはずもない課題だから無理もない。それで2級らしい。五段ボルダラーは、それを運動靴で登ってしまったのだった!!

 カチカチ岩に戻ると二人のボルダラーがいた。そのうちの一人の人は、なんとなくネットで写真を見た人の様な感じの人だった。その方かどうか話しかけようと思ったのだが、自信もなかったので、しばらくその二人を見学していた。

 しばらくして、その方にどこからきたのか聞いてみた。すると、松本からとのことだった。ネットでお見受けした方も松本だったはずなので、思い切ってネットでお見かけした名前の方か聞いてみた。すると、やっぱりその方だった。

 その方は、南木曽とか、結構色々な所で開拓をされている方だったので、ホームページを見せてもらって阿寺渓谷に行ったことをお話し、南木曽の事を少し聞いてしまった。

 最後は、大体の場所は見当がつくのだが、実際の場所が分からなかった岩だ。その岩はそこから遊歩道を少し登ったところのはずだ。

 遊歩道を登って行き、登山道に入ったら3分で見えてくると教わったので、大体のそんな感じで岩を探したのだが、それらしい岩は見当たらなかった。で、少し行ったり来りして、多分それだろう岩に行って見たら、前回の岩探しでも確認した岩だった。

 その岩の前に荷物を置き、持参したポケコンの写真と見比べたのだが、なんとなく違う感じだった。岩の形は似ているのだが、岩に入ったスジの感じが微妙に違うのだ。その岩から少し沢側に行くと奇麗なフェイスを持った岩があるとも教えられたのだが、それらしいフェイスも見つからなかった。

 そこからほんのわずか登ると高原エリアになる。しかし、探している岩は四の谷だと教えられた。ということは、やはり登り過ぎているのだろうか。その付近の登山道を少し登り降りして見たのだが、他にはそれらしい岩は見つからなかった。

 その岩を探してウロチョロしている時に、前後して一人と一組のボルダラーとすれ違った。ともに高野聖に行くと言っていたので、我々も高野聖に行くことにして、その登山道を登って行った。

 途中、前にKUMITEの岩の写真を撮った時に、KUMITEの右の方の場所に取り付いている写真を撮ってしまったことを思い出したので、そのラインを確認すべく、KUMITEの岩に先に行くことにした。

 KUMITEの岩には人はいなかった。

 遠くでなんだかゴロゴロ言っている感じになっていた。何となく雨が来そうな気配になっていた。気になったので、雨具を探すと、いつも持っていたはずの傘は無く、カッパが一組だけしか見つからなかった。相棒に雨具があるか聞くと、雨具は持っていないと言った。雨がくるとまずいから早く帰るかということになったのだが、折角来たし、一応カッパが一組あるからと、写真だけは撮ってもらうことにした。

 前回触った、右の方のガバフレークの左の方のところを見て見たのだが、どこがKUMITEのスタートだかははっきりはしなかったが、より左の方にガバに近いホールドがあり、チョークが付いていたので、ひとまずはそこにぶら下がって写真を撮ってもらった。

 既に昼を回っていたし、雨もまだいくらかもつだろうと、二人で地面に座りながらパンをかじり出した途端に、相棒が雨だと言い出した。遂に来たかと、急いで荷物を片し、高野聖の岩に向かって歩きだした。しかし、その後は雨の気配は感じられなかった。

 スラッシュフェースの横のところが少し降り憎いので、相棒をサポートしながら下ろし、高野聖の岩に行くと、ひょっとして10人はいるのではというくらいの人がいた。どうやら最近はこの高野聖が大人気の様だ。KUMITEよりは、この高野聖の方が知名度が高いようだ。先に会った人達も、KUMITEと聞いても分からないようだったし。

 登山道に戻り、またまた探している岩を求めて少し寄り道をしながら下ったが、やはりそれらしい岩は見つからなかった。

 少し痩せた尾根から遊歩道に出ると、その辺からは谷が開けて来て、斜面もなだらかになってくる。即ち、遊歩道以外でもすごく歩き易すくなる。そんなところを、天鳥川の方に入って行ってみた。

 ちょっとした流れを渡り、下って行ったら、なんだかずんぐりした岩が現れた。高さは多分3m位だろう。岩の上は唐松の落ち葉で覆われていたが、左端の所なら登れそうに見えたので、登って見ることにした。

 ちょうどひざよりちょっと上位の所に外傾したちょっとしたテラスというかバンドというか、まぁそんな感じのスタンスがある。ホールドはもしかして持てるかも位の極小さなカチホールドがちょうどよく左右にある。スタンスが良いから、そのホールドでそのバンド状の外傾スタンスに立ち込めば上のかかりそうなホールドが取れる。そんな感じの所だ。

 左のカンテのすぐ後ろ辺りに木があったので、それを使って上部を観察した。上には結構なガバが2つ3つあり、カンテを使わずとも上に行けそうに見えたので、登ることにした。その前に、降り口を確認すると、簡単に降りられそうな所は無かったが、降りられなくなる心配は無さそうだった。

 小さなカチというかすごく薄い小さなフレークというか、そんなホールドで立ち込んだら、以外と簡単にバンドに立てた。やはり傾斜が無ければ持てそうにないと感じる位のホールドでも持ててしまうようだ。

 そこからカンテを使ってしまっては面白く無いと、カンテ直下の少し甘目のホールドで右上のガバホールドを取りに行った。

 足はバンドから上にははっきりしたものは無い。しかし手が良いので、適当に足を上げ、丸くなって来たカンテを持った。しかし、そこから上は落ち葉だらけだ。傾斜も寝てきたとは言えまだ結構ある。直上は怖い。仕方がないから、左の丸っこいカンテに逃げた。とはいっても、その丸っこいカンテもまだまだ傾斜はある。落ち葉も厚く乗っている。足もガバではない。手は落ち葉の上においているだけだ。と言って降りるに降りられない。岩に這いつくばり、股で カンテを挟んでずり上がった。なんとなく格好が悪かった。

 その岩の回りにはだれもいなかったので、そこでまた昼飯の続きのパンを食べた。

 ガチガチ岩まで戻ると、そこには誰もいなかった。この岩の、写真は1枚しかない。それも、この岩とはっきり分かる写真ではない。この岩と分かる写真を撮るべく、この岩の特徴のガチガチしたところを登ることにした。

 まずは少し左よりの一番上のリップが僅かに凹んだ感じのところを目指して、ガバホールドから離陸して見た。リップは思ったより遠かった。

 少し左寄りから離陸し、リップ直下を右にトラバースして、その僅かに凹んだリップに乗り上がった。

 降りてきて岩を見直すと、そのスタートからだと、そのまま左の方のバルジというか、丸い出っ張り部分を乗り越した方が自然に見えたので、続いてそこを登って見た。岩の状態が良かったのか、フリクションが効き、難しくはなかった。

 となると、今度は右側かということで、リップの凹んだところの右のフレークの張り付いたところから離陸して見た。離陸は出来たものの、右上のリップが留まらなかった。というか、届かなかった。

 離陸方法をいくつか探って見たが、良い方法が見つからず、そのスタートからのラインは諦めた。で、その右のラインを登って見たら、そんなに易しくはなかったが、登ることが出来た。まぁ、3本登っとけば、適当な写真は撮れただろうと、そこから移動することにした。

 ではどこに行くか。となると、やっぱり千里眼の岩か。とまぁ、そうなって、千里眼の岩に行った。

 千里眼の岩には何人かの先客がいたので、そのまま大黒岩に行ってみた。すると、確か「天の川」だったと思うのだが、大黒岩の右端の斜めに走るダイク沿いに登る、怖そうな課題に取り付いている集団がいた。仲間以外にその課題に取り付いている人を見たのは初めてである。確か天の川という課題ですよねと聞いて見たら、課題名は知らないと言っていた。ここを触っている人を見たのは仲間以外では初めてだと言うと、その人たちもほとんど見たことがないと言っていた。

 その上の、カンテの3級が空いていたので、そこを触って見た。

 いつものことだが、出だしの足が分からなかった。あれだったかここれだったか、いやこれだったかもと、あちこち触って見たのだが思い出せない。従って、なかなか離陸が出来ない。そういえば何処かにスメアしたようなことを思い出し、カンテの付近にスメアして見たら、なんとか身体が上がった。そうか、確かこの辺だと、足を置き直し、右足を突っ張ったら、次の左足が上がった。

 左手を次のあまり良くないカチに送り、カンテの右手を上に上げたいのだが、それが上がらない。右手に頼り過ぎているのだ。仕方がないから左手を出し、右のカンテをもって見たが、両手が右側のカンテだから、左足が動かせない。右足に体重を移そうとしたら、体を剥がされた。

 左足のスタンスを調べたら、真上に乗るよりも、少し左側に乗った方が乗れそうに見えたので、離陸後の左足を少し左側にして見たら、しっかりと乗ることができた。しかし、相変わらず右手は離せなかった。

 そんなことを何回かやって見たが、埒が開きそうにないので、千里眼の岩に行くことにした。

 大黒岩の前まで行くと、先程の人達がお話をしていた。近ずくと、一人の人のもっていたトポを皆で見ているようだったので、小生も見せていただいた。

 会場エリアの手書きのトポだった。聞くと、甲府のジムで、そのトポを書いた人から直接いただいたとの事だった。そのトポを書いた人は小生の知り合いだったので、今度会う機会があったら聞いて見ることにしよう。

 千里眼に行くと、その前にいた人達は石川からの人達だった。トポを見せてくれた人もその中にいた。

 石川の人達は千里眼を跳んでいたので、小生はその右側の2級の課題を跳ぶことにした。千里眼の岩の前には何枚ものパッドが敷かれていたので、それをお借りすることにした。

 やはり岩の状態がよかったから、離陸はすぐにできた。しかし、足にうまく乗れなかった。従って、跳ぶまでには至らなかった。なんだろう。はっきり言って、あまり本気で跳ぶ気がなかったのかも。何しろ今回は、ボルダリングと言うよりは、ハイキング気分満々だったから。

 そんな訳だから、右手のカチホールドを両手持ちしてみたりとかして見たが、足が決まらず跳ぶことはしなかった。

 ふと思いついて、クリカラに行ってみた。クリカラは思いの外近く、千里眼のすぐ上という感じだった。

 やっぱりクリカラにも人がいた。カラクリをやっている人達もいた。その人たちに、一応これってカラクリですよねと聞いて見たら、多分そうだといった。多分、その被ったところからのSDがカラクリなのだろう。

 そのまま谷を渡り、先程見せてもらったトポにもあった、凹角の1級の課題の岩を探して見た。その岩は、トポを見せてもらった時にその場所を聞かれた岩だったのだ。それで、思い出して行って見たくなったのだった。

 ちょっとした浅い谷を渡り、上に登って行ったのだが、それらしい岩が見当たらなかった。この時期、木々の葉は落ち、下草も枯れているので見通しはすごく効くし、どこでも歩けるのだが、反対に、落ち葉が地面を覆い、踏み跡が探し憎いのだ。仕方がないから、その岩を探すのを諦め、下に下って行った。

 少し大きめの、岩の前が広く開いた、登れそうな岩が出てきた。その広場に面した面はガチャガチャしていて、なんとなく登れそうに見えたので、登って見ることにした。

 先ずは左から。2手程進んだが、その上が落ち葉が積もっており、ホールドも見当たらなかったので、飛び降りた。次は右側。上に行けないから、真ん中方面にトラバース。しかし、ここも上は落ち葉だらけ。諦めて再び下に降りた。

 その広場からは沢沿いに降りようとしたのだが、なんだか降り憎そうに見えたので、その岩の裏を回って降りて行った。

 大きな岩の横に出た。なんだか見たような感じの岩だった。その岩を回り込むと、大黒岩だった。なんだ、さっきの岩はカンテの3級の課題のある岩の上の、既に何回か遊んだことのある岩だったのか。ということは、沢沿いに下れたのだ。念のため、先程の岩まで上って行った。間違いはなかった。

 そのまま、また凹角の1級を探しにその沢を登って行った。今度は先程より少し上まで行ってみた。すると、やはりその少し高目の岩は見つかった。

 やっぱり、苔が少し戻っていた。出だし核心的な岩だったから、離陸ができなかった。

 そのまま沢を降りてくると、カンテの3級の課題に取り付いている人がいた。多分、先程から大黒岩で遊んでいた人のはずだ。せっかくだから一緒に交ぜてもらった。

 最初の人は、やはり離陸ができなかった。しかし、ああだこうだやっているうちにカンテ両手マッチで離陸した。そんな方法もあったのか。

 次の女性は、やはりリーチの関係か離陸ができなかった。そこで、先程の人が、両手マッチを勧め、それを真似たら、離陸ができた。あんなんで離陸ができるのだ。

 小生は、相変わらず、右手カンテ、左手少し上のカチで離陸した。なんだか離陸がきつかった。疲れたらしい。2回か3回トライさせてもらったが、やはりその先の左足に乗切れなくなってきたので、そろそろ帰ることにした。

 途中、植樹祭会場に出る手前の遊歩道で既に暗くなってしまった。暗くなるのはあっと言う間だった。

 トイレによったのだが、電気が点いていなかった。確かこのトイレ、電気が点く筈だと、スイッチを探して見たが見当たらなかった。

 自動車に戻ると、相棒がメールが入っているというので、メールの受信に黒森まで行くことにした。相棒の携帯は、会場付近では電波が受信できないらしいのだ。しかし、上の方のどこかで電波が受信できたようだ。そういえば、KUMITEの前でもメールが来てると、メールを受信しようとしたらしいのだが、受信できなかったらしい。

 折角黒森まで下ったので、そのまま川上村のスーパーまで足を延ばしてしまった。実は、夏に来た時に買ったベビーラーメンを買いたかったのだ。

 ベビーラーメンを見に行くと、棚には並んでいなかった。あらー。相棒のもとに行くと、相棒はお弁当を買っていた。たしか、今夜はカレーうどんの筈だったのだが。ベビーラーメンがないというと、聞いて見たらというから、カウンターの小父さんに聞いて見た。少し待たされて、店長が出てきた。そして、何たらだから店頭にはないがあると言った。ついて行くと、段ボール箱一箱を出してきてくれた。

 その中から、一袋をもって、相棒の下に戻ったのだが、なんだかもっとほしくなって、相棒に全部買ってもよいかときいてみた。すると、よいと言ってくれた。このベビーラーメン、一袋に21個入っているから、もし、10袋買うと210個のベビーラーメンとなる。で、最初は一袋しか取らなかったのだが。

 戻って見ると、もう一袋なくなっていた。だれかが一袋持って行ったようだ。数えて見たら、全部で7袋だった。結局、箱ごとレジに持って行き、147個のベビーラーメンを買ってしまった。これで多分一冬は保つだろう。

 自動車に戻ると、相棒が、そういえばアイスが安く売ってたねというから、アイスが食べたかったことを思い出し、再び戻ってアイスを買ってきた。小生はアイス最中を買った。アイス最中って、実は暖かいのだ。アイスが暖かいって、なんか変だが、最中の皮がなんとなく暖かく感じてしまうのだ。それで、冬場向きのアイスという感じがするのだ。そんな訳だったから、久しぶりのアイス最中だった。

 瑞牆の森の駐車場には殆ど自動車はいなかった。殆どの人達は日帰りだったのだろう。

 自動車の中で買ってきたお弁当を食べ、聞き取り憎いラジオを聞いていたが、眠くなってしまったので、早々に寝てしまった。

 夜中に目を覚ますと、雨音がしていた。天気予報では夜半から雨とのことだったのだが、やっぱり降りだしたようだ。

 明け方目が覚めると、音がしなかった。あれと思ってよく聞いて見たら、やっぱり音はしていた。

 そのまましばらくうとうとしていたが、7時過ぎに起き出し、ベビーラーメンに卵や野菜をいれて食べた。そのベビーラーメンは家からもってきたものだ。

 雨は、本降りではなく、シトシトという感じで、降ったり止んだりという感じだった。しかし、下地は濡れているし、雨の中を歩く気もなかったので、そのまま自動車の中でうだうだしていた。

 トイレに行った時、照明具を確認して見た。やっぱり蛍光灯が付いていた。しかし、スイッチのようなものは見当たらなかった。

 駐車場には、我々のほかには3台の自動車が停まっていた。内一台はキャンピングカーだった。ナンバーは山梨だった。もう一台は石川だった。

 一台の軽自動車がやってきて、我々の近くに停まった。降りてきた人が相棒に挨拶をした。管理棟の小母さんだった。

 そろそろ管理棟が開くというので、相棒と一緒に管理棟に行ってみた。売店には品物はほとんどなかった。昨日はあった野菜類も殆どなかった。

 そのことを相棒が小母さんに聞くと、その日が今年の最後の営業日だと言った。11月一杯やるものと思っていたのだが、水が凍ってしまうから、営業はその日で終えるのだそうだ。それで、品物がほとんどなかったらしいのだ。

 観光バスがやってきた。結構な登山姿の客が降りてきた。で、また客を乗せて、すぐに出て行った。何だったのだろう。ここ迄の客を降ろし、一時降りた瑞牆山荘までの客を再び乗せて出発したのだろうか。それにしても、出発までに、トイレに行く時間もなっかた様な。変な観光バスだった。

 温泉はどうすると、相棒に聞いて見ると、いいやとの返事だった。まだ朝だし、ということで、そのまま帰ることにした。

 日曜日の午前中だったから、折角なので、昔の仲間のいるジムに寄ることにした。しかし、しばらく前に、いつも積んでいた関東エリアの道路地図を降ろしたまま積んでいないことを思い出した。調べると、やはり千葉県の地図しか積んではいなかった。カーナビを点けてみた。相変わらず使えなかった。それではそのジムに行けないではないか。何しろ、そのジムへは3回くらいしか行ったことがなく、いずれもカーナビか仲間のナビで行ったものだ。それも、年に1回も行ったかどうかである。道などは覚えてはいない。

 以前、そのジムのパンフレットをもらい、自動車のグローブボックスに入れていたことを思い出した。探して見たらあった。広域農道を使い、明野に向かった。雨は既に上がっていた。

 明野では、やはり大分以前に老夫婦でやっているリンゴの直売所に寄ったったことがあった。ちょうどその直売所の前を通るので、その直売所を確認してみた。すると開いていたので、その直売所に寄った。

 前に寄った時は暇の様だったので、お茶を呼ばれ、少しお話を聞かせていただいた。しかし、今回は忙しそうだったので、また寄って見たのだと言うことだけを伝え、リンゴを分けてもらっただけでお暇した。

 向かいの店で、大きな白菜を売っていたので、その店によって白菜を買った。

 広域農道の先で、甲府駅の裏を通る道に曲がる所をそのまま真っすぐ進み、初めて走る道に入って行った。適当な所で国道20号に出るためだ。

 国道20号の矢印のある交差点に出たのだが、まだ真っすぐに行っても大丈夫だろうと先に進んだら、道が狭くなってしまっき。あわてて次の信号を右折したら、今度はT字路にぶつかってしまった。適当に左折したら、踏み切りに出てしまった。仕方がないからそのままその線路沿いを走り、適当に左折したら、直角に曲がらされて少し太めの道にぶつかった。右折してその道を進んだら、踏み切りを渡った。

 駄目元でカーナビを点けてみた。画面が映った。神の助けか。って、敬虔な仏教徒である小生を神は助けてはくれないだろうから仏の助けか。でも、敬虔な仏教徒であっても、仏は決しって助けてはくれることはないだろう。ということはやはり神か。信じたくないが。

 カーナビによると、その先のT字路を右折すると20号にぶつかることがわかった。

 20号を走り始めたのだが、案内図の交差点がどの辺だかが分からない。その交差点の名前とその付近の目標物が書いてはあるが、大ざっぱな図がないので、甲府のどの辺だかが分からない。頼みのカーナビも、あれからしばらくで再び沈黙してしまったのだ。従って、キョロキョロしながらゆっくりと走らざるをえなかたのだが、幸い、道もそんなに混んではいなかったので、そんなことが出来てしまった。幸か不幸か、一体どっちなんだ。

 案内図にある、ある場所への案内が出てきた。多分もうそろそろだろうと、内側の斜線に移り、右側に出てくるだろう目標物を探しながら走っていった。横断歩道橋に次に曲がる交差点の名前と同じ町の名前が現れた。

 なんとなく大きめの交差点に差しかかり、左側に目的物も見えてきたので、急いで右折ラインに入った。しかし、右側の目的物は見えなかった。なんだかそこでよいのかとの疑問も残しながら、右折ラインに入ってしまったので、そのままそこを右折信号で右折した。

 右折した道はすぐに少し太めの道にぶつかり、その道にはその直ぐ先の信号を待つ自動車が渋滞していた。案内図は右折の後は直線になっていたので、渋滞の自動車を縫い、その道路を渡ってそのまま進むと、T字で道にぶつかっってしまった。やっぱりなんだか変だったのだ。仕方がないから、左に曲がった。すると、その先は広い道路との交差点になっていた。どうも20号との交差点のようだ。その交差点の手前は右折できるT字の交差点になっていたので、そこを右折した。その先はまたすぐにT字になったので、そこを右折した。

 その道は途中からは、1車線ではあるが、広い道になった。しかしその道もしばらく先で交通量の少し多めの道にT字でぶつかった。そこは今度も右折した。

 なんとなく主要な道路の様だったので、その道をしばらく走って行った。

 しばらく走るとまたT字にぶつかった。なんだか結構交通量の多い道だった。えいやっと、そこも右折した。既にどこがどこだか分からなくなっていた。でも、これくらいの交通量の道を走っていればいずれ何処かで道案内が出てくるだろうとしばらく走って行ったら、国道140号線との交差点にぶつかった。やっと目的の道にぶつかった。今度は安心して左折した。

 案内図の交差点が出てきた。続いて目的物が見つかった。見覚えのある交差点がでてきたので、そこを左折した。

 その左折した細い道の突き当たりが目的のジムだ。駐車場はほぼ満杯だった。

 端の方の空いた場所に自動車を停め、ジムに入ると、ジムのオーナーが店番をしていた。

 御無沙汰の、そしてもう一つの挨拶をして、昔の仲間のことを聞いてみた。その仲間はその日はお休みだった。何も持って行かなかったのに、帰りに柿を二つ頂いてしまった。

 帰りは、140号を真っすぐ走って行ったら、見慣れた橋を渡り、20号に出た。見ると、行く時に右折した交差点と同じ名前だった。交差点に入ると、この交差点は、ダブルの交差点だった。どういう構造なのかは定かではなかったが、二つの交差点が直ぐ隣あって存在し、その二つの交差点が同じ名前だったようだ。で、手前の信号で右折してしまった様だった。

 既に昼を過ぎていたので、食堂を探しながら走ったら、男のなんたらとかいう、面白そうな名前の定食屋が出てきたので、そこにい寄ることにした。

 店に入ると、店の人がカウンターで良いかと聞くから、良いということで、端っこに二つだけ空いていた場所に座った。カウンターには外に4人連れ位の家族が座っていた。

 少しして、二人連れの老夫婦が入ってきた。すると、店の人が、予約が入っていて、今は席が無いと言った。それで、我々にはカウンターで良いかと聞いたのか。その老夫婦は出て行った。

 上にかかった看板のメニューを眺めながら、何にしようか迷っていたら、隣の人がメニューを渡して呉れた。

 カワホルモンだったかの定食があったので、それを頼むことにした。それを聞いて、天丼と言っていた相棒もその定食を頼んだ。暇だから、なおもメニューを眺めていたら、その定食とカレーとその他幾つかのメニューだけがランチだと安くなっていた。頼んだ時はそんなことは知らなかったのだが、まぁ、安くで頼めたのはラッキーだった。

 カワホルモンて何なのだろう。現物を見ても分からなかった。特に聞きもしなかったから、今でも分からない。最初は鳥の皮を想像したが、あの鳥の皮には見えなかった。何かの動物の皮膚つまり皮では無いのかも知れない。

 我々の反対側の壁に有ったガラス戸を開けると、そこも座敷になっており、何人もの客がいたようだ。道理で、駐車場の自動車の数にしては客が少なすぎると思った。自動車は恐らく10台はいただろうから。

 みそ汁がつき、そこそこに美味しかった。また来るかと言われると、少し考えてしまうが。

 そのまま国道20号を相模湖に向かって走って行った。途中、行きによった大和の道の駅に寄ってみた。売店が開いている時間に寄るのなんて何年振だろうか。ここには結構寄っているのだが、いつも朝早くだったり夜だったりだから。

 その先も、途中混むことはなかった。普通なら、上野原とか相模湖手前で渋滞するのだろうが、その日は日曜日にもかかわらず、渋滞は無かった。

 中央道に入ると、さすが3kmだか4kmだかの渋滞の表示があった。しかし、少しゆっくりになったところもあったが、基本的には渋滞は無かった。八王子から先も、首都高も、三宅坂の渋滞表示はあったものの、渋滞は無かった。お陰で、8時ころには家に着くことができた。

 昼前に出発して、到着は夜だから、それなりに時間がかかった訳だが、あまりにもゆっくりと走ったせいか、疲れというものはほとんど感じなかった。途中やっぱり眠くなったりはしたが。


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作成年月日 平成20年12月 6日
作 成 者 本庄 章