とあるボルダーその18そして白州町のボルダーその3

2006年 8月23日記

 今年の春、仲間の一人が山梨の方に引っ越したという噂を聞いた。これは、ご新居訪問を敢行しなければと思いつつ、他の仲間からのお誘いも無かったので、なんとなく行きそびれていた。そうこうするうちに、最近、その仲間は結婚したらしいとの噂が入ってきた。何人かの仲間達がその新居に尋ねていったとの話も伝わってきた。

 暫く一緒に外に行くことの無かった仲間が、日曜日と月曜日で、その山梨の仲間宅を訪問するとの情報が入ってきた。小生も行きたいと思っていたので、相棒に行かないかと誘ってみた。しかし、相棒からは良い返事がもらえなかった。山梨の仲間を訪ねるという仲間はご夫婦でとのことなので、小生一人ではと諦めかかっていたら、もう一人の仲間が、日曜日の日に日帰りで山梨の仲間を訪ねることになったとの情報が入ってきた。当然ボルダリングをやりにということであるから、仲間と落ち合う先はとあるボルダーエリアということであった。

 幸い、日帰りするというその仲間に、山梨の仲間が、日曜日の日帰りなら土曜日の夜から来いとのお誘いをかけてくれていたので、早速日帰りするという仲間に、土曜日の夜から一緒に山梨の仲間宅にお邪魔しないかと声をかけてみた。何しろ、もう2ヶ月近く外には行っていなかったのだ。

 とまぁ、そんなこんなで結局、その仲間とは別々に出発し、山梨の仲間の家の近くのスーパーの駐車場で待ち合わせるということで、土曜日の夕方一人で家を出発したのだった。

 家を出てすぐに道路が渋滞し始めた。近くで大きなイベントがあるとき以外は滅多に渋滞しない場所なのだが、運悪く、何かのイベントにぶつかってしまったのだろうか。夏休み真っ只中の土曜の夕方だからなのだろうか。その先暫くの間は、中央分離帯があって、脇道も入ってこない場所だから、引き返すに引き返せない。暫く我慢して走ったり停まったりを繰り返すしかない。まぁ、そのよくイベントの行われる場所の前を抜けると、自動車は走り出した。

 首都高に入ると、ここも渋滞気味ではあったが、それほどの渋滞も無く、途中、サービスエリアでおにぎりを買ったり、給油したりして、無事山梨に着くことができた。と言っても、約束した時間よりは40分近くも遅れていた。

 待ち合わせと言っても、仲間の家のすぐ近くだし、待ち合わせ場所に小生がいなければ先に行ってくれとの伝言はしておいたので、既に仲間はいないだろうと思ったが、念のためと待ち合わせ場所に寄ってみたら、仲間の自動車が停まっていた。

 仲間の自動車に近づくと、リアのワイパーに紙が挟んであって、そこに近くの食堂に居ると書いてあった。

 既に暖簾の仕舞われたその食堂に入って見たら、その仲間とその連れ、そして山梨の仲間夫婦が食事をしていた。

 途中おにぎりを食べたりはしたが、おなかが少し減り加減だったので、小生も一緒に肉うどんを頼んでしまった。

 その夜は、お互い久しぶりの仲間たちと色々取り止めの無いお話をし、そのまま泊めていただいた。

 朝、目が覚めると、既に8時であった。まだ6時かそこらかと思ったのだが、思いのほか寝てしまったようだ。

 やはり久しぶりにお会いすることになる、仲間のご両親が見えていた。しかし、ご両親達は、別のところに行くと言う事で、我々が朝ごはんをご馳走になっているあいだに先に出発された。

 途中、コンビニで買出しをして、10時頃、何時もの駐車場に到着した。

 すごい。駐車場の2/3は埋まっている感じだった。ほぼ一年振り位だから、以前もそんなことがあったかどうかはあやふやになってしまっているから(最近特にその現象が激しいのだが)、今回に限ったことではなかったかもしれないが。

 なんだか見たことのある人が居た。やはり仲間だ。その仲間も一人で来たらしい。その仲間を交え、総勢6人で最初のエリアに向かった。最初のエリアと言っても、山梨の仲間に全てお任せだから、タダタダついてゆくだけなのだが。

 ボルダラーらしき人達が見える岩の横を抜け、遊歩道から山道に入り、ほんの少し行ったところで沢筋に降りていった。小生にとって、どうやらはじめての岩のようだ。

 このエリア、何回と無く来ているが、知っているエリアに行くということが極端に少ないのである。特に山梨の仲間と一緒のときはまず初めての岩と言う感じなのである。このエリアに山梨の仲間とは別に小生だけで来たと言うことが何回かしかないから、殆どがはじめてのエリアや岩に行っていたと言っても過言ではないかもしれない。まぁ、それだけエリアは広く、岩数が多いということだ。因みに、ボルダー課題は目出度く千課題を越えたとのことであった。

 高さは4m前後か。少し大きめの岩である。斜面の下側に面する広い正面と、正面の左側の狭い面が登攀の対象である。傾斜はほぼ垂直と言ったところだ。上には草が茂っている。その正面の左の方に、長さ1m弱のちょっとしたバンドが水平近くの角度で2本か3本存在するところがある。リップ直下にちょうど良さそうなホールドも見える。少しやさしそうに見えた。

 仲間の一人がそこを登りはじめた。しかし、リップ直下のホールドから、リップのホールドを探りながら、もたもたしていた。なんだかそこから先が悪いらしい。結局その時はそこから降りてきてしまった。やさしくはなさそうだ。

 もう一人の仲間が左面を磨いていた。そして、その面の上の方を覗いてそのまま降りてきてしまった。

 この岩の正面の、ちょっとしたバンドのあるところの右側の辺りは、ホールド、スタンスが乏しく、少しむつかしめらしい。そこには、バンドの所ら辺から、右斜め上のホールドにランジと言う課題、細かい皺みたいなところや指の腹が入るか入らないくらいの小さなポケットなどをつなぐ課題などが設定されているらしい。

 最初にやさしいと見えたバンドの所は、難しそうだったので、山梨の仲間にやさしいと言われた、左面のところを触ってみた。

 ちょうど目の高さ辺りにちょっとしたバンドがあり、そこでスタートしてそのバンドに乗るとリップに手が届く。しかし、リップの上は結構傾斜があり、リップ自体をホールドにすることは出来ない。まごまごしていたら、先に登っていた山梨の仲間がホールドを教えてくれた。

 そのホールドは直接は見えないから、教えられた辺りを探ってみたら、僅かな皺見たいなカチがあった。足はしっかりしているし、傾斜は無いから、小生でも何とか持てたのだが、次の足をどうしようか迷っているうちにそのホールドしている指がヌメりだし、バランスを維持できなくなってきたので、降りる算段をしているうちにバランスを崩してしまった。

 仕方が無いから急いで飛び降りたのだが、着地したときに右手を地面に付いてしまった。少し痛みを感じたので、掌を見たら、僅かに皮が剥けており、血が滲んでいた。

 このままではまずいと思ったので、すぐさま登り返し、そのカチを持つ指を親指で固めることに拠って何とか登ることが出来た。

 甲府の仲間の奥様、って、実はこの方も仲間なのだが、が正面のバンドの所を登っていたので、小生も登ってみた。

 バンドから、フレークの淵のカチなどを繋いで、リップ下のホールドを左手で持ってみた。ワッ、悪い。下から見ていたときにはガバチックに見えたホールドが実は悪かったのだ。最初の仲間が登っているのを見ていたときに、その上のリップのところのホールドを左手で取るので、そのリップ下のホールドはクロスで右手で取ればと考えていたのだが、クロスでとれるホールドではなかった。そのことは、先に登った仲間も言っていたのだが。

 考え直し、山梨の仲間のやった、その悪いホールドから、そのホールドのほぼ真上になるリップのうえのホールドをクロスで取りに行くというムーブを試そうとしてみたのだが、それも身体が少し上がると手が外れてきてしまって、うまく行かなかった。といって、最初に登った仲間がやったように、そのホールドの下のフレークのカチを中継してリップ直下のホールドを右手で持つと言うのも、左手で持てそうなフレークのカチも見つからず、結局は断念するしかなかった。

 登り始めてすぐに落ち始めた雨粒が少し大きくなってきたようだ。ガスも上から降りてきた様でもあった。この天候では小生にはこの課題は無理なのだろう。

 そろそろ12時になると言うことで、後発の仲間と待ち合わせた東屋に移動することになった。

 山梨の仲間が後発の仲間と電話で連絡を取ったところ、ちょうど黒森辺りを走行中とのことだったので、一旦駐車場まで降りることにして、雨具を出して、皆で駐車場まで下っていった。

 駐車場に降りると、既に後発の仲間は到着していた。後発の仲間の奥様は、お子さんが自動車に酔ってしまったらしく、その後始末に追われているようだった。

 雨は上がっていたが、岩も濡れてしまったようだったので、万が一雨だったとしても、サン○リーの工場見学が出来る、山梨の仲間が朝練をしているらしい、白州の神宮川沿いのボルダーに行こうということになった。

 その途中に少し岩があると言うことで、まずはその岩を目指して、自動車5台で出発した。

 途中、また雨が降ったりやんだりして、その岩の傍に到着したときには、また雨が少し強く降り出してしまった。雨が降っていなければ、その岩で少し遊ぶ予定だったのだが、後発の自動車が連れてきた言われる、雨雲のために、岩で遊ぶことは諦め、岩の見学だけに行くことになった。

 一部の岩は川原に、一部の岩は山の中だった。山の中の岩は、ダイクが結構複雑に発達した、ほぼ垂直の結構面白そうな岩だった。

 神宮川のボルダーの入り口に到着すると、自動車が数台停まっていた。そこに5台の自動車が到着したものだから、自動車を停める場所がなくなるほどになってしまった。おまけに、我々の後ろにも2台ほどの自動車がくっついてきたものだから、岩の近くの駐車スペースは満杯になってしまった。それにしても、そこがそんなに混んでいようとは想像だにしなかったことだった。山梨の仲間も驚いていた様子だった。

 岩の方から何人かの人たちが歩いてきた。その中に、最近行った千葉の新しいジムの人が居た。その人たちは、その上の滝を見に行くとかで、自動車で出て行った。

 岩の傍に行ってみると、思ったほどの人は居らず、岩の傍に張ったタープの中に2〜3人の人しか居なかった。殆どの人は滝を見に行ってしまったのだろうか。

 川側の被った壁の下に荷物を置き、少し休んだ後、上流面の課題のある面に行ってみると、その面の左側の山側のスラブ面を仲間が登っているのが見えたので、小生もそちらに行ってみた。

 仲間は一番左の方のところを登っていたので、その少し右のところを触ってみた。全く離陸が出来なかった。それを見て、山梨の仲間は、「一番難しいところから登ろうとしている。さすがだ。」とか何とかいった。確かに。仲間が登っていた、一番左端に近いところをまねて触ってみたら、やっぱり離陸が出来なかった。確か前に来たときには登ったはずなのだが。やっぱり条件は相当に悪かったようだ。

 千葉の新しいジムの人が来て、少し大きめの横長のポケットのあるところが易しいと教えてくれたので、そこを触ってみた。

 ここも確か前回登ったはずなのだが、離陸すら出来なかった。今回はスラブは諦めるしかないようだ。

 上流面に戻り、その面の確か一番易しかった課題を触ってみた。

 ちょうど目の前辺りのちょっとしたバンドの突起を左手で持ち、右斜め上の少し大きめのホールドを取りに行く。それが第一手目である。足は、左斜め下のちょっとしたスタンスに、左足、或いは右足である。

 最初は左足で第一手目を取ったのだが、少し遠い目に感じたので、次には右足で取りにいってみた。右足の方がいくらか楽な感じはした。

 次はスタートのホールドのあるちょっとしたバンドに左足である。しかし、右足のスタンスがはっきりしないから、なかなか左足が上がらない。右手も、決してしっかりと掛かるホールドではないから、足を動かしている間に指がずれてくる。仕方が無いから飛び降りた。

 その課題に挑戦した女性の方が居たので、その方のムーブを見てみたら、スタートホールドの左側に左足のヒールを掛け、途中ちょっとしたカチで中継しながら、左手で少し遠い右上のホールドを取りに行っていた。スタートがほぼ同じの、トラバース課題をやっていた男の人達もいたのだが、その人達は、殆どがスタートホールドの右側に直接左足を乗せに行っていた。

 最初は直接左足をあげるムーブをやっていたのだが、右足が決まらず、といって、他の男性のように、右足に頼らず、いきなり左足を上げることもできなかった。僅かに一回だけ左足が上がったのだが、その足に乗り切ることが出来ず、そのまま落ちてしまった。

 ではと、女性陣のヒールフックを、右足スタートでやってみたのだが、ヒールをかけることが出来なかった。何回かの後、ヒールがやっと掛かったのだが、残念ながらそのヒールに体重を預けることが出来なかった。やっぱりヒールフックはものすごく苦手なことを再認識した結果に終わってしまった。

 その後は、右手の親指を利かせたりしながら、何とかもてるようになってはきたのだが、結局は懲りずにしつこく追求し続けた左足上げは、光明すら見いだせなかった。

 同じ課題を何回も何回もやっていたものだから、完全に疲れてしまったようで、最後には最初の一手目すら取れなくなってしまった。

 仲間は、その課題の左側の1級の課題を皆が登り、山梨の仲間も、そのマントルの1級の課題の下を左の方にトラバースして、カンテの左側に出る課題とかを完成させ、そろそろ帰ることになった。

 その前に、奥にあると言う幾つかの岩を皆で山梨の仲間に案内してもらった。

 林道に戻り、少し奥に行くと、道は再び川原に出る。川原には幾組かのバーべキューを楽しむ集団が居た。この地方のこの時期のメジャーなレジャーのひとつのようだ。この時期、山梨県内の川原を歩くと、おそらく数え切れないほどのバーベキューを楽しみ、川遊びに興ずる集団に遭遇することが出来るであろう。

 川原を横切ると、ゲートがあった。来たときに出て行った千葉の新しいジムの人は、ゲートが開いていれば滝まで行くといっていたが、そのゲートは閉まっていたので、すぐに引き返してきたのだろう。

 そのゲートを越えて少し進むと、「白州トワイライト」だかなんだかという課題のある岩があった。少し大きめの岩なのだが、チョーク跡は全く無かった。山梨の人にそう言ってみたら、その岩はそのトラバースの課題しかないから、と言っていた。

 戻り掛けに、バーベキューをやっていたらしいおじさん達がなにやら騒いでいた。相当お酒に酔っているようだった。そのうちの一人が自動車に乗り込んでエンジンをかけていた。ヤバイ。早く帰らなければ。そういいながら、歩いていたら、後ろからその自動車がやってきた。一生懸命道路の端に寄ってしまった。

 武川の湯に寄る事になった。武川の湯は、ちょうど帰る道のすぐ脇だったのだ。

 第3駐車場に自動車を停め、武川の湯の敷地に入っていったら、いくらか駐車スペースが開いていた。そして、見慣れない、「第2駐車場(50台)」の看板が目に飛び込んできた。「以前から我々の停めたところは第3駐車場だったよなぁ。前からこんなのあったのだ。」後発の仲間と確認しあってしまった。

 夕食は韮崎のバー○ヤンという所に行くことになり、山梨の仲間を先導に出発した。

 国道の交差点に差し掛かり、小生の前を走る後発の仲間は右折のウインカーを出した。当然右折すると思っていたら、急に直進に変えてしまった。そうか、国道を行かずに須玉インター付近からそのレストランのある県道に入るのか。そう思っていたら、後発の仲間の自動車が左折のウインカーを出し、道の縁に停まってしまった。で、Uターンをしだした。やっぱり道を間違ったのか。「でも、なぜ」と思っていたら、一番後ろに居た自動車が先頭になって走り出した。よく見ると、山梨の仲間の自動車だった。???

 後で聞いたら、後発の仲間が山梨の仲間の自動車だと信じて疑わなかった自動車は良く見たら、一人しか乗っていなかった。で、自動車を間違ったと気付いたのだと。確かに山梨の仲間の自動車とそっくりだったようだ。

 9時頃まで、皆と一緒に夕食を摂り、明日まで残るという後発の仲間と、山梨の仲間に別れ、高速のインターに向かった。

 何時ものように、20号線を暫く走り、高速代を浮かそうとも考えたのだが、既に9時だし、あまり遅くなってもと、迷わず韮崎から高速に乗ってしまった。

 すると、やっぱり談合坂から先は渋滞との情報が流れていた。こんなことなら、何時ものように国道を走るんだった。レストランからインターまではすぐだったから、高速の情報を得る暇が無かったのが敗因だったようだ。

 仕方が無いから、今度はガソリン代を節約すべく、約80kmで高速を走っていった。

 途中、談合坂サービスエリアが混んではいなさそうだったので、そこに寄ることにした。

 談合坂のサービスエリアは、大分様子が変わっていた。大型と小型の駐車スペースは完全に分けられ、小型の駐車スペースは、各ブロック毎に空き状況が表示されるシステムが導入されていた。駐車スペースも、今までのようにだだっ広い広場に線が引かれているだけというのではなく、一台一台車止めがあり、自動車のタイヤが通らない場所はコンクリートの舗装は無く、水が浸み込むように地面にプラスチックの網のようなものが被せられているタイプのものだった。

 しかし、「空」と表示された駐車ブロックの殆どが満車であり、どこが空いているのかさっぱりわからなかった。暗いせいもあったのか、ものすごく不安になりながら奥に進んだら、やっと1台分のスペースを見つけることが出来た。駐車スペースは今までのように高い位置からの明るい照明に照らし出されるということがなく、全体にものすごく薄暗くなっていたから、余計に不安にされてしまった。寝るには良いかもしれないけれど、という感じだった。

 それぞれのブロックは細長く、ブロックとブロックの間は茂みで分けられているから、その駐車スペースを一番奥まで歩いていったら、一番奥には駐車スペースが幾つかあった。そこにたどり着くまでにも「空」の表示はいくつもあるのに、殆ど空いていなかったから、多分殆どの人たちは不安になって空きを見つけるとすぐに停めるということになったのだろう。そのために空いているのは一番奥ということになったのだろう。それにしてもなんだか馴染みにくいシステムの様だった。

 上野原から渋滞が始まったのだが、相模湖の手前では大分に走り出し、それほどの時間は掛からなかった。八王子を過ぎると、調布付近で5kmほどの渋滞があり通過に35分程掛かると電光掲示されていた。既に12時を過ぎていた。

 しかし、その渋滞も、30分も掛からず、10分か15分で抜けることが出来、1時前には家に着く事が出来た。

 考えてみたら、8月20日日曜日とは、お盆後半の帰省ラッシュ真っ只中だったのだ。不覚だった。

 翌朝、起きだしたら、腕、足など、身体中が痛かった。筋肉痛である。白州で、久しぶりのボルダリングだというのに、筋トレをやりすぎたようだ。まぁ、翌日には筋肉痛が出るということは、まだまだ若いということか。ということにしておこう。


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作成年月日 平成18年 8月23日
最終改定日 平成19年 1月29日
作 成 者 本庄 章