豊田梟城址ボルダー偵察そして城山城跡ボルダーその5

2006年12月28日記

 暮れの日曜日の一日、豊田に行って来た。例に因って、名古屋の帰りである。

 金曜日の夜中家を出発し、途中東名の富士川サービスエリアでの仮眠の後、名古屋に向かった。その日は、ちょっと紀伊半島の方に足を伸ばし、名古屋で一泊した。

 翌日曜日、10時頃の出発の予定が、やっぱりなんだかだで、出発が11時過ぎになってしまい、おまけに、相棒と青矢印の信号のことで少し突っ込んだ話しをしたりしているうちに道を間違えたりしたので、何時もの古美山園地の駐車場に着いたのは12時半頃だった。今回も何時もの方々とお会いすることを楽しみにしていたのだが、到着が少し遅れてしまったので、既に移動された後だった。

 駐車場には結構多くの自動車が停まっており、路肩にまで停められている自動車があったのだが、メインの駐車場は、豊田の方々が移動した後だったせいか、空いていたので、そこに自動車を停めた。

 念のためと、連絡用の白板を見に行くと、大楠林道の「リクエストエリア」に行くと書かれていた。「雷岩」の奥とも書かれていた。しかし、小生には「雷岩」の場所はわからない。大雑把な場所しかわからない。その辺まで行き、探すということも考えられたが、結構広い場所だから、先ず見つからないだろうと、それは諦め、前回宿題を幾つか残した、「城山城跡」に行くことに決めた。

 歌石の駐車場に行くと、結構多くの自動車が停まっていた。中には北海道や九州のナンバーの自動車も居た。

 ちょうど支度をしてる三河ナンバーの自動車の方がいたので、駄目もとと「リクエストエリア」を聞いてみたが、やはりその方は知らなかった。

 このエリアも結構人が多いだろうと勝手に考え、以前から気になっていた、向かいの山の「梟ヶ城址」にあるという、梟城址ボルダーを偵察に行くことにした。といっても、今回は豊田のボルダーの資料は何も持ってはいなかったのだが。

 この梟城址ボルダーだが、大分以前の雑誌にその存在が報告されてはいるが、そこには可能性がある位な情報しか出ていない、現在は殆ど忘れ去られたエリアらしいのである。従って、どんなボルダーなのかの偵察が主な目的であった。

 駐車場を出て、通りに出ると、指導標があったので、それに従って細い舗装路を登って行った。

 自動車で登ろうとすれば登れないこともない、大分に細い道路で、入り口には、一応申し訳程度に大分に錆びた自動車進入禁止の標識が立っていた。

 木々に囲まれ、僅かに切り通しになったところを登ってゆくと、展望の利く少し細い尾根に出てからコンクリートの丸太様の棒で作られた階段になった。階段部分を避けて端っこを登ってゆくと、正面に大きな石が現れた。高さは3mくらいだろうか。そこから右に進むと、また直ぐに、それよりも二周りほど大きな石が現れた。

 相棒はそのまま階段を登って行ったが、小生はその大きな岩を回り込み、その岩の裏の方に続くかすかな踏み跡に入ってみた。その上には3m前後の石が二つか三つ重なっていた。

 藪を漕いで道に戻ると、そこは広場になっていて、頂上の様だった。周りには何本もの桜の木が植えられていて、ちょうど真ん中辺に、床の高さが2mから3mくらいの東屋が建っていた。その広場は、東西63m南北36m程の広さがあるらしいから、結構広い広場だ。因みにこの山は城段戸と呼ばれる山で標高は252.5mらしい。

 ちょうど昼時でもあったので、古美山への道の入り口のコンビニで買ってきたパンを食べるべく、東屋に上がっていった。

 真ん中の柱の周りの椅子に腰を下ろし、相棒と色々と話をしながらのんびりしていたら、下の方から人の声が聞こえてきた。暫くすると、数人の我々と同じような年恰好のグループが登ってきた。

 近くにお住まいの方々の月に1回ほどのハイキングを楽しんでいるグループの方達だった。大滝から古美山の方を回って登ってこられたようだ。

 どこから来たかと尋ねられたので千葉からだと答えた。すると何時帰るかと聞くから、今日だと答えたら驚かれてしまった。午後2時過ぎに未だそんなところでゆっくりとしていたからなのだろうが、普通はそんなものなのだろうか。

 その方たちが下られたので、我々も下っていった。

 来るときには下の方を巻いて裏に回ってしまった石が、表の階段の方から見ると、2mちょっとの高さで、ちょうど良さそうなフェースに見えたので、折角だからと、支度をして触ってみた。

 壁の中には良いホールドやスタンスが見当たらなかったので、左のカンテ絡みで登ってみたのだが、ザラザラということもあって、途中で降りてきた。

 その石の右の方を見ると、下からはすごく高く見えた岩が寄り添うように立っており、その岩との間がちょうど良いクラックというか、チムニーというか、そんな感じになっていた。下の方はちょうど足が入るくらいで、上の方は体が入るくらいの幅である。面白そうに見えたので登ってみた。

 最初はクラックに足を入れてスタンスにしたが、上の方では、表面がいかにもザラザラだったし、落ちたら挟まれそうだったので、身体を入れることに躊躇してしまい、最後までカンテ登りのような感じで登って、左の石の上に立ち上がった。これで一応は梟城址でもボルダリングが出来た。

 その岩の階段になった道の向かいには、最初に見えた石がある。下から見た時はノペッとしていて登れそうに見えなかったのだが、階段側からなら何とか登れそうな感じがしたので、階段側から登ってみた。

 下から見える正面の壁は下部が被っているが、その上は傾斜はゆるくなっている。階段側の面は傾斜のきついスラブ壁になっていて、直登は難しい。しかし、階段側からなら正面の被った部分の上のリップに乗ることが出来そうだ。リップに乗れれば正面のゆるい斜面を上に行くことが出来る。そう考えたわけだ。

 3回目位にやっと側壁からリップに乗って、上を伺ったら、結構荒い結晶があり、登れそうに見えた。しかし、なんだかその結晶がボロボロと取れそうな感じにも見え、そこから落ちると、被った面の下の地面まで落ちることになるので、落下距離は結構長くなってしまう。こんなところで落ちたくはない。既に一本は登ったし。ということで、少し未練を感じたが、諦めることにした。その上は、結晶が安定しているとの確信さえ得られればどうってことのない壁だったのだが。

 以上で梟城址ボルダーの偵察は終わった訳だが、その結果である。

 ボルダーはあった。しかし、ボルダーを巡る踏み跡が僅かに認められたものの、最近そのボルダーが触られた気配は全く無かった。まぁ、察しはついているであろうが、雑誌に発表された情報、「5、6mのボルダーが数個」「殆ど登られていない」「コケもなく、きれいなボルダーばかり」以上のものは殆ど無く、わざわざ行く所でもないというのが小生の結論であった。万が一行く価値があるとすれば、オフィズスからチムニーが一箇所で経験できるクラックがあるというところだろうか。そういえば、豊田にはあまりボルダーのクラックを見かけないから、案外行く価値があるのかも知れない。でも、落ちると挟まって動けなくなる可能性があるから、一人では行かないように。

 なお、その雑誌には王滝渓谷へのハイキング・コースの途中にもいくつかのボルダーが点在していると書かれているが、それらのボルダーを見に行くことはしなかった。因みに「暗くジメジメしており、登る気がしなかった。」とのことである。

 歌石の駐車場に戻り、そのまま上に登って行った。

 階段を登りながら、その階段の先の小さな丘の裏にもボルダーがあると言われたことを思い出した。以前道に迷って、一周した小さな丘というか、城山城址園地だかなんだからしい所だ。

 階段を登りきり、丘を回る道を左の方に進んで裏に回ってみた。裏の斜面にも下りて少し探してみたが、ボルダーは見えなかった。そのまま回りをキョロキョロしながら、一回りしてみたが、ボルダーは見つからなかった。

 階段を少し登り返し、ボルダーエリアに行く山道に入っていった。

 大田エリアの奥の尾根のボルダーに何人かのボルダラーがいたので、一応挨拶をして、城山城跡ボルダーエリアに向かった。

 前回、仙台からの女性達と一緒に最後に挑戦し、敗退した課題がやりたかったので、まっすぐ俊トラ岩に向かった。

 今回は地面に落ち葉が積もっており、踏み跡がものすごく判りにくい。確かまっすぐに下ってゆけば俊六岩の脇に出ると思っていたのだが、途中で道を失ってしまった。仕方が無いから、槍ヶ岳エリアへの降り口まで戻ってみたら、ちょうど下から登ってきた人がいたので、俊トラエリアへの行き方を聞いて見た。そうしたら、その方がそこに荷物を置いて、一緒に俊トラ岩まで案内してくれた。そして、その前回敗退した、僅かに被った、のっぺりした壁をカチから遠い目のガバホールドで繋ぎリップをマントルする課題がある岩ということで、その岩まで教えて頂いた。

 途中、○○サンですよねと聞かれたので、どうして分かるのですかと聞いてみたら、去年の1月頃にご一緒させていただいたとのこと。失礼致しました。

 薄いフレーク様のカチと左足で離陸し、途中、右斜め上のフレークで中継してさらに右斜め上のガバチックな斜めホールドを取る。両手がパツパツになるのを我慢し、右足を大分右の方の下のスタンスに乗せ、左手をフレークに寄せる。その体勢から、左手でリップを取りに行くのだが、右手の斜めホールドは第2関節までしか掛からない平面のホールドである。そのホールドで足を突っ張って少し遠目のリップがどうしても取れない。

 足を色々調べたりしながら、2回か3回ほど、リップをスタテイックに取りに行ったのだが、右手が耐えられず、体が上がらなかった。

 それまでは、リップを取るときに左足をどうするか悩んでいたのだが、左足は切ったまま、右足を蹴ってリップに飛んでみた。見事にリップを捉えることが出来た。

 飛んじゃった。確か5級位だったかだから、まぁ、登れれば何でも良いか。

 この課題、後にトポで調べてみたのだが、はっきりした場所が分からなかった。仲立ち岩の「仲立ち」という課題のような気はする。となれば、c難度ということになるのだが。いつになるかは分からないが、そのうち確認に行くことにしよう。

 先ず最初の宿題が片付いた。次は分裂岩のデルタだ。この課題は既に何年か越の宿題だ。

 分裂岩に行ったら、沢山の人達が居た。デルタとバック・トゥ・ザ・フュチャーUをやっていた。仕方が無いから、森林限界岩の横の岩の「なめたらあかん」をやりにいってみた。a難度なのだが、前回登れなかったのだ。

 途中、もたれ岩の前を通った時に、そこの易しい課題を登れなかったことを思い出したので、靴を履いてその易しい所を登ってみた。

 その課題、斜上するカンテを使って登ってゆくスラブという課題なのだが、下には数十cm程の石が二つ出ていて、落ちるわけには行かない課題なのだ。それで、前回はカンテで天辺まで行かず、途中でカンテを乗っ越してしまったのだ。このカンテ、小生にとっては意外と悪いのだ。

 足を選び、カンテで登り始めた。左の右上するやや寝た角度のカンテで途中まで登り、前回は乗れなかった右の方のカチスタンスに乗ることはできたのだが、カンテが甘くなって来て、ホールドできなくなってしまい、思い切って足に乗ることが出来なかったので、再び、そのままカンテを乗っ越してしまった。

 やっぱり怖い。駄目だ。一瞬諦めようと考えたのだが、再度勇気を振絞り、足を再度確認して、同じことをやってみた。

 なんだか、今回は右方のスタンスに右足がしっかりと乗れていた。カンテも適当な結晶に指が掛かっていた。丸っこいリップ状になった天辺を何とか乗っ越すことが出来た。a難度なのだけど、なんだか嬉しかった。

 靴を履いたまま移動したからなのか、前回は簡単に森林限界岩まで行けたのだが、途中、3回ほど枯葉に足を取られ、転んでしまった。

 荷物を置き、なめたらあかんを触ってみた。

 フレークで離陸し、リップを触ったら、手が止まった。前回はその手がジリジリと滑って止まらなかったのだ。その後は適当な結晶で、適当に足を上げて登ることができた。

 やっぱり今回は岩の状態がものすごく良かったのか、前回が嘘のようだった。

 分裂岩に戻ると、それまで取り付いていた人達は帰り支度をしていたので、マットの無くなった「デルタ」に取り付いてみた。

 フレークを両手で持ち、離陸するのだが、離陸の足がどれだったか忘れていた。たしか、こんな風なと思い出しながら、ちょっとしたスタンスを見つけて、確か左足で半身で乗って、左手を伸ばしたら、リップ下のカチに手が届いた。そのカチで身体を開き、右足のヒールをそのフレークの右端にかけ、右手を伸ばしたら、リップ上に手が伸びた。その両手で適当に身体を支え、左足をフレークに上げて、左奥のホールドを探りに行ったら、落ちた。

 いきなりそこまで出来た。しかし、疲れた。なんとなく本日はそれで終わりと言う感じがしてしまった。

 先に居た仲間が帰ったので、分裂岩の下の壁のバック・トゥ・ザ・フュチャーUを触ってみた。

 3回くらいやってみたのだが、いずれも離陸は出来るのだが、次の手が出なかった。この課題も前回やったのだが、この課題は前回と全く同じだった。仕方が無いから、左のカンテを使ってやっと登ることができた。それでも、結構疲れてしまった。

 少し休んで、再び「デルタ」を触ってみたのだが、離陸が出来なかった。やっぱり最初の予感は当たったようだ。

 既に4時を回っていたので、引き上げることにした。

 多分、潮路ロックだろう岩に居た二人組に声をかけ、自動車に戻った。

 何時もは、岡崎に出る途中か、岡崎で夕食にするのだが、今回は高速のパーキングエリアで夕食にすることにした。

 以前、確か美合のパーキングの食堂が気持ちよかったとの記憶があったので、美合に寄ってみたのだが、なんだか前とは違っていた。もしかしたら赤塚だったのかも知れないが、メニューも大して違わなかったので、そこで土手丼を食べてしまった。

 最近思うのだが、いわゆるセットメニューというのが増えた気がする。前日の伊勢道のハイウェイオアシスとかいうサービスエリアの食堂でもそうだったのだが、ご飯にうどんがついてくるあれだ。我々老人にとっては、うどんなんか付けてくれなくとも、その分安くしてくれと思うのだが、そのご飯にうどんがつく、いわゆるセットメニューというのが多くなった気がするのだ。美合でも鯖の味噌煮定食が食べたかったのだが、それが、うどん付だったのだ。そんなに量が食べられないものにとっては、うどんは無用の長物なのだ。といって、残すのももったいないから、うどんのない、単品の土手丼を頼んだという次第だったのだ。

 来るときは、東京から高速を通しで乗ってきたので、帰りは、節約のために、岡崎から袋井までを通勤割引で利用し、その後は国道1号線を走ることにした。岡崎から100kmだと、菊川から相良牧の原まで行けるのだが、そうすると、高速道と国道1号が離れてしまうので、国道に出やすい袋井で降りようというわけである。

 ここの所、この中抜きを使うと、時間も掛かるし、結構疲れるということで、深夜割引で、通しで高速を使うことが多くなったのだが、最近、通しの深夜割引よりは中抜きの通勤割引+早朝深夜割引の方が早く家に着くことができるということに気が付いた。

 理由はこうである。深夜割引を利用するとすれば、東京には12時以降でないと入ることは出来ない。しかし、裾野からの早朝深夜割引であれば、10時を過ぎれば東京に入れるので、一般道を走っても、うまくすれば2時間ほど早く帰れることになる。深夜割引利用だと、高速で岡崎を6時頃に発ってきても、結局は海老名辺りで時間調整をしなければならず、家に着く時間は1時を過ぎてしまう。中抜きであれば、うまくすれば11時過ぎには家に着ける。おまけに料金が安くなる。とまぁ、そういう計算で、今回も袋井から国道1号線を走り、裾野から高速に乗ったのである。

 途中、東名足柄で、ハンバーガー屋に寄って、ゆっくりとコーヒーなどを飲んでしまったので、東京に入ったのは11時を回ってしまったが、それでも高速を通しで走るよりは1時間近くも早くに家に着くことができた。

 おまけに、高速代が往きの半分くらいで済んだのだった。


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作成年月日 平成18年12月28日
作 成 者 本庄 章