四国その2の7 カラス山敗退、加茂川本谷川エリア、そして終わり

2008年 1月26日記

 四国の第7日目、1月5日である。

 今治湯浦温泉道の駅でみかんを一箱買ったりした後、10時前に出発した。

 目的のカラス山はそこからすぐ近くだった。しかし、相変わらず機嫌の悪いカーナビのため、自分での確認を余儀無くされた。

 192号から裏道に入り、今治カントリークラブを目指した。この区間はカーナビもなんとか機嫌を直してくれれていたので、なんとかゴルフ場前にたどり着くことができた。

 ゴルフ場を過ぎ、峠を越えるとテレビ塔が見える。そう昔の記録には書いてあるのだが、テレビ塔らしきものは見えなかった。2車線のしっかりした峠道を下って行くと、旧道を改修した時の名残らしい、道路のカーブの一部が取り残された部分が所々に出てきた。しかし、その入り口のほとんどに縁石が設けられ、自動車が侵入できないようなっていた。

 そのどこかにカラス山への登山道があるはずだと、気をつけながら下って行ったのだが、それらしいところが見つからないうちに山を下ってしまった。

 また峠まで引き返した。引き返す途中、峠の手前の山側の側壁の上の方に電波塔のようなものが見えた。反対車線からだとちょうど頭の真上くらいの場所だった。反対車線からだと見えなくて当然だった。

 峠でUターンし、今度は自動車の停められそうなところは全部自動車を停めて、付近を捜索して見た。

 自動車を停められるところは殆どが旧道部分の縁石の前だったのだが、そういうところは大体が沢筋だった。道路により尾根を切られているので、登山道は多分そのような沢筋から尾根に取り付いているだろうと、そういう場所を重点的に探した訳なのだが、なかなか登山道はみつからなった。2本くらい見つけた踏み跡は、いずれも途中で消えていた。

 古い記録を見直すと、登山道の脇の沢には堰堤のような記号があった。次からは堰堤を中心に探して見た。

 大分下に下がった、堰堤の見える大きな沢のところを捜索すると、コンクリで作られた急な階段が、道路で切り取られた尾根の側面を登っていた。その入り口には何の案内もなかったが、それに間違いないと、登って行くと、道路の側壁の上から尾根沿いに結構しっかりした踏み跡が上に伸びていた。

 相棒を呼びに戻り、再び相棒と二人で登って行った。

 その道はすぐに樹林帯を抜け、潅木帯の尾根道になった。右側の結構急な斜面には確かに岸壁が見えた。その岸壁、及び左側の将棋岩というところに行く踏み跡の登山道との十字路が出てくるように記録にはあったので、そのような十字路になりそうな場所を気をつけながら進んだのだが、尾根は痩せており、そのような感じのところは出てはこなかった。

 そのうち、だんだん高度を増し、潅木帯が濃くなってきて、岩影の匂いは薄くなってきた。なおも進むと頂上のようなところに出て、踏み跡はそこから急傾斜で下っていた。そこには何の表示もなかったが、そこが頂上かと思い、引き返してきた。

 やっと登ってきた相棒を迎え、記録を見直して見た。記録には、十字路の上の登山道脇にモアイ岩があるようにかかれていたので、相棒をそこに残し、再び上の方に登って見た。結局先程のピークに出てしまった。

 再度ゆっくり引き返しながら、脇に入れそうなところを捜索して見たが、いずれも傾斜がきつく、岩もぐずぐずの感じだったので、諦め下ることにした。

 戻りながら、登るときに、右斜面にはちょっとした岸壁が見えたはずなのだがその写真を撮っていなかったと、相棒をその場に残し、小生一人でまた登っていってみた。

 結局先の頂上まで登っていったのだが、そのような岸壁は見つからなかった。なんだかキツネにつままれた気がしたが、し方がないのでまた下っていった。

 後日談だが、このカラス山付近の2万図を調べて見ると、その登山道は、我々の行っただろうピークをいったん下り、再度隣のピークに登り直すようになっていた。

 またしてもやってしまったのかも。最近はいつも下調べした情報をもって行くのを忘れたり、もって行っても現地で全く参照しなかったりとの行動がよくあるのだ。それで、帰ってきて、しまったということがすごく多くなったのだ。若いころはこんなではと、いつも反省したり、嘆いたりしている訳である。

 カラス山は、実は密かに期待をしていたエリアだった。いわゆる普通に期待ということではなく、極マニアックな岩場として期待していた訳だが、あまりにもマニアック過ぎたようだった。

 落ち込んでも仕方がないので、次のエリア、前回通り過ぎてしまった加茂川エリアに行くことにした。時間は既に12時を回っていた。

 196号から11号に出て、194号に入ると間もなくの場所のはずだ。ということで、196号に戻ったのだが、またしてもカーナビが言うことを聞かず、ちょっと迷ってしまった。

 そのカーナビだが、点けると直ぐに画面が消えてしまうのだ。消してまた点けるとしばらく点いていたり、直ぐに消えたり。特に走りだした直後はその現象が激しく出るのだ。その現象が、収まったり収まらなかったり。全くもって気儘なのだ。

 西条市に入り、しばらく11号を走ると、194号の分岐が出てくる。国道から国道への分岐は大体が案内板があるので見過ごすことはない。しかし、松山市内は違っていた。愚痴を言っても仕方がないが。

 194号への分岐も間違いなく分岐できた。

 高速を潜ると、ロータリークラブの大きな看板がある駐車スペースが出てきた。案内板のある駐車スペースを探していたのだが、どんな案内板かは分からなかった。一先ずそこに自動車を停めた。

 道路の反対側を見ると、石屋の資材置き場のようなところが見えた。駐車スペースの向かいの資材置き場の横から川原に降りるという案内に符合する。ここだろうか。そう考え、相棒は自動車に残し、偵察に行ってみた。

 石屋は中洲の上という感じで、回りを川で囲まれていた。その川を渡る橋の先には扉が設けられていた。その橋の横から川原に続く下の川に降りるには、石屋の敷地内に、その扉を乗り越えて入らなければならない。思いっきり家宅侵入だ。それはできなかったので、外の方法を探して、下流方向に移動して行った。

 その中洲のようなところは結構細長く、大分下流まで行って、やっと道路から直接川原に出られる階段が現れた。コンクリートの結構立派な階段だった。

 階段を降りて行くと、その先は結構広い小砂利を敷き詰めたような川原だった。実は、その中洲が邪魔をして川原が見えなかったのだ。

 そこから見える範囲にはボルダーの影は全く見えなかった。中洲の上流の川原は中洲が邪魔をして見えなかったので、その中洲の川原側の石を積んだ壁沿いに上流に行ってみた。しかし、途中で川原がなくなり、その先には行けなくなってしまった。おまけに、その側壁の脇は少し大きめの石ころが川面にゴロゴロしており、それを伝いながら進んでいたので、水に落としてしまった帽子を拾う拍子に、自分自身が水に落ちてしまったのだ。帽子はビチョビチョ、靴もグズグズ。いやになって引き返したのだった。

 引き返す途中で、砂利の上になんだか白く光る板が目についた。見ると、キャッシュカードのようだった。拾って見るとETCカードだった。そこからほんの100メートルか200メートルのところにすごく高い高速の橋が架っていた。そこを走る自動車からでも落としたのだろうか。それとも上流で落として流れてきたのだろうか。カードを見ると、まだ有効期限内だったので、一応持ち帰った。

 石屋の上流の川原には竹やぶがあった。そこの道路の法面はそれほど急ではなかった。多分降りられるだろうと、そちらから川原に行ってみた。竹やぶと川原の間にはまた川が有った。竹やぶから透かして見た川原は相変わらずの砂利の原だった。

 どうも違うようだったので、自動車に戻り先に進んで見た。

 自動車の中で、相棒にETCカードを拾ったことを伝えると、見せてというから、カードを相棒に渡した。相棒が、カードを届けると何かもらえれるらしいといいながら、カードを見ていたのだが、やっぱりカードにも連絡先が書いてあるといった。そして、その番号に電話をするため、携帯を取り出した。しかし、圏外だといって、また携帯をしまった。

 川は堰のようなところの先で二股に別れ、道はその川の支流と思われる左の川の方向に進み始めた。こちらの川は急に細くなり、道は川の右岸を山間に入って行く感じで傾斜を増し始めた。

 道路が何回か曲がった辺りで、左側に広めの駐車スペースが現れ、その駐車スペースの端には大きなもうすぐ高知とかかれた観光案内板があった。

 自動車をその看板の近くに停め、反対側にあったちょっとした資材置き場の方に行ってみた。

 川は道路より結構低いところを流れており、そこからは川原が見えなかった。資材置き場に入り、川原への降り口を探して見たが、そこから川原へは切り立った壁になっていたので、降りるのは無理だった。薮が濃く、そこからは直接は川原が見えなかったので、道路に戻り、下流方面に歩いて行った。

 資材置き場の端っこ辺りで川原が見え始めたので、覗き込むと、結構大きな岩がゴロゴロしていた。

 川原への降り口を探ると、資材置き場の下流側の壁沿いが何とか降りられそうに見えた。

 自動車に戻り、支度をして、相棒と一緒に降りられそうに見えた所に向かった。

 資材置き場と道路の境には柵があったので、鎖をかけられた入り口から資材置き場に入り、柵沿いに歩いたのだが、枯れ草などが厚く積もっていたりして、これが以外と歩き憎かった。

 資材置き場の端からは、背が高く茂った草や薔薇の蔓などをかき分け、結構苦労しながら降りて行った。

 後ろから相棒が呼ぶので、どうしたのか聞くと、どちらに行けばよいかと聞いてきた。そのまま真っすぐ降りてくればよいと声を返すと、しばらくして、傾斜のきつくなった側壁をトラバースしてきた。そんなところを歩くと危ないと行ったのだが、そっちの方が歩き易く見えたのでそっちに入ってしまったと言った。事故が無くよかったのではあるが、一瞬焦ってしまった。

 そこからは茂みは無くなったが、結構急になったところを川原まで降りた。

 ボルダーは対岸に集中していたので、飛び石伝いに対岸に渉って行った。

 その場所は川が少し湾曲している場所で、その対岸が結構広い川原になっていた。

 徒渉地点から少し上流に行くと、ちょっとした茂みの奥が、ちょっとした砂の広場のようになっており、大きな岩の奥に手頃な岩が転がっていた。結構気持ちの良さそうな場所だったので、一先ずそこの岩陰に荷物を置いた。時間は2時を少し回っていた。

 支度をして、正面に見えた、高さが2mちょっとの、上の平らな大きな岩の垂直に切れた面を触って見た。切れたといっても、適当にホールドやスタンスはあり、決して難しくは無かった。

 続いて、その岩の川側の、もう少しゴツゴツした面を触って見た。そっちはいくらか被った所もあったが、やはり難しくはなかった。

 この広場への入り口に5〜6mの高さの結構大きな岩がある。その1面が、結構平らな90度弱の立派な壁になっている。その右下半分位が45度位に切れ込んでおり、その切れ込んだ上の右カンテは大きな凸凹があって、適当にホールドを提供している。

 その壁の真ん中当たりからスタートし、下が切れたリップ沿いに右上して右カンテを捕らえ、一歩か二歩上がれば上の凸凹が取れる。そんなラインが見えてきた。高いし、途中のカンテを取るところ、上の凸凹を取るまでの一手か二手が難しそうだったが、できれば結構見栄えのするおもしろいラインに見えた。

 そのラインが過去に誰かに登られているかどうかは分からなかった。上の方の壁が少し苔がついていたし、そのうえの凸凹も磨かれた気配はなかったので、触られてはいない感じもした。いずれにしろ、気をつけなければならないラインだった。

 単なる初級の課題しか登れない旅行者ボルダラーにはちと荷が重すぎるラインにも感じたが、そんなに難しいとも見えなかったので、思い切って取り付いて見た。

 適当なカチで離陸し、斜上するリップに沿って一歩上がり、左手を寄せ、足を入れ替えて右のカンテ付近のホールドを取りに行った。ここが少し遠かった。で、結局届かずに落ちてしまった。

 そこは何回かやれば取れそうだったが、核心はその先だった。そこを越えてしまうと、引き返すことができなくなるから飛び降りなくてならない。しかし、高さが増すから飛び降りる訳には行かなくなる。パッドもないしスポッターもいない。未練はあったが一回で諦めた。

 その広場の反対の入り口付近には、下が140度か150度位に切れたルーフをもった岩があった。ここにきた時に、一番最初に目についた岩だった。そのルーフのリップをトラバースし、天辺辺りでマントルもおもしろそうだと、触って見た。

 リップにヒールをフックしたりして、真横になりながら3手か4手進み、一番出っ張ったというか高いところ辺をマントルした。しかし、きれいなヒールフックにはならず、ヒールはかけたものの膝を使ったずり上がりになってしまった。でも、登ることはできた。

 荷物はそのままに、少し上流に行ってみた。

 少し高い易しそうな壁をもつ大きな岩が現れた。小生の大好きな岩だ。登って見たら、傾斜はそれほど立ってはいないし、ホールド、スタンスは豊富だしで、多分10級だった。惜しむらくは、もう少し高さがあれば、というところか。

 全体に白っぽい、縦に波打つように縞の入った、高さ3m程の岩が現れた。見ると、結構すべすべしていて、カチ系のホールドはほとんどなく、縞状のコルネ様のものも、スローパーチックだった。壁全体が大きなうねりをもっており、部分的には僅かに被ったところもあった。面白そうなので触って見た。

 一番縦縞のはっきりしたところを登ろうとしたのだが、出だしの1m位が少し切れており、そのうえの面には小生用のホールドが見つからなかった。少しホールドを探ったりムーブを探って見たのだが、離陸ができなかった。

 仕方がないから、いつも仕方がないのだが、その右の上の方が少し被った、地面からほぼ垂直に立ち上がる面を登ることにした。そちらは、出だし用の足もあり、上の少し被り始めるところにホールドもあったので、苦労する事なく、おまけに、その岩の一番高いところ登ることができた。高いと言っても3mちょっとだったのだが。

 回りにはそこそこの大きさの岩が幾つかあったので、適当にマントルができそうなところ、高さ2mちょっとの四角柱が斜めに立ち上がっている、その被った面のカンテ、などを適当に触って遊んだ。

 流れ沿いに、このエリアでは結構目立つ、大きな岩が存在する。最初は高さが高かったし、小生に登れそうな傾斜の面も見えなかったので、見に行かなかったのだが、時間もまだあったので、その岩を見に行って見た。

 まず流れに面した、6、7mのほぼ垂直の壁を見に行った。その岩は、川原が川の少し手前で、1m近く盛り上がった、丁度その境にかかっており、川に面した岩の下は、腰の高さ位のルーフ状になっていた。その上は真っすぐに切れ上がっていた。

 その面を登るのは無理そうだったが、ちょうど肩辺りの高さにホールドがいくつかあったので、そこをトラバースして見た。しかし、ホールドは外傾していたし、足も良くはなかったので、離陸も結構難しく、その先1手も進むことができなかった。

 その岩の下流面は、下が1m位切れていたので、最初は無理だと諦めていたのだが、一応触って見た。すると、右手リップにオポジションで、左足がリップに上がることが分かった。そのままその左足に乗り込み、右手はそのままに右足を上げたらリップに乗せることができた。上は寝ていたから、そのまま上に行った。

 その辺りの主だった岩はそんなところだった。荷物を置いたところまで戻る間に、適当にマントルのできそうな岩を2つ3つ触って見た。

 小生はヒールフックが苦手だったので、そのヒールフックを練習して見たのだが、格好よくヒールから入り、そのまま膝を立てて行くマントルにはならず、どうしても、膝が寝てしまい、その膝で岩の上に乗り込むという、なんともぶざまなマントルしかできなかった。

 時間もそろそろ3時半ころになっていた。予定では、四国はここでおしまいだった。あとはゆっくりと家に帰るだけだ。事前の予測では高速の渋滞も無さそうだった。経路はしまなみ海道を予定していた。折角のしまなみだから日の暮れる前に走りたかった。

 来た時に歩いた所を忠実に戻り、資材置き場に出てからは、すぐに柵を越えて道路にでた。なるほどそちらの方が歩き易かった。

 今治までは、来た道を戻ればよかった。しかし、途中、今治への案内板に従って直進してしまったら、なんだか細い変な道に入ってしまった。帰りには、11号と196号との交差点のところに案内のあった道の駅に寄る予定だったので、国道11号方面に適当な道で戻って行った。

 暫く走ると道の駅の案内が出てきた。その案手板に従って左折すると先を2台の乗用車が走っていた。我々よりも少し先に左折した自動車だった。しばらくくっついて行くように後を追ったのだが、その自動車は2台共田圃の中の道に曲がって行った。

 我々は尚も直進すると、道はだんだん山を登り始めた。やっぱり間違ったのか。少し不安になりかけたところで道の駅の案内板が出てきた。

 その後も何回か案内板が出て、結構走ったところで高速道路の高架橋が出てきた。その高架橋の下をグニャグニャ走り、やっと道の駅の入り口に着いた。

 その道の駅は小松オアシスという道の駅だった。そこは松山自動車道の石鎚山サービスエリアに併設された道の駅だった。それで、大分山の中に入ってきたのだった。

 駐車場は一般道と高速とに分かれており、さすが高速側には他県のナンバーの自動車がいっぱいいた。

 そこは、温泉も併設されていたのだが、場所が少し離れていたようだし、その場所自体が山の斜面に有ったので、行くことはしなかった。

 そこからは、そのまま196号を走り、丁度5時半近くに今治インターからしまなみ海道に乗った。夕暮れ前にしまなみ海道に乗る予定だったのだが、結局は日暮れ直前になってしまった。

 高速に乗って直に、来島海峡サービスエリアに寄った。そこからは、しまなみ海道の釣り橋が良く見えた。その橋の写真を撮りつつ眺めていたら、どんどん暗くなってきて、遂には真っ暗になってしまった。

 瀬戸田パーキングが出てきたので寄って見た。6時を回っていたので、そこで、尾道ラーメンを食べた。そう、既に尾道市に入っていたのだった。

 このしまなみ海道は、どの高速道路とも繋がってはいない。尾道でも山陽道とは連結してはいないのだ。

 その先、別に急ぐたびではなかったので、そのまま、すごく綺麗な専用道路になった国道2号を岡山方面に走っていった。

 途中、倉敷の町に入る手前で、外側の車線を走っていたら、そのまま2号線の側道に引き込まれてしまい、そこから先高架になる2号線に戻れなくなってしまった。仕方がないから高架のしたの道を走っていたら、奈半利でお世話になったスーパーが現れた。やはりそのスーパーは結構大きなスーパーだったようだ。折角だからと、そのスーパーにより、相変わらず割引になったパンを買い、これもまた割引されていた鰹の刺身を買った。序でにガリガ○君まで買ってしまった。

 倉敷の町並みを抜け、途中から同じ高さで併走していたにもかかわらず分離帯があってなかなか合流させてくれなかった2号線にもやっと合流でき、岡山方面に向かった。

 倉敷でガソリンを入れようかとも思ったのだが、なるべく高速に乗る直前が良いということと、岡山が直だと言うことで、ガソリンは入れなかったのだが、岡山ではセルフのスタンドもなかなか見つからず、それに倉敷よりも高かった。またしても失敗したようだったが、やっと反対車線にセルフのスタンドが出てきたので、またしてもUターンしてガソリンを入れた。

 その時、カードを使ったのだが、その操作盤がやり直せとか係りを呼べとか、なかなか言うことを聞いてくれなかった。ガチャガチャ操作していたら、係りの小父さんが来て、指示は無視してボタンを押して給油してくれと言ってきた。そのようにやったら、給油が出来た。しかし、レシートが出てこなかったので、事務所からレシートを持ってきてくれた。そして、その給油場所は故障と言うことで閉鎖された。

 岡山市内の高速は2号線から少し離れていたので、その先で高速と2号が交差する、備前インターで高速に乗った。

 高速に乗って程なく、龍野サービスエリアに寄ったのだが、既に10時半になっていたので、そのまま龍野サービスエリアで泊まってしまった。龍野サービスエリアは混んでいた。

 翌朝は7時半まで寝てしまった。目覚めると、自動車のフロントガラスは真っ白に霜が降りていた。8時前に起きだし、売店に行った。その日、1月6日の日曜日は、なんと西日本サービスエリア会社の10周年だとかで、西日本のサービスエリアやパーキングエリアの売店や食堂が2割引になるのだった。一部2割引にならないものもあったが、殆どのものが2割引になっていた。海苔巻、お土産などを買い込み、2割引だからと、塩饅頭まで買ってしまった。

 その後、権現湖パーキングエリアではカレーパン、三木サービスエリアでは、なんだったっけ。お昼の名塩サービスエリアでは豚汁定食、そして、なんとなんと牛丼屋の牛飯弁当まで2割引で買い込み、その後も、大津ではソフトクリーム、黒丸ではまたまたお土産にふなのなれ寿司をと、西日本エリアの最後の最後まで、大出費を重ねてしまったのだった。

 実は、大津サービスエリアなのだが、下り線は何回か寄ったことがあるのだが、上り線の大津サービスエリアは初めてだった。ところが、この上りのサービスエリア、景色が物凄く良いのだ。琵琶湖が見渡せる高台の斜面にあるものだから、展望台のように琵琶湖が眼下に見渡せるのだ。因みに、横を歩いていたお兄ちゃんが「名前で損をしている。琵琶湖サービスエリアにすればよいのに。」と言っていた。

 その後は、赤塚パーキングで2割引で買った牛飯弁当を食べ、富士川サービスエリアでコーヒーを飲み、足柄サービスエリア、港北パーキングによって、訳有って相棒の実家である都内某所に帰りついた。結構ゆっくりと帰ったので、相当に時間がかかってしまったが、辛うじてその日の内にはその旅も終わることが出来た。

 一応、めでたしめでたし。


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作成年月日 平成20年 1月26日
作 成 者 本庄 章