仙台に行ってきました

2001年 5月29日記

 土曜日曜でジムの仲間夫妻と3人で、ボルダリングコンペに出場するため、東北の仙台に行って来た。本来は小生の相棒もこのツアーに参加する予定であったが、突然の用事ということで、今回は不参加である。

 コンペは日曜日だから、土曜日のうちに仙台に着けば良いので、出発はそんなに早くはない。一般道を筑波まで行って、常磐道から盤越道を通って東北道に行く事にする。そんな訳だから、8時半に待合わせる。

 途中利根川を渡る所でちょっと渋滞したり、やっぱり土曜日だから全体的に混んでいた事も有って、筑波のインターまでいつもより30分程余計にかかってしまった。

 高速に入って早々に車の運転を仲間と交代する。

 常磐道は、水戸を過ぎると車が減り、日立を過ぎると全く空いて来る。5月の連休とは大分違う。やっぱりこれが普段の姿なのであろう。

 運転を交代してから2時間以上休息を取っていない。時間も既に1時を廻っている。そろそろお腹が空いたから食事にしようと、今まで入った事のない吾妻パーキングエリアに入る。

 外のテーブルが空いていたので、そのテーブルを確保し、そこで食事をする。ここのお勧めはすき焼き丼とキムチ丼らしい。仲間はお勧めに従う。でも、小生は豚汁丼にする。

 食事の最中に仲間が、駐車場の向こう側に有る、「スピード体感コーナー」なる物を発見する。見ると屋根付きの下半分がコの字に囲われた単なるバス停みたいな建造物だけである。スピード体感コーナーなる文字を目にした時は、地震体験コーナー的なものを一瞬想像したが、そんな大それた物は見当たらない。椅子すらも無い。しかし食事をしながら、これはぜひ見に行かなければと言う話になる。

 食事を終わって、売店をちょっと見て車に戻ろうとした時に、仲間がスピード体感コーナの事を思い出す。実は、一瞬忘れてしまっていたのだ。

 駐車場を横切り、植え込みの中に建てられた、その体感コーナーに入る。

 すぐ目の前にはガードレールがあり、その前を高速道路の本線を疾走する自動車が通り過ぎて行く。そう、ほんの数メートル先を自動車が凄い勢いで通り過ぎて行くのである。それを眺めて、高速道路を走る自動車のスピードを体感すると言うコーナーなのであった。

 これを発案した人はすごい。それをまた作ってしまった人もすごい、と一同大笑いし、その話題で盛り上がる。

 あれは150は出てるな、とか、あれは100そこそこだなとか言っていると「あれ、あの自動車」と仲間が言う。通り過ぎてから、「あれは確かに今回コンペに参加するといっていた彼の自動車だ」という。確かにキャリアに何やら荷物を積んでいた。

 今回は小生も、キャンプ道具も持参するので、後ろのトランクをほぼ占領してしまうクラッシュパッドを、キャリアに縛り付けて来たのであった。

 おう、何と偶然な、眺めていたほんの10数台の中に。ということで、即自動車に戻り、彼の自動車を追跡する。

 程なく彼の自動車に追い付き、追い越し車線に出て並走する。間違いなく知り合いである。それも、ジムのもう一人の仲間が同乗している車である。

 確認後、下がって追走する。再度、並走し、次のパーキングエリアに入る様伝え、再度後ろに戻る。

 こんなこと、東名や中央でやっていたら大顰蹙物である。しかし、土曜日の昼間、福島を過ぎた東北道では追い越し車線を疾走する車も殆ど無いし、我々の前後にも殆ど車がいない。

 仲間の車が国見インターで降りる。何故かと思いつつくっついて降りる。インターを出て、挨拶を交わす。

 その仲間が、この辺の岩場に寄るのではなかったかと言うから、その岩場は仙台市内だと話したが、この辺では丁度先の連休で行った傾城森が30分位の所に有ると話すと、そこに寄ってから仙台市内に行こうと言う事になる。

 前回は夜だったし初めてだったので、少し遠く感じたが、昼間の明るい時に走ると、傾城森は意外と近かった。

 5人全員で傾城森の岩場を見学する。事前に登れそうなボルダーは無いと言っていたので、だれも登る用意はしない。

 でも、まずボルダーから。こんなもんだろう。下流面、一番若い仲間が下の方を普通の靴で登る。同乗の仲間も少し触る。知り合いの人は指の皮を剥いてしまったということで、岩には触らない。小生も触らない。同乗者夫人も触らない。

 橋の下面の取り付きは、前回は水没していたのだが、今回は下地が出ている。やはり、水位が少し下がったようだ。しかし、上流面の下地は冠水していた。

 一通り確認して、車に戻る。

 そのまま113号線を白石迄行き、4号線で仙台を目指す。次の目標地は仙台市内の広瀬川の河原の放山ボルダーである。

 このボルダーエリアは何年か前に一度岩と雪に紹介され、その後大水で下地が1m位上がってしまったり、護岸工事などで一部ボルダーが無くなってしまったらしいエリアである。仙台宮城インターからすぐの所である。

 最初は直接このエリアに行く予定であったのを、途中傾城森に寄って、4号線で仙台に入ることになったので、仙台市内を走らなければならなくなってしまった。時間は既に4時を廻っている。渋滞も予想される。このまま行ったら暗くなってしまうかもしれない。ということで、途中村田から仙台宮城まで高速に乗る事にする。この間高速代が700円。もう少し安いかと思ったのだが。

 仙台宮城でインターを降りると、その前は新48号線である。目的の放山は旧48号線沿いである。この新48号から旧48号に入るのが難しい。新48号と旧48号は立体交差をしており、その関係が地図ではあまり良くはわからないのである。

 一応インターから山形方面に少し走り、新48号を降りて、その下を走る286号線だかから旧48号線に右折するように地図上では見えるので、その積もりで新48号を降りる。

 大きくループ状にカーブして下の道と合流すると、この道がまた片側2車線なのである。こんなに太い道なんだと、助手席の仲間のナビを受けつつ、きょろきょろして走ると、すぐに仙台方面へのT字が現れる。

 これかと半信半疑ながら、右折レーンに並ぶ。所が、この先自動車専用道路とか書いてある。しまったと思ったが既に遅い。後ろにも仲間が付いている。もう曲がるしか無い。

 ままよと曲がってその先の坂を登って上の道に出ると、それは果たして、今し方走って来た新48号線であった。結局その立体交差を下の道を使ってUターンしてしまったのだった。高速では無かったので、少しは安心したが、見事な失敗である。

 少し走れば横道に降りられるだろうとその道を走るが、長いトンネルが有って、それを抜けてやっと道が交差すると思ったら、その道はこの道を橋で越えているしで、しばらくその新48号を走る事になる。そして、やっと県庁方面への分岐に到達する。

 県庁方面の側道に分岐し、新48号を降りると、車が動かない。大渋滞である。でも、かえって、これで用意して来た案内文の通りの道を通れるようになったので、無理矢理良しとする。

 途中で逢った知り合いの車がガソリンを入れたいと言っていたし、小生の車もガソリンが減っていたしで、途中ガソリンスタンドに寄る。仙台市内のド真ん中であろう。

 途中で逢った知り合いがお金を下ろすと言う事で、彼が銀行に行く間、そのスタンドの前でしばし待つ。無事お金は下ろせたようだ。

 旧48号に入って東北大学病院の前を通って、案内文の目標物を発見し、無事ボルダーエリアの入り口に到着する。

 そこは、そのまま河原に降りられるような道が左に伸びているのだが、その先がどうなっているかわからないので、道路の少し広い部分に車を止めて、支度をしてその河原に降りるらしい車が辛うじて通れる位の道を下る。途中、車が止められそうな場所が2箇所位有って、最後がまた車を廻せる位の空間が有る。車をここまで下ろせば良かったと思ったが、そのまま、河原への降り口を探す。

 この川は石のブロックで護岸工事がされており、そこを降りるために梯子が有ると案内文には書いてある。ブロックのノリの上を少し下流に行くと、草ボウボウの中に木の梯子があった。

 いきなり大きなボルダーが現れる。多分無限という岩であろう。が、下もあんまり良くないし、登っても面白くはなさそうだ。その岩の河原面を回ると、その隣に、マーメードトラバースという課題のある、人魚岩と思しき岩がある。その岩を過ぎると河原が広がり、2〜3mの高さのボルダーが2つ3つ見える。そのうちの一番下流の水際のボルダーに行く。

 傾斜が無く、ガバスタンスが結構ある。仲間2人がノーハンドで遊ぶ。小生は、その横の僅かに被った感じの易し目の面に触る。知り合いと夫人は登らない。

 ひとしきり遊んで、ノアの方舟というボルダーに行く。

 この岩は洪水スラブと呼ばれる少し高いスラブチックなフェースを持っている。そのフェースには途中横にリスが走り、そのリスが左半分ではレッジ状になっている。知り合い曰く、まさにブローの岩だという。岩質はブローの岩に似ているらしい。

 一番左の易しい所を知り合いが運動靴で登り、上に行ってカメラを構える。仲間はその右や、一番右のカンテを登る。

 限定すると、すごく易しいのから、結構難しいのまで、幾つかの課題が出来る。

 小生は、多分インターネット上に紹介されている、洪水スラブ左と思しき所を登る。ホールドが良いのが無いので少し苦労するが、1手で身体を上げるとレッジのガバが取れてしまう。6級とからしいから、そのガバはありなんだろう。因みに、この岩の上には何本かのピンが打ってある。どう使うのかわからない所まで打ってある。

 仲間は中央より少し右よりの一番高い所を直上しようと頑張っている。

 この岩の下地は大きな石コロであったり、その石コロの下は泥であったり、ゴミであったり、あまりよろしくない。高さも有るし、思いっ切りは落ちられない。

 右手1本指がかかるかかからないホールドで立ち込み、左手縦のミリカチで左足を上げ、横リスを取る所までは出来るらしいのだが、そのリスの上がホールドが無いらしい。やっと見つけたホールドも届かない。ということと、下地の問題で、思い切って行けないらしい。

 何回か挑戦して、仲間の一人が足を左に求めて、上のホールドを捕らえ、右手の所まで足を上げる。やっと成功する。そのムーブをもう一人の仲間が真似、その仲間も成功する。 一応ノアの方舟中央とする。

 小生は、その左のカチを繋いで登ってみる。傾斜が少し寝ているから、何とか登る事ができる。

 仲間は途中のリスを使わない右からのトラバースを始める。足も悪いし、手も少ない。結構悪いトラバースらしい。結局真ん中辺のムーブが出来ず成功しなかった。

 小生も、その左の外傾したホールドを使って登りたかったので、そこを色々やって見たが、結局成功せず諦めた。

 暗くなり始めたし、それなりに結構遊べたので、帰る事にする。

 途中、知り合いがマーメードトラバースの石の裏にボルダーが有ったと言うので、そこに寄って見る。3m位いのボルダーで、そこそこ登れそうだったが、既に暗くなりかけていたので、登りはしなかった。多分かくれんぼ岩というボルダーだと思われるが。

 次は温泉である。

 仲間がインターネットで調べた結果、秋保温泉が良いと言う事だったので、秋保温泉に行く。この温泉は、ここから、コンペ会場の近くの今夜の天場に向かう道の途中から少し入った所に有るらしい。そこを目指して出発する。

 既に7時である。夕食を取らなければならない。夕食の場所を探すも、郊外に向かう道で、適当な食堂が見つからない。

 やっとトンカツ屋を見つけ、駐車場に入る。しかし、トンカツ屋である。なんだか高そうである。特に外にメニューも無い。満場一致でパスと言う事にする。

 その辺りから少し家が現れ始める。程なく派手なラーメン屋を見つける。即車を止める。

 知り合いがご飯物を食べたいと言っていたのだが、この先有るかどうかわからない。で、そこに入る。

 不味ければ御代はいらないという店だ。長男、次男、三男ラーメンというのがメニューである。小生は次男ラーメンを頼む。味噌だ。因みに、長男は醤油、三男は塩らしい。まぁ、うまかった。最後に汁を一口余計に飲んでしまった。

 秋保温泉に着き、仲間の調べた日帰り温泉施設を探す。しかし、その施設の名前を覚えて来なかったらしい。従ってわからない。

 途中観光案内所らしい所に明かりが点いていたので、そこで聞く事にする。

 紹介された旅館はすぐ近くだった。

 磊々狭という渓谷のそばに建つ旅館である。温泉は二酸化炭素を含む自噴泉らしい。少し白濁している。

 ゆっくりして、ロビーで冷たいお茶を飲んで、800円だったか。1000円かな。確か1000円でお釣りをもらった気がするから、800円だったと思う。

 途中コンビニに寄り、今夜のアルコールを買い込む。と言っても、一人缶ビール1本位なのだが。

 コンペ会場は釜房ダムのダム湖のみちのく杜の湖畔公園という所で行われるのだが、その近くに3ヶ所程テントの張れる所が有ると紹介されていたインターネットからの地図を頼りに、そのうちの1ヶ所を探すのだが、わからない。

 公園の入口の前の道を通って、左に公園を回る道の先に有る事になっているのだが、それらしい道はダム湖の橋を渡っている。なおその道を進むと今度はT字状で他の道にぶつかる。道路標識には仙台という字が見える。一応仙台方面に曲がって見たが、民家らしいものが現れる。道も狭い。なんかおかしい。Uターンして公園の入口まで戻る。やっぱりさっきの道しかない。また同じ道を戻る。さっきの所を過ぎて少し行くと右手に駐車場が現れ、車が止っている。案内図では駐車場は左側だが、車も有るしで、そこに入る。

 テントを張り、先程買ったアルコールとつまみでささやかな宴席が始まる。最初はテントの中でと言っていたのだが、気温は20度以上有るらしい。途中の電光掲示板の温度は23度とかであった。ということで、マットを敷いて外で車座になる。

 色々話しをしていると、先に止っていた車の1台から人が出て来る。そして、明日登るのかと聞く。そうだと答えつつ、知り合いの知り合いと言う事が判明する。その人も話しに加わる。既にアルコールはない。食べ物も殆ど無い。しかし、アメリカのボルダーの話し。ヨーロッパの話し。色々な話しが始まる。因みに6人のうち、4人がアメリカヨーロッパ帰りであった。最後に加わった人などはアメリカから帰って来たばっかリだった。

 アメリカ、ヨーロッパといっても、1週間2週間とは違う1ヶ月2ヶ月単位の遠征の話しはやはり面白い。ブローの森で毎日栗ご飯を食べていたとか、キノコ飯を炊いたとか、どこどこのスーパーはどうだったとか、クライマーならではの話しであろう。

 2月のブローでのテント暮らしとかに比べると、正月の小川山等はまだ暖かいらしい。ボルダリングはやっぱり修行らしい。定年後はブローでアパートでも借りることにしよう。修行は辛いし、食べ物はアメリカに比べ格段に美味しいらしいから。

 1時を廻ってしまったので、朝は起きた時間でと言う事で寝る事にする。

 翌日はコンペである。早く寝なければ。

 朝6時頃に目を覚ます。今日の帰りを考えるともう少し寝た方が良いのだが、なんとなく寝ていられないのだ。寝るのにもエネルギーは必要であり、寝るだけで疲れるので、若くないと長くは寝られないのだとの説が有る。そうかもしれない。

 知り合いも既に起きている。湖の方を散歩しているらしい。小生は昨夜気になった芝生の有る駐車場を求めてもう少し先まで歩いて行くと少し先のゴルフ場に分岐する道の所の左側に駐車場が有って、その横にきれいに刈られた草地が有った。自動車も何台か止っていた。ゴルフ場への分岐の横の草地にはテントも有った。でも、トイレの脇の水道は止っていた。

 コンペは60人位がエントリーしたらしい。その中には招待選手とかBセッションの常勝者とかそうそうたるメンバーが顔を揃えている。地元仙台だけでなく、東京、千葉、山梨、長野等、関東、甲信勢も結構顔を揃えている。

 仲間2人は真剣に参加しているらしいが、小生は見物、体験半分、冗談が半分である。将に楽しめれば良い訳である。

 受付を済ますと、整理券みたいなのをくれる。それをもって公園に入る。会場となっているこの公園は入場が有料である。

 入口を入ると、本当の受付が有る。そこで受付を済ませ、プログラムと課題確認表と参加賞をもらう。

 このコンペは普段登ってはいけない公園内のオブジェとして配置されている花崗岩のボルダーを登る物である。オブジェといっても、殆ど自然石である。そのボルダーには8級から初段までの課題が40弱設定され、段級に応じた得点を付して有る。その登れた課題の得点の合計を競うと言う形式で競技が行われる。男子の部はそのうちの高得点者6名が更に決勝を行うらしい。

 競技時間は予選が2時間半。その間は見放題登り放題である。各課題の前には写真が置かれ、その写真にはラインも引かれている。スタート地点には番号も付されている。限定部分にはバウンダリテープも張られている。高い岩には下降用のロープも付けられている。しかし、殆どの岩の下はコンクリートである。中にはそのコンクリートに小さな石が植えられていたりする。従って、マットは必須である。

 小生はジムや外のボルダーを時々一緒に登らせて頂く、同じ位の年格好の女性に教えてもらいながら、8級から4級位の課題を登る。彼女は3級や2級の課題も登る。

 彼女に易しい4級と教えられたSDの課題に触ったら、離陸ができない。スタートホールドが持てないのだ。結局SDの課題はほとんどやらなかった。

 カンテをレイバックで登る4級の課題が有る。最初はそのカンテを左に廻りこんで登る。一応左のカンテは使わない。しかし、易しい。スタッフの一人がここはカンテの右側を登るのだという。そして、その様に登る。小生も真似をする。スタッフの人は正対気味に登るが、小生はレイバックで登る。登れる。彼女も登る。

 同じ課題を1級とかを一撃する人が登る。途中で落ちる。やはり笠間の成果だ。ぺたぺた系カンテのレイバックは得意だ。

 小さな岩にクラック限定の6級の課題がある。いっしょの彼女はフィンガージャムで正対で登る。真似をしようとしたが、フィンガージャムは悪いとの言葉で、レイバックで挑戦する。所が、バランスが悪く、足も余り無いので、出来ない。むきになって挑戦したが、結局出来ない。

 まぁ、そんなこんなで、8級から4級まで幾つかの課題を登り、お互いのチェック表を集計確認したら、彼女の半分も行っていない。実力だから仕方が無い。それでも充分に堪能出来たので、大満足であった。

 予選結果はジムの及び同じチームの仲間2人が予選通過。すごい。4位と6位だ。ごいっしょさせていただいた彼女は女子の部の優勝である。やっぱり。

 なんと、我がジムから優勝、4位、6位である。我がジムからで入賞しなかったのは5人中の2人だけか?多分。やっぱりすごい。

 男子は昼食の後6人で決勝である。

 決勝は3課題3回ずつのトライで行われる。最初にセッターのデモの後に選手が登る。結局登れた人は上位の2人で、順位の入れ代わりはなし。

 今回のコンペは東北仙台で行われたにも関らず、関東甲信から相当数のエントリーがあった。小生の知った顔も少なからずいた。それらの人達とも言葉をかわしつつ、勝負そっちのけで結構楽しんだ。大変に楽しいコンペであった。来年もぜひやってもらいたいものだ。

 コンペ終了後、関東勢12人が5台の車を連ねて、地元の方に教わった仙台駅前の牛タン屋に繰り出すことになる。

 その先頭を我々の車が引っ張ることとなる。地図を持っているとはいえ、初めての土地である。昨日の感じだと、仙台市内は大渋滞の筈である。他の車も全く道を知らないらしい。地図を持っているのは我々の他は一台だけらしい。果たして無事牛タン屋に辿り着くだろうか。

 公園の近くのコンビニに集合し、念のため、携帯の番号を交換し、出発する。携帯ってこういう時は便利だと思う。小生も持とうかな。

 ここから行くと牛タン屋は仙台駅の裏側になる。市の中心部を突っ切って国鉄の線路を越えなければならない。5台がまとまって行動するのは絶望的である。

 ナビ役の仲間が地図と首っ引きでルートを検討する。その結果、まっすぐ走って4号に出て、駅から少し放れた所で線路を越える事にする。

 そのナビの指示に従い、片側2車線になってからは、左側の車線を少しゆっくり目に進む。所が、途中の信号で、左車線は左折レーンとなってしまう。仕方が無いからまっすぐ突っ切ろうとしたが、信号が左折の青矢印になってしまった。止まっているわけにもゆかないので左折することにする。その交差点を左折すると、その先は昨日間違えた新48号に交差する道である。

 ナビが再度作戦を練り直す。新48号を直進し、仙台駅の近くでガードを潜る事にする。となれば、昨日の経験が生きる。複雑な新48号への進入もスムースに行く。

 長いトンネルを越えるとやはり渋滞が始まる。その前に内側の車線に車線変更をしていたので、5台がきれいに並んで渋滞で止まる事ができる。ラッキー。

 その先で、右折した後に左折し、高さが2.4mしかないすごく狭い一方通行の道でガードを潜る。そこまでは道も空いていたので非常にスムースに進む。信じられない位である。ガードを潜ればもう東口になる。仙台駅の裏側である。道も空いている。そして、無事地元の人に聞いた駐車場に全車入庫する。

 はっきり言ってこんなにスムースに来れるなんて信じられない気持ちである。どう考えても地元の人の先導と言う感じであった。さすが山屋のナビだ。とはいえ、動く自動車の中での地図読みと現地確認に、ナビの仲間も相当に疲れたらしい。感激。

 牛タン屋には空席が無かった。仕方なく待つ事にする。と程なく5人分の席が空き、年寄りからという声も有って、ごいっしょさせてもらった彼女の組と我々が先に座らせてもらう。

 そのうち2人は昨年も来た人である。メニューを検討するも、結局牛タン定食に落ち着く。牛タン焼きにテールスープに麦飯で1300円。そう、デフォルトで麦飯なのだ。

 牛タン焼きが3人分1皿で出てくる。お皿にいっぱいである。そして、分厚い。レバー並だ。それを一人がきれいに3つに分ける。これで、急ぐ事無く、遠慮する事無く、ゆっくり食べられる。よかった。

 うまい。これが牛タンの舌触りだ。1つ食べてもまだまだいっぱい残っている。スープを飲む。スープの肉はすごく柔らかい。そして、美味しい。わざわざ帰りの時間を割いてまで来た価値は十分に有る。来年はぜひ相棒を連れて来ねば。

 牛タンが増えている。彼女が残した分を分けてくれたものだ。益々感激。

 仙台を十分に堪能し、後から座った人達には申し分けなかったが、挨拶の後、7時頃に出発する。途中少し道を外すが、素直に道標に従って仙台宮城から高速に乗る。

 帰りは少しお金はかかるが、早いと言う事で、東北道から首都高を使う事にする。

 高速で途中運転を仲間と交代してもらって、2時間程仮眠し、辛うじてその日のうちに帰りついた。

 東京は雨だったようだ。


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作成年月日 平成13年 5月29日
作 成 者 本庄 章