佐賀の脊振にボルダーを探しに行って見ました

2006年 3月11日記

 長崎行きの激安ツアーが見つかったので、相棒と二人で長崎に二泊三日で行ってきた。これはその初日の佐賀県の脊振地方への岩探しの旅である。

 例によって激安ツアーのお定まりの朝早い飛行機が運休とのことで、羽田9時35分発の飛行機で長崎に旅立つこととなった。長崎空港着は最初は9時5分だったのが11時35分となったため、2時間以上も遅れてしまった訳である。

 そんな訳で、中途半端な時間になってしまうので、初日は、もし岩が見つかっても、遊べるかどうかわからない、佐賀県の脊振峡にボルダーを探しに行くことにしたのである。

 実は、脊振峡は、少し前にネット上で調べてみたのだが、その時はあまりはっきりした場所がわからなかった。地図上でも、調べた限りでは、はっきりしなかった。その後、九州のボルダーエリアを幾つか探している間に、どういうわけだか、脊振峡は脊振ダムの下辺りだと言う思い込みが発生してしまい、出発直前には殆ど調べることなく出発してしまったのである。

 長崎空港でレンターカーを借り、あまり時間も無いからと、大村インターから長崎自動車道に乗った。途中、大村湾パーキングと川登サービスエリアに寄って、川登サービスエリアでは高速の案内地図をもらい、昼飯にと、あごだしラーメンを食べてから、東脊振インターまで行った。

 東脊振インターは吉野ヶ里遺跡の近くである。しかし、すでに2時近いからと、そのまま国道385号線で脊振ダム方面に向かった。

 国道385号線は、途中、ものすごく道幅が狭くなり、自動車一台がやっと通れる程の幅になってしまう。それでも、結構対向車は来るから、途中でバックしたりしながら走って、やっと広い道に出た。ダムへは、その先の多分小川内とかいう辺りであろうところから左折し、那珂川沿いに登ってゆく。その分岐の道に入ると、右手の伐採されてほぼ裸となった山肌には多分花崗岩であろうボルダーが結構点々と見えてきた。うーん、多分この辺で良さそうだ。

 その道を進むと福岡県に入る。あれー、福岡県に入っちゃった。でも、脊振ダムは福岡県だし、一応ダムまでは行ってみることにしよう。

 右下を流れる川沿いには、ボルダーらしい影はあまり見当たらない。おかしいなー。なんだか違うみたいだなぁ。そう思いながらも、一応ダム湖まで行き、同じ道を引き返して来た。

 再び、佐賀県に入り、ゆっくりと下ってくると、川原にボルダーらしい影がひとつ現れた。路肩に自動車を停め、見に行くと、確かに少し大きそうなボルダーだった。でも、結局はそのボルダーひとつしか見当たらなかった。

 折角佐賀まで来たのに、ボルダーが見つからない。場所が違うのだろうか。

 なおも少し下流まで戻って橋を渡り、対岸のボルダーの点在する山裾を回る道に入り、川の方を偵察しながら走ってみたが、川筋にはボルダーらしい影は現れなかった。

 上の斜面に見えるボルダーは福岡県だしなぁ。傾斜も結構あるし。もう、帰るしかないか。でも、やっぱり諦めきれない。どうしよう。そんなこんなで、結局諦めきれずに川沿いの道を2回か3回往復した挙句に、一つだけ見つかったボルダーに行ってみることにした。

 そのボルダーのある場所の少し下流の道端の少しへこんだところに自動車を停め、少し歩いて、ボルダーの見える場所まで行ってみた。

 そのボルダーはちょうど佐賀県側の岸辺から川に突き出した格好で鎮座している。従って、下地の大半は流れの中である。でも、水量は多くは無いから、下地に砂地が出ているようにも見えるから、登れるかも知れない。川の真ん中辺よりは佐賀県寄りだから、多分佐賀県の岩だろうし。

 きれいに刈り払われた少し広い平らな岸辺を歩いてから、1m位の段差を降り、岩の岸側に行ってみた。

 高さは4〜5m位か。でも、この岸側は意外と傾斜が無い。従って面白くはなさそうだ。少し戻って、横に回ってみた。こっちは僅かに被っているのだが、下地が無い。だめジャン。

 また、下流側に戻って、藪を掻き分けて、岩に近づいてみた。実際の下地は流れの中だったが、ちょっとした岩があるから、靴が濡れることは無い。でも、その岩の上からのスタートになるし、そうすると、ますます傾斜が無いから、本当に面白くない。やっぱりだめジャン。

 今度は大きく回りこんで、最初に道路から見えた上流側の方に回ってみた。

 岩の上流側は、ちょっとした中州みたいになっていて、砂地が出ている。岸から飛び石伝いに行けばその中州状のところまで行ける。傾斜も少しはある。面白いかどうかは別として、登れることは間違いない。ならば登るしかない。まずはそこを登ってやろう。

 川の流れが湾曲して、岸辺が少し切り立ったようになった場所をへつって、飛び石のある場所から岩の下まで行ってみた。

 寝ているし、ガバホールドが結構ありそうだから、すごく易しそうに見えた。しかし、いざ離陸となると、これが意外と難しい。下の方にスタンスが見つからないし、正面の壁のホールドも決してよくは無いのだ。でも右のカンテを使って、何とか離陸したら、あとはガバガバで易しかった。

 降りるのは、下流側の傾斜の無いスラブ面を降りれば簡単なのだが、そうすると、戻るのに結構遠回りをしなければならない。それよりは今登ったところを降りるほうが良さそうだ。結局、登ったところを降りてきた。

 右のカンテを右側に回りこむと、僅かに被った面になっている。幸い下の流れの中にはちょっとした岩が出ている。その岩の上から岩を触ってみた。

 やっぱり離陸が核心であったが、左側のカンテの方向の悪いホールドで何とか離陸し、そのまま左のカンテのホールドを使いながら、何とか上まで行くことができた。まぁまぁ、面白かった。

 そのカンテの左の、最初に登ったところの左の方を登りたいと思ったのだが、落ちたら川の中だし、それよりなにより、ホールドが見当たらない。流れに磨かれたのか、結構ツルツルなのである。下地がよければ挑戦するところなのだが、今回は諦めることにした。

 最初に近づいた、下流側の傾斜の無いスラブ面に行ってみた。

 やっぱり傾斜が無い。でも、こうなったからにはここも登るしかないだろう。

 傾斜は無いが、ごみはある。なんだかジャリジャリしている感じもある。一応手も使って慎重にペタペタペタと登ってみた。

 その面の左側の面が僅かに被っている。下には地面も出ていそうである。細い木の枝などの漂着物などの積もったその下地を慎重に踏みながら、その面の下に行ってみた。

 右のスラブ面とのリップのホールドを使って離陸し、スラブ面へのマントルが返せそうである。やってみたら、離陸ができ、スラブ面に踵がかかった。しかし、やっぱりジャリジャリいいながら踵が外れてしまった。下地は、飛び降りたら、足がズブッと泥の中に埋まりそうだったので、それ以上無理することはしなかった。慎重にやれば登れた気もするのだが。

 時間を見るとすでに5時に近くなっている。なんだかんだ、結構時間が経ってしまったようだ。

 結局は、脊振峡には辿り着けなかったが、一応佐賀県内でボルダリングはできた。ということにしておこう。

 右往左往している時に、ダムの先の道路脇に公衆トイレを見つけていたので、そこに寄って手を洗ってから帰ってきた。

 来るときに、相棒に、時間があったら吉野ヶ里遺跡に寄ってみようと言われていたので、東脊振インターを通り越し、吉野ヶ里歴史公園まで行って見た。やっぱり、5時を過ぎていたので、門は閉まっていた。それでも、その公園の外周を半分くらい回ってみた。途中、切通しのところの上の方に、復元された当時の建造物のようなものがちらりと見えた。

 東脊振インターから長崎道に乗り、佐世保を目指した。今夜の泊まりは佐世保なのだった。

 実は、佐世保には県営の無料の人工壁があることをインターネットで調べてきていたのである。その人工壁は、9時までなのである。従って今夜はその人工壁に行く予定なのである。そして、長崎のボルダーの情報を仕入れる積もりなのである。そのために、わざわざ高速に乗ったわけである。

 長崎道の武雄ジャンクションで西九州道に入り、2箇所もの料金所を通って、佐世保みなとインターまで走って行った。

 佐世保の人工壁のある、旧県北会館、現県北振興局天満町庁舎とかいう建物は、国道35号線に面して建っているらしい。その手前は旧電電公社らしい。佐世保駅を過ぎ、それらしい辺りまで走ると、県振興会館だかなんだかの字の書かれた看板が一瞬目に入った。しかし、すでに夜の6時を回っており暗くもなっていたから、なんだか良く確認ができないうちに通り越してしまった。仕方が無いから、脇道に入って、裏道を戻ってきたら、交通整理をしている何人かの人が居たので、そのうちの一人に「県北会館はどこですか」と聞いてみた。そうしたら、その場所のすぐ横だった。

 一旦35号線に出て、その国道に面した駐車場らしき場所に自動車を入れた。

 この駐車場だが、ビルの1階部分にあって、縦に2台の2〜3列で、多分5〜6台分くらいのスペースしかない。ちょうど1台分くらいスペースは空いていたが、そのスペースの奥に一台自動車が停まっていたから、そこに自動車を停めると、奥の自動車が出られなくなってしまう。

 自動車を降りて調べてみたら、隣の自動車の奥は1台分のスペースが空いており、そこを通れば、前に自動車を停めても、建物と建物との間の通路の様な場所を通って外に出られそうだったので、その自動車の前に停めることにした。

 会館の中に入ると、一階の受付に駐車自動車の受付簿みたいなノートがあって、そこに自動車のナンバーと名前と用事先を記入するようになっていた。奥に自動車を停めた人が出る場合には、邪魔になる自動車の持ち主を呼び出し、移動してもらうシステムのようだった。

 クライミングは4階のはずだと、エレベーターで4階に上がってゆくと、そこはマシントレーニング室であった。入り口の受付に行き、クライミングがしたいと申し出ると、受付簿に氏名、住所の記入を求められ、トレーニング室の奥のクライミングルームを教えてくれた。そして、掃除を済ませ、8時45分までには退出するようにと言われた。また、トレーニングマシーンは有料だから、トレーニングマシーンには触らないようにとも言われた。9時までなのにとも思ったが、無料だから文句は言えない。受付簿にはその日の受付は無かったように思えたので、誰も居ないのかと聞いてみたら、すでに一人居るとのことだった。

 奥の扉を開けてみたら、結構立派なボルダー壁と、ルート壁のある部屋になっていた。壁は両側にL字形に作られており、入って左がルート、右がボルダーになっていた。ルートの高さは7〜8mは優にあるように見えた。壁はパターンの壁であった。ボルダー壁はプレーンだった。

 先客は、ルート壁の下部でボルダリングをやっていた。挨拶をして、いつもこんなに少ないのか聞いてみたら、昨夜は多かったと言っていた。木曜日の夜だから、結構人が居ると思ったのだが、あてが外れてしまったようだ。

 昼間は殆どボルダリングをしなかったので、ボルダー壁の方で少し遊んでみた。

 傾斜はそれほどは無いが、壁の穴全てにホールドが取り付けられている。従って、ホールドの密度は結構高い。それらのホールドにはいろんな色や形のテープが張られている。グレードはテープの色で分けられているらしい。しかし、照明がやけに暗かったので、スイッチをいじってみたら、ボルダー壁の照明が皆消えてしまった。あわてて元に戻したのだが、電気は点かない。水銀灯だかららしい。少々焦ったが待つしかない。

 なかなか点かない。相棒もスイッチをガチャガチャやってみたが、点いてはくれない。諦めて、薄明かりで壁を触っていたら、いつの間にか元に戻っていた。

 一応テープ課題を追ってみたのだが、なんだか繋がらない課題が多く見受けられる。多分テープが剥がれてしまっているのだろう。諦めて、適当に登ってみた。

 ルート壁の方はすごく明るい。先客の真似をして、ルート壁の下部のトラバースをやってみた。

 一番易しいらしいピンクテープの課題なのだが、できなかった。5回、7回とやってみたが、結局できなかった。

 今回は人工壁ということで、最近は外では全く登らない相棒も、靴を持参したので、壁を触っていたようだ。

 受付のおじさんに呼び出された。自動車を移動してくれとのことだった。

 急いで、駐車場まで行って見ると、すごい数の自動車が停まっていた。小生の自動車の前は勿論、駐車場から玄関までの歩道脇にも7〜8台の自動車が縦列で駐車してあった。建物と建物の間も勿論駐車されていた。

 自動車の移動を要請された方は小生の自動車の奥の自動車の方だったようだ。小生と、小生の前の自動車との2台を動かし、出て行かれた。

 玄関までの建物と歩道との間のスロープに縦列駐車された方は、歩道との境は段差になっているし、各車殆ど間隔を空けずに停めているから、その前に停まっている自動車全てを動かさなければ出られない。結構大変な作業になりそうだ。

 8時半頃に、先客が水を汲んだバケツを持ってきた。ボルダー用のマットを雑巾で拭くらしい。マットの表面がチョークで少し白くはなっているが、そこを雑巾で拭くとは初めてであった。

 その後、少しだけ床を掃いて、先客と一緒に退出した。

 駐車場の自動車はまだ殆ど動いていない。マシンルームには既に人はいなくなっていたのだが、ほかの階の人達はまだ時間があるから降りて来てはいなかったようだ。薄暗い受付の前で相棒と話しをしていたら、受付のおじさんが戻ってきて、帰るのなら自動車の持ち主を呼び出せと言ってくれた。でも、あと何分でもないしと答えると、呼び出したほうが良いと、また言ってくれた。でも、急ぐわけでもないし。別にすることも無いからと、自分の自動車の中で人が降りて来るのを待つことにした。

 途中、小生の自動車の前に自動車を停めた方が降りてきて、もうひとつ前の自動車の持ち主を呼び出したらしく、小生の前の自動車が動き出し、小生もほんの少しだけ早めに外に出ることが出来た。

 宿には10時頃のチェックインと連絡していたので、どこかで食事でもと考え、宿へはそこからすぐに裏山に上る道に入るのだが、そうはせずに正面の国道を別方向に少し走ってみた。しかし、食べ物屋が見つからない。大体昼間走った時でも佐世保の市内にファミレスの看板を殆ど見かけなかったから、すぐに諦め、少し早めだったが、そのまま、9時過ぎに宿に入ってしまった。夕食? 宿で昼に残ったパンを食べてお仕舞いにしてしまったのだった。


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作成年月日 平成18年 3月11日
作 成 者 本庄 章