大倉のボルダーその2

   南東北春のボルダーめぐり第二段
2005年 5月27日記
 連休後半の二日目である。

 天気予報通り、朝から雨である。やっぱり。家を出るときから予想はしていたから、予定通りではあるのだが。

 コーヒーを頂いた後、余り遅くなってもと、10時前には泊めていただいたお宅をお暇する。

 仲間達は仲間の一人が未だ行ったことが無いという、大倉を見に行くというので、我々もご一緒させて頂くことにする。

 定規への裏道を教わったのだが、結局はその道に入れず、国道48号線を走っていった。幸い雨ということもあったせいか、混むことは無かったので、実害はなかったが。

 大倉は以前仲間と来たことがあるので、小生にとっては今回は二度目である。

 行き止まりの道に行くと、以前の通行止めの柵が外されている。といって、その先自動車が入れるようになったわけでは無さそうだから、その場所に自動車を停め、傘を持って歩き出す。

 心配した、道の泥濘も以前と殆ど変わりはなく、一部分のみだったので、靴を濡らすことも殆ど無く歩くことが出来た。

 なんだかアッと言う間に着いた感じである。やはり二度目なので近く感じたのだろうか。川原に降りるところも何となく降りやすく感じた。

 相変わらず小雨が降っている。「汁」は相変わらず汁っている。この「汁」という課題、さすがリップ部分は普段は濡れてはいないが、下のほうは雨が降っても降らなくても殆ど変わらないような感じだ。

 大倉川は幾らか増水気味である。中州の岩は下地が水没している。そこを流れる流れは白い水しぶきを上げている。やっぱり雪代がまだ入り込んでいるのだろう。その辺の流れを何枚かデジカメに納める。

 さすが小雨とはいえ、雨の最中に登ることは出来ない。見物のみで引き返す。

 定規如来の門前まで戻り、豆腐屋で三角厚揚げを食べる。相変わらずこの厚揚げは人気があるようだ。

 いつのまにか雨は上がっていた。

 次は安達太良の駐車場で落ち合うことにして、ここで仲間と別れる。

 我々は別に行くところも無いから、大きな駐車場のトイレとその脇の情報館とか言うところに寄ってから、そのまま、秋保から川崎、白石を通って4号線に出、福島から沼尻温泉を目指す。

 途中、48号線に出る道を真っ直ぐ走っていったら、通行止めになってしまった。そういえば、来る時に、ダムの堰堤の上の道が通行止めだったので、ダムの前回とは反対側を通る道を走ってきたっけ。途中でその道に分岐しなければならなかったようだ。そうならそうと、もっと判りやすく案内板を出しておいてくれれば良いのに。やっぱり、観光地とは言っても、ここは地元の人しか来ないのだろうか。

 48号線を横切って進むと、ますます回りは山野となってくる。そろそろ昼食でもと考えていたのだが、飯屋らしきものはなかなか現れない。というより、この分では当分駄目だろう。

 いつのまにか日も照りだしてくる。白石に近付くと、みやげ物屋が現れる。トイレを借りる序に寄ってみる。蕎麦を食べさせてくれるようだったが、余り安く無いから、パスをした。

 国道4号線に入り、福島の町に入る。土湯方面に行くために、国道115号線に分かれると、よく寄るチェーンのハンバーガー屋が現れる。仕方が無い、あそこで昼食がてら休んで行くか。

 100円のハンバーガーを食べ、100円のコーヒーを飲む。駐車場が5時から6時ということだから、まだまだ時間はある。コーヒーを3杯もお代わりしてゆっくりする。

 福島の町外れ辺りで、そろそろコンビニで買い物をしなければならないと、一軒のコンビニに入ったら、そのコンビニの隣がスーパーである。コンビによりスーパーにいって、中途半端になってしまった夕食も一緒に買出ししようと、スーパーの方に移動する。

 スーパーでも時間つぶしをした筈なのだが、意外と時間は経ってはくれない。

 土湯温泉を通りその先に登って行くと、道の駅が現れた。見晴らしは良いが結構風の強い道の駅である。その名も道の駅「つちゆ」。当然寄る。

 なんだか普通のドライブイン風である。うどん屋のある土産物屋とトイレしかない。インフォメーションセンターのような建物は無い。地図でも貰おうかと思っていたのだが、あてが外れたようだ。それでも、案内所は無いか探したら、小さなカウンターがちょこっとあった。

 その道の駅の下のほうには結構広そうな「きぼっこの森」とかいう公園様のものがあるらしい。時間も充分にあるからと、散策してみることにする。

 駐車場から斜面を降り、下の道路を渡ってまた斜面を降りると、潅木の中の木道にでる。湿地の潅木帯のようだ。一先ず真中の道を行ってみる。

 ちょっとした湿地に本当にかわいらしい、別に綺麗と言う訳ではない、どちらかと言うと少し汚い水芭蕉が咲いている。かわいらしいと言うのはサイズのことで、丈が20cmくらいしかない。それで花みたいなものが咲いているのである。でも、その出方があっちの方向に出ていたり、葉っぱが半分枯れかかっていたり、多分、もうお仕舞いの時期だったのだろうが、何となくみすぼらしいのである。それでも、数はそこそこ咲いている。

 尚も進むと東屋風の建物に出る。そこで、道が3っつか4っつに分かれている。水芭蕉の道とか何とかの道とかそれぞれに名前がつけられている。あんまり先に行っても、それに少し寒くなってきたし、ということで、戻る方向の水芭蕉の道に入ってみる。

 潅木帯を歩いてゆくと、木道が無くなり、斜面の際の普通の小道になる。そして、先ほどと同じような感じのちょっと窪んだ湿地帯に出て、やはり同じような小さな水芭蕉が咲いている。こちらも余り綺麗なものは見当たらない。それでも、その中の比較的綺麗そうなやつをデジカメに納める。

 その先で最初に歩いた道にぶつかったから、その道を戻り、途中で別れる道に入ってみた。こちらは石楠花だかなんだかの道らしい。

 所々立て札が立てられ、なんかの説明が書かれていたから、その時期にくればいろいろな綺麗な植物が見られるのだろうが、今は花を付けたそれらしい植物は殆ど見られなかった。

 出口に近付くと、って、「出口」って看板があったからそこが出口だろうと思ったのだが、おばさんが二人降りてくる。先ほど道路を横切った時に、その近くをなんだかうろうろとしていた自動車に乗っていた二人である。

 内一人はその自動車を運転していたおばあさんである。相棒はそのおばあさんを、おじいさんだと言っていたので、小生はおばあさんだと言ったのだが、近くで見ると間違いなくおばあさんであった。横に乗っていたおばさんはおばさんだったから、普通に考えればおじいさんと考えるのが普通かも知れないが。

 そのまま斜面を登って車道に出て、駐車場の下まで歩いていった。

 結構時間をつぶした積もりだったのだが、それでも小一時間くらいしか時間が経ってはいない。それでも、5時近かったから、出発することにした。

 この道の駅の付近の道はなんだかよくわからないほどゴチャゴチャと道が交錯している。なんだか大きなループの道が何本かあるようなのである。駐車場から車道に戻るときに、一瞬道を失いかけてしまった。なにしろ、うちのカーナビのジャイロがインチキだから、道をそれると、その後の表示が一時でたらめになってしまうのである。それで、どっちの方向に走ればよいかが確認しずらいのである。こういう中途半端な不具合って、何となく修理に出しにくいから、ずっとその状態なのである。

 土湯トンネルだと思うのだが、少し長目のトンネルの出口に近付くと、出口付近がもやーっと金色に輝いている。なんだかすごく幻想的な風景である。一瞬何が起こっているのか理解できなかったが、そのもやーっとした明るいところに突っ込むと、とたんに視界がなくなってしまった。なんだか煙に巻かれたような感じで何も見えなくなってしまったのである。

 慌ててスピードを落としたのだが、霧の中に突っ込んだようだ。それも、視界が数mというほど濃い霧である。直ぐ近くのセンターラインとサイドラインが辛うじて見えるくらいである。そうか、その霧に上から太陽が差し込んでいて、トンネルの出口が明るく輝いていたのか。デジカメに撮って置けばよかった。

 歩くが如きスピードで走っていたら、後ろに自動車が繋がってしまう。仕方がないから、端に寄ったら、何台かの自動車がスピードを上げて追い越していった。何も見えないのによくあんなスピードで走るものだ。って、昔小生も地元ではあんな走り方をしていたっけ。人の事はいえないな。

 だんだん高度を下げてくると、霧は晴れだしてくる。

 安達太良は二回目である。国道からスキー場への道にそれ、スキー場に入ると道はダートになる。スキー場の中のくねくね曲がった道を登って行くと、道の脇に残雪が現れだす。そして、また霧が濃くなってくる。スキー場のドン詰まりの駐車場に着く頃には、前が殆ど見えないくらいに濃くなっていた。

 当然他には誰もいない。何となく夕食を摂りそびれた感じだったが、それほどお腹も空いていなかったので、二人で自動車の中でラーメンを作る。

 天気が良ければテントを張るのだが、霧が濃いので自動車の中で寝ることにした。

 周りがだんだん暗くなってくる。そして、遂に真っ暗になる。そういえばその日は新月だったから、晴れていても真っ暗の筈だ。霧だから、という訳でもないはずである。

 6時を廻っても仲間は来ない。やることも無いから、そのまま寝てしまった。

 8時頃だったろうか、やっと仲間がやってくる。やっぱり仙台に寄っていたらしい。彼らはテントを建てていた。

 一応小生だけ彼らのテントにお邪魔して、10時頃までおしゃべりをしてしまった。


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作成年月日 平成17年 5月27日
作 成 者 本庄 章