豊田・大楠林道エリアのボルダーに行ってきました

2006年 3月11日記

 またまたまた豊田に行ってしまった。今回も相棒と二人だけである。

 金曜日の夜の11時頃に千葉を出発した。今回は、途中裾野で高速を降り、国道1号線を袋井まで走ってから再び高速で豊田に行こうという作戦である。なぜに、そんなことをするのか。ただただ交通費の節約である。

 まず、深夜に裾野で降りると、都市近郊の早朝深夜割引が適用され、通行料金が半額になるのである。同じく、朝の6時から9時の間に袋井で高速に乗り、豊田で降りれば、通勤割引が適用され、これまた半額になるのである。裾野、袋井間は、既に無料開放された幾つかの昔の有料のバイパスを走ることができるから、一般の国道に比べれば結構早く走れるのである。

 首都高の池尻付近の渋滞も殆ど無く、順調に走ることができ、1時頃には国道246号線に降りることができた。あとは国道1号線に合流し、今夜の泊まり場である掛川の道の駅を目指すだけである。

 途中、富士の道の駅に寄ってみた。混んでいる。それほど台数が停められる駐車場でもないからか、2台か3台分の駐車スペースしか空いていなかった。

 静岡を過ぎ、藤枝を過ぎて順調に菊川までやってきた。そろそろ道の駅の看板が現れるはずだ。

 掛川バイパスに入ったが、まだ道の駅の案内板は現れては居ない。おかしいなぁ。終に掛川バイパスを通り越した。どうしたのだろう。仕方が無いから、高速に乗ってからどこかのサービスエリアで寝ることにするか。

 高速に乗るのはどこだったっけ。そろそろ磐田だから、磐田だったっけ。相棒に調べてもらったら、袋井だという。えっ、通り越してしまったではないか。既に磐田バイパスに入ってしまっていたから、あわてて脇道に降り、袋井まで引き返した。

 袋井から高速を走ったら、すぐに磐田インターが出てきた。えっ、磐田袋井間てそんなに近かったのか。引き返すことも無かったのかも。

 4時頃に、浜名湖サービスエリアで仮眠した。

 6時過ぎに目を覚ましてしまった。寝袋に入るまでもないかと、羽毛服と毛布で寝ていたのだが、少し寒かったようだ。

 また寝ようとしたが、既に寝付かれない。仕方が無いから、7時頃に出発した。

 まだ早いからと、岡崎で高速を降り、248号線で豊田に向かった。

 松平橋に近づいて、お昼の用意をしていないことに気づき、相棒に聞いてみたら、やっぱりお昼の用意は無いという。しかし、なかなかコンビニはあらわれない。仕方なく、古美山への入り口まで来たら、コンビニがあった。こんなところにコンビニがあったのだ。

 ちょうど、相棒がテレビを見ていたので、その番組が終わるのを待ってコンビニに入った。

 パンを探したが、パンが見つからない。パンが無い? 少しキョロキョロしたら、やっとパンが見つかった。でも数がものすごく少ない。仕方が無いから、そこで適当なパンを買い込んだ。

 レジに行くと、レジの横に、割れ煎餅と書いた、大きなビニール袋に入れられた、普通の煎餅よりは薄くて柔らかい昔の水飴をはさむのに使ったようなお菓子が置かれていた。値段は400円弱である。30cm四方くらいの袋にいっぱい入っているから、多分すごく安い。相棒がそれに気づき、今回の用事先の赤ん坊にと買い込んだ。

 古美山に着いてみると、既に2〜3台の自動車が停まっていた。

 相棒は自動車に残し、一人で上に上がってゆくと、「嵐」の岩にロープが下げられていた。やっぱりルートの人は早いんだ。

 さらにあがっていったら、「嵐」の岩の裏側というか、「ダンス」の横というか、にハーネスを着けた人が座っていたので、その方と少しお話をしてしまった。

 既に岩には日も当たり、少し風はあるがそう寒くは無かったので、自動車に戻り、支度をして、相棒と二人で、先ほどの人のところまで戻った。

 また少しお話をした後、以前なかなか登れなかった、ハイカーズロックに行ってみることにした。

 ダンスの岩の前から下の仁王川沿いの遊歩道に降りる階段を降り、ハイカーズロックまで行った。

 ここも日が当たっているし、風も無いから、結構暖かい。

 ここにはaからc難度の課題があることになっている。どれを登ろうか。岩は二つあるから、まずは手前の岩を探ってみた。やっぱりなんだかaじゃない。ん? やっぱりbか。ということは、リップで2回ほど落ちてしまったけど、いきなりbが登れたのか。

 遊歩道の陽だまりで休んでいたら、ハイカー軍団が現れた。例によって小生と同世代かそれよりも上の方々の女性主体の集団だ。日本って、どこに行っても皆同じなんだなぁ。

 奥の岩に行ってみた。これでa?

 どうしよう。どれにしよう。考えても仕方が無いから、適当に奥の岩のaと思しきところを触ってみた。

 落ちた。やっぱりー。

 気を取り直して、しっかりとスタンスを調べて取り付いてみた。そうしたら、何とか登れた。

 じゃぁ、今度はこの岩のb難度を登ってみよう。

 今度は最初からスタンス、ホールドを探してみた。うーん。無い。使えるものが見つからない。でも、一応離陸をしてみた。落ちた。下地の泥がまだ湿っているから、ソールに泥がこびりつく。適当な枯れ枝でこそげ落とす。そんなことを何回も繰り返してしまった。

 しかし、結局は登れなかった。手前の岩のbは登れたのに。

 そろそろ10時になる。そろそろ豊田勢の第一陣がお出ましの時間である。

 リーチロックに行ってみたら、初心者らしい人を案内している、少しお歳を召した感じの人が居た。少し話しかけようかとも思ったのだが、お仲間同士の様だったし、熱心に説明をされているようだったので、話しかけることはしなかった。

 スラバーユのある岩に行ってみたら、若者の二人連れが「パンのカンテ」をやっていたので、その人たちと少しお話をした。その人たちは浜松からの方だったようだ。

 以前東北の合同合宿でご一緒した東海地方の方々のことを聞いてみた。駿河湾岸とは静岡だからなぁということだし、おまけにインターネット上のあだ名しかわからなかったから、話はかみ合わなかった。

 まずはスラバーユを登ってみた。まぁ、何とかスムーズに登ることができた。次はパンのカンテか。

 若者のマットを借りてやってみたら、全く登れなかった。以前は結構楽に登った記憶があるのだが。やっぱりなぁ。

 密かに、実は小生の実力は落ちているのではないかとの疑念を抱いていたのである。自分では伸びているつもりでいたのだが、外の岩のグレードは全く上がる兆しが無いし、以前登れた課題も登れなくなってしまったものがいくつもある。そんな理由からだ。それが、図らずも、この課題で証明されてしまったのか。

 若者が登るのを見ていたら、足はスメアを使っている。そうか、その足か。再び、スタンスを調べなおし、登ってみたら、今度は登れた。やっぱり足だったんだ。

 相棒に、この課題は以前は結構楽に登ったはずなのだがと話すと、いややっぱり結構苦労していた記憶があるといった。そうだったっけ。とすればさっきの妄想は撤回である。良かったというかなんと言うか。

 やっと、古美山の方が現れた。最初にこの古美山に来た時以来何度もお会いしている方である。しかし、今までにあまりお話はしたことが無かったが、今回は少しお話ができた。その方もそれなりのお歳でクライミングを始められたらしい。

 その方に、スラバーユの横の、足も手も限定するという、超限定課題を教えていただいてやってみた。離陸が出来、2手か3手進めたのだが。

 この課題、前号だかのロクスノにもチラッと話題が載っていた、ここ豊田地域をいろいろな意味で代表するだろう方の課題だという話が出た。そして、ここ古美山の開拓者でもある師匠と呼ばれる方もたまに来られるという話も出た。確か師匠は関東の方に戻られたのではと聞いてみたら、今は豊田に居られるとのことだった。そうなんだ。既に豊田を離れ、引退されているとばかり思っていたのだが、もしかするといつかはお会いできるかも。

 そんな話の中から、小生が最初に参照させてもらったある本にこの古美山のトポを紹介してくださった方が先ほど初心者らしい人を案内されていた方だったということもわかった。そうとわかっていれば無理やりにでもご挨拶をさせていただいたのに。因みに、その方は、この古美山の師匠無き後の第二次の開拓者とでも言うのだろうか、そういう方だったのだ。

 豊田勢の第一陣の後続の方が現れない。一番乗りの方もおかしいなといっている。どうしたのだろう。一番乗りの方も、アップも済んだからと、自動車に戻るとのことだったし、そろそろお昼でもあったので、小生も一緒に自動車に戻ることにした。

 途中、別の方が「嵐」を登っていたので、少し見物することにした。一番乗りの方のお知り合いのようだった。

 右斜め上に伸びるダイクでスタートし、後は細かいホールドスタンスを拾って登ってゆく、最初はやや寝ているが、次第に立ってきて、最後は僅かに被り気味になるという、そんな課題である。多分グレードは12位だったと思う。多分先ほどチラッとお見かけした方のルートだったと思うのだが。

 離陸に一度失敗したが、その後は着実に高度を稼ぎ、最後に少し遠いらしい右のカンテを取って、見事に完登された。下からでは殆どホールドやスタンスは見えないのだが、要所要所に僅かなホールドやスタンスがあるようだ。小生に持てるホールドかどうかは別として。

 駐車場に戻って、自動車の中でパンを食べていたら、豊田勢の第2陣の方が現れた様だ。しかし、まだトポの筆者は現れない。一番乗りの方も筆者を置いてゆくのもと、躊躇されている。

 第2陣の方が、豊田勢の連絡用の白板に本日の行動を書き込んでいるようだ。行ってみたら、先ほど小生が見た文面を日付のみ書き換えたらしい。桃岩とか言うところに行くらしい。

 そうこうするうちに、筆者が現れた。それで、総勢は4人のようだ。今回は、大楠林道の桃岩とかいう岩の近くに発見された、ホットケーキみたいな岩に行くらしい。筆者が小生も誘ってくれたので、喜んでついてゆくことにした。

 何台かの自動車が出発したので、あわてて小生も出発したのだが、先行車を見失い、本来は左折すべきところを直進してしまった。

 少し進んで、間違いに気付き、引き換えしてきたら、後続の自動車が一台その分岐で待っていてくださった。あぁよかった。

 天下峰に分かれる道を見送り、次の大楠林道への分岐に入る。しばらく走ると、路肩の膨らんだ所に4台の自動車が停まっていた。

 分岐で待っていてくださった方は、前回城山城跡の入り口でお会いした方だった。やっぱりお仲間だったようだ。

 エリアへは、そこから急な竹やぶの中の踏み跡を登り、右から来る道に合流した後、その緩やかになった道を進むと、左側に岩が現れた。それが桃岩らしい。ホットケーキの岩は、その先の斜面を登った、尾根の向こう側だという。

 尾根を乗り越したすぐのところに最初に見つけた、ほぼ垂直な壁を持つ高さ3mくらいの岩の前に荷物を置き、皆が適当にその辺に散らばる岩を探しに出た。

 最初はそのホットケーキ岩がどこだかわからなかったから、それを探す筆者にくっついて、小生も斜面を下っていった。

 その辺は岩はそれほど濃くはないが、適当にそこそこの大きさの岩が転がっている。苔も無く、僅かに蔦が絡まっているだけの岩が多い。下地の傾斜は総じて少し急なものが多い。なんとなく笠間チックな感じのところだ。

 結構はっきりした踏み跡が現れた。この辺の山は人工林ではない。昔は炭焼きでもやっていたのだろうか。筆者に聞いてみたら、今でもこの下で炭焼きをやっていると言った。やっぱりそうなんだ。瑞牆の森のような感じもするが、それよりは少し傾斜がきつい気もする。

 筆者は既にその辺は歩いたことがあるらしく、その道がどこから来るかとか、この地域は、紅陽台やお天道エリアに近いことなどを教えて下さった。

 豊田の各ボルダーエリアへのアプローチ道は、立派な道であることが多い。中にはハイキング用の道もあるようだが、山の中の作業道が多いようにも見受けられる。やはり、里山ということで、結構密に作業道が入っているようだ。

 大体の岩の配置もわかったようだが、使えそうな岩はそう多くはなさそうだった。

 荷物を置いた岩に戻ると、最初の人がトライを始めていた。この岩は、殆ど掃除の必要が無かったようだ。

 ほかの人達は、その岩の下にあったホットケーキに似たという岩の掃除をやっていた。この岩は、上に小さな木が生えており、その木に結構太目の蔦が絡まっていた。

 細い蔦とか、岩の上の枯葉の除去など、大方の掃除は進んだのだが、上の木に絡まった太い蔦が取り払えない。だれかその上のそこそこの傾斜のスラブの途中にある木まで行って蔦を切らなければだめだということになった。しかし、未だ掃除は完全ではないし、下から見るとそれほど傾斜は感じないのだが、いざそのスラブを上から下ろうとすると、結構な傾斜に感じられるらしく、皆が怖がってその木まで行く人が出てこない。

 その木のすぐ脇の壁の前には少し太めの木が生えている。その木を使えば岩の上に出て、岩の上の木まで行けるかもしれない。そう考えて、小生がその少し太めの木に登ってみた。

 岩のリップに腰掛けることが出来た。しかし、完全に岩に乗り移るにはほんの少し間が開いている気がする。もし完全に乗り移ると、木に戻るのが難しくなるかもしれない。そう思えたので、そのまま岩に腰掛けた形で、太い蔦を引っ張ってみた。

 その太い蔦は、岩の上の木に絡まっているだけだと思ったのだが、どうやらその岩の上の木にくっついているようだ。やっぱりその岩の上の木に近づかなければだめのようだ。

 リップに座る位置を変え、木の足場を探り、何とか木に戻る方法も見えてきたので、思い切って岩の上に乗り移った。

 その木の生えている場所の傾斜は無い。その木に近づき、太目の蔦を引っ張ってみた。その太目の蔦は、そこから生えた細めの蔦が、その木の根元に根を生やしているようだ。それで、太目の蔦は動かなかったようだ。その根っこの生えた細めの蔦を折ってみた。大分動くようになったが、まだ完全には取れない。もう一本根っこがあった。それを折ったら完全にその太目の蔦は取れた。

 その岩の上に登るのに使った木の脇に細い木が生えている。その木は、壁に近いから、もし、そこを登ろうとすると、完全に邪魔になる。そこの壁のガバホールドで、キャンパで岩の上に出た人は、その木に背中を擦り付けていた。

 その木を切るというから、「その木を切ってしまったら、ガバの易しい課題しか出来ないから、その木は残したほうが、限定になって面白いのでは」と、小生が提案したので、その木は切られないことになった。まぁ、一時だろうけど。

 大体掃除は済んだのだが、まだ泥やら何やらで、登れる状態にはならなかった。多分一雨を待たなければ登れないだろう。ということで、皆で、最初に荷物を置いた岩に移動した。

 その岩は、右の方にスタート用のガバホールドがある。そのホールドで離陸すれば多分簡単に登れるだろう。

 最初の人が離陸した。しかし、次のホールドが無いらしい。都合、5人、相棒を入れると6人なのだが、5人がトライしても、誰も2手目に行けない。2手目は少し遠いのだ。

 誰かが飛びついた。しかし、留まらなかった。

 そうこうするうちに、足を工夫した人が、2手目のカチを捕らえた。その手は結構かかるらしい。足を上げ、リップを捕らえ上に抜けていった。

 小生も、その方とは違う足で2手目のカチを捕らえ、上に抜けることが出来た。なんとなくリーチもの臭い気もするが。

 結局、そこは皆がクリアーした。

 真ん中にはガバ臭い水平のフレークの淵があるのだが、そのほかにはホールドが無いようだから、真ん中は、多分登れても相当に難しいはずだ。従って次は左側である。

 そのフレークの左端の、薄い部分をピンチっぽく持って離陸し、左上の方の大きなフレークの淵を取りに行く。二人の人がそのムーブを繰り返したが、いかんせんその大き目のフレークの淵は遠すぎる。一人の人が触りはしたのだが、つかむまでは出来なかった。

 誰かが、右からスタートして、真ん中の水平フレークを使って大きめのフレークまでトラバースするムーブをやりだした。離陸が、先の課題とは手が反対になるから、少しややこしそうだったが、何とかこなし、フレークに乗り移ったのだが、ホールドが結晶しか無く、ガバスタンスチックなスタンスにもかかわらず、そのスタンスに立って左に行くことが出来ない。

 何人かがそのムーブを試すのだが、やはり、真ん中のスタンスに立ってからが動けなかった。

 「この岩に課題がひとつか」そんな声の出る中、誰かが、それまでに中継に使っていた痘痕のような効かないホールドの左斜め上にカチホールドを発見した。

 最初はなかなか届かなかったそのホールドに、右の課題を初登した方が最初に手が届いた。そのホールドは結構かかるらしい。あとは遠かった上のフレークを掴み、そのまま上に抜けていった。

 ムーブはわかったのだが、なかなか第二登が現れない。

 小生も、スタートし、左の足に乗り込んで手を伸ばすのだが、その左の足に乗り込むまでが結構きつくて、十分に乗り込むムーブまで持ってゆくのが精一杯であった。で、遂には、右手の人差し指の腹に穴を開けてしまった。

 結局、そこは二人が成功しただけで、残りの3人は成功できなかった。

 この日は、名古屋の用事先で夕食をすることになっていたので、4時頃に皆さんとお別れし、先にお暇をすることになってしまった。

 古美山まで戻り、トイレに寄ったら、駐車場にヨーロッパの昔憧れた小型車のターボバージョンが置いてあった。この自動車は後部座席にエンジンを押し込んだ、WRC用のグループBに近い自動車なのだ。まさかボルダラーではと思っていたら、やっぱり普通のカップルが戻ってきた。

 153号線が渋滞していた。やっぱり名古屋でも渋滞するようだ。お陰で、用事先には、1時間ほど遅れたが、6時には付く事が出来、皆と一緒に近くの定食屋で楽しい夕食が出来た。でも、ここにくると、いつも庶民の味方の定食屋だなぁ。

 食事の後、皆と分かれ、前回は臨時休業中だった山の古本屋に寄ってみた。

 店に入ると、なんだか雰囲気が違う。完全に喫茶店だ。戸惑いながらも、「本屋さんではないのか」と聞いてみたら、「本屋は止めた」と答えが返ってきた。本は売らずに読んでもらうことにしたらしい。仕方が無いから、すぐに用事先に戻っていった。

 日曜日は用事先の皆と、名古屋のある場所に行き、近くのカレー屋さんでそろって夕食事をした後、7時近くに名古屋を出発した。

 ガソリンを入れなければと、スタンドを探したのだが、いつもの銘柄のスタンドが現れない。インターの手前で現れたので、寄ってみたら、1リットルが126円だった。高いから止めにした。

 名古屋インターから高速に乗り、浜松インターから国道一号線に降りた。そして、そこから裾野を目指し、国道一号線を走って行った。

 静岡市街の入り口で、いつも入れている銘柄のガソリンスタンドが現れたので、寄ってみた。1リットルは122円だった。ここまで走ってきて正解だったかも。

 そのスタンドで三ケ日みかんが200円で売られていた。勿論みかんも買い込んだ。

 途中、掛川の道の駅が現れたので、念のため寄ってみた。やっぱり、掛川道の駅は国道一号線の登り車線からしか入れなかったようだ。下りからのスペースはまだ工事が始まっていなかったようだ。

 裾野インターでETCレーンに進入したのだが、ゲートが開いてくれなかった。カードを挿し忘れていたのだ。係りのおじさんが通行権を持ってやってきたから、仕方なく通行権をもらって進入した。

 早朝深夜割引を受けるには、ETCを使わなければならない。即御殿場でインターを降り、Uターンして再び高速に乗り返した。余分な出費をしてしまったが、残っていたハイカの100円分がやっと使えたから、少しは損失が減ったかも。

 大井松田の手前だったかで事故があり、少し渋滞してしまったから、家に着いたのは1字を回っていた。7時間も自動車で走ってきたから、さすが疲れてしまった。やっぱり交通費の節約はしんどいものだ。


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作成年月日 平成18年 3月11日
作 成 者 本庄 章