小川山その4

2000年10月11日記
 10月7〜9日の3連休に最近結成されたボルダリングチームの仲間とボルダリングツアーに行って来た。

 6日金曜日の夜、県内某所で待合わせ、都内からの仲間と都外某所で合流した。

 7日土曜日、朝ゆっくりと起き、近くのボルダーに触る。ふむふむ、ここは登れそうだけど、ここは無理か。でも、苔々だな。仲間の一人がブラシを咥えて登り、上の方のホールドやスタンスになりそうな所を磨く。出口は苔の絨毯。そこは裏から廻って上から磨く。

 皆が登ったので登って見る。こんなものか。

 途中かねて打合せて有った山梨の人と合流し、5人となる。

 車で移動し適当なボルダーを探す。石は有っても、チンケだったり、ガバガバだったり、或はつるんつるんだったり、なかなかボルダリングに適当な石は見つからないものだ。中には大きすぎて恐すぎるのもあったりする。湯河原幕岩なら即ボルトが打たれるだろうと想像されるような。

 この日はそんなこんなで一日を終え、山梨の人と別れ、天場に戻る。

 岩の苔を落とし、課題を設定する。これってなかなか難しい。トップロープでぶる下がってやれば少しは楽なのかも知れないが、磨きながら登るのは並大抵の技術ではない。石が低ければ良いが、そこそこ高くなったり下地が悪いと、途中敗退する事が出来ない。やっぱりロープが欲しくなる。

 小生、普段、どちらかと言うと河原のボルダーに行く事が多い。それらのボルダーはすごくすっきりしている。先ず苔が付いているなんてことはまれだ。最近は殆ど訪れる人のいなかった林の中のボルダーである笠間ですら苔で登れない課題は殆どなかった。唯一小川山のクジラ岩の一面が苔々で、雨後もなかなか乾かない事を経験はしていたが、傾斜の強い石の壁には苔は付き難いものだと思っていた。

 多分岩質に因るのだろうが、ここの石は苔がすごい。全面と言う事はないが、出口のリップなどは間違いなく苔の厚い絨毯で覆われている。それをブラシで擦り落し、ホールドを確認する。ポケットが現れたり、ガバが有ったり、何にもなかったり。壁の途中も結構苔が付いていたりして、そういうところはスラブチックな所が多いから、そこが我々初中級者に登れるのかどうかは磨かないとわからない。

 初登時、微妙なスメアで登ったところが、その時の力で微小なフレークが剥がれ、結構なスタンスが現れ、2登、3登目ではグレードがダウンしたりもする。やっぱり、岩が落ち着くまで色々な力を加えないとボルダリングの課題としては完成しないようだ。

 遅い早いはあろうが、岩は必ず風化し最後は泥になるということだから、少し古い岩は必ず何処かに脆い所がある。花崗岩の場合は表面は必ず風化しているらしい。だから、開拓時はワイヤーブラシで表面を削り取る。でないと表面がザラザラしてフリクションが効かないらしい。でも、これって、最近よく言われている岩の有るがままの姿を尊重するという、その思想とは基本的には相容れないものである。自然の姿を尊重すれば、苔を剥がしてはいけないし、苔の根と言うかそういうのが岩を風化させる力を止めてはいけない事になる。表面を削るなんてもってのほかだ。

 結局、有る時点での妥協がなければ、岩登りなんて存在しない。その、妥協点をどこにするかなんて、そんなものが普遍的に存在する訳はないから、そういう論議は何時までも続く。繰り返し繰り返し続く。そんなもんだと思う。

 今回も、薄被りの石を見つけたのだが、少し太い木が倒れかかっており、遊べない所が有った。どうせ枯れているからとそういう倒れ掛かった木を切り、退かせて石に触って見た所も有った。その石には、それに因って1手のランジ課題が出現した。因みにこの石は道路際の林との堺にポツンと存在し、あまり大きくない石だ。下地も、切り倒された太い木が横たわってはいる(断じてこれは我々が切った木ではない)が、そう悪くはない。

 8日日曜日、昨日の疲れからまた少し遅い起床。朝食の後、意を決して大根雑の予想される小川山へ移動する事にする。

 途中、いつものナナーズで今夜のエッセンの買い出しをする。

 今回の仲間は山屋が多く、って、総勢で4人で有ったのだが、昔懐かしい言葉を久しぶりに耳にし口にしたので、ついエッセン等と言う言葉を使ってしまった。多分今ではこんな言葉は山屋と言えども使ってはいないのだろうが。

 そして、またしてもジョージアの景品攻撃に屈し、バック欲しさに必要のない缶コーヒーを10本も買ってしまった。ここに来るといつもそうだ。こういうのを「旅目」と言うらしい事を翌日の車中のラジオで知った。

 小川山には3時頃に到着。やっぱり混んでいるが駐車場は空いていた。色々知った人に会うが、先ずは天場を探す。普段はあそこに張れればといつも羨ましく見ていた駐車場横のスペースが空いている。近付くと、スペースの真ん中に段ボールが有り、廻りに銀マットやペットボトルが置いて有る。一瞬場所取りかと疑ったが、なんか段ボールの中はゴミだし、宴会跡の様だったのと、そのスペースの両サイドも空いていたし、若し誰かくれば真ん中を空ければ良いと、そこを天場にする事にする。

 テント設営後、汚い大岩に行く。小川山ジャンプ、下部トラバース、ただ単純にまっすぐ登るやつとそれぞれで岩に取り付く。

 所が、連休の中日の日曜の夕方では有ったのだが、この、きたない大岩の前の道の車の往来の激しい事。引っ切り無しに車が通る。特に小川山ジャンプに挑戦している人などは大変だ。ただ単純にまっすぐ登っている小生でも危なくてしょうがない。

 途中皆で側壁の1級の課題に取り付く。まず、最初の人が登る。出口のリップに手が止らず落ちる。2人目、簡単に登る。3人目、縦カチを取って動けない。小生縦カチが取れない。まぁ、これが大体の今回の仲間のレベルである。リップに手が留らなかった人は、本来ならば登れる筈なんだけどと悔しそうだったが。

 再び、正面に戻り、左端のマントルの課題とかさっきのやり残しとかを少しやって天場に帰る。

 皆が風呂に行くと言うので、小生も始めて金峰山荘の風呂に行く。

 広いしなかなか快適である。これで300円なら今度からここに来たら風呂に入る事にしよう。

 天気予報では夜から雨が降り出し、翌朝迄には止むとのことだったのだが、炊事中も食事中も雨の気配無し。9時30分頃「消灯です」とキャンプ場の職員と思しき人の見回りを受ける。こんなことやってたんだと感心するが、相変わらず雨の気配はない。10時も廻ったので各々テントに入る。

 テント3泊目だったので疲れが出ていたのかなかなか寝付かれず何回となく目を覚ます。相変わらず、風は強いが雨はない。ようやく夜半を過ぎて雨音がしだす。その後またうとうとして目が覚めると頻りと雨音がしている。そろそろ明るくなりかかっていた頃だった。

 9日月曜日、朝8時過ぎに起きるが雨。一応各自朝食を澄ませ、様子を見る事にする。

 10時近くなっても雨の止む気配がないので、若しやと、一人が一昨日の仲間に早川の様子を電話で問い合わせたが、早川も土砂降りとか。仕方が無いから、皆で車の中に集まり、その後の行動を打合せる。

 第1案小川山で登る。訓練には最高とか。賛同者無し。
 第2案岳アートウォールに行く。人工壁だからなぁの声あり。
 第3案まっすぐ帰る。そんなとこかなぁ、の声。
 第4案中津川に行き満足岩を見学する。どうせ登れないだろうけど、一度見たいと思っていたし。帰りは関越と決めていたから、と複数の声。
で、全員で第4案に決定。中津川林道で三国峠を越える事にする。

 中津川林道は以前2回か3回通った事が有り、轍が深く結構悪い道のイメージがあったが、今回は事前の情報通り奇麗に整備され、非常に走りやすい状態になっていた。

 満足岩到着。既に雨は上がっている。いざ河原へ。が、側壁が切り立っており降りるのが大変。一応踏み跡は有るがそれでも雨で濡れているから小生にはきつい。コーヒーのペットボトルも持っているし。河原に降りて見ると、満足岩の前に行くにはその下更に2m程を飛び降りなくてはならない。2人は降りたが小生には降りられない。仕方が無いから大きな岩を高巻き、雨で濡れ濡れの藪を漕いで下に降りる。もう一人は降りて来ない。

 満足岩、ピラニア等を見学。小生には無縁の世界か。

 降りた所とは別の所を登って道路に出る。降りて来なかったもう一人はてっきり車に帰っているものと思っていたが見当たらない。皆で声を懸けながら少し探す。返事はないし、見つからない。なおも声をかけ探す。道路下の藪からひょっこり姿を現す。下の石で遊んでいたと言う。

 途中塩沢の岩を見学し、秩父駅前で大分遅い昼食を取り、東京の人と別れる。東京の人は正丸峠を越えて鶴ヶ島で関越に乗るとの事だが、我々千葉組みは長瀞から花園に向かう。

 途中、普段は長瀞の先から寄居の入口までが渋滞するのだが、天気のせいか3連休の最後の夕方だと言うのに殆ど渋滞無し。

 さすが、関越は川越から新座の料金所まで渋滞しているらしい。

 三芳パーキングエリア手前で先程別れた東京の仲間の車を追い越す。あれぇー。あっちの方が早い。我々殆ど渋滞がなかったのにぃ。我々も今度からは正丸経由にしよう。満場一致で決まる。

 三芳のパーキングで東京の仲間を待ったが寄らずに行ったようだ。

 一応渋滞ではあったが、それほどの渋滞もなく出発時の待合わせ場所に到着。ご苦労様でした。

 それにしても、花園と鶴ヶ島の料金差が750円とは。


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作成年月日 平成12年10月11日
作 成 者 本庄 章