小川山その3

2000年9月5日記
 9月3〜4日の日月で相棒と一緒に今年3回目の小川山に行ってきた。インターネットの掲示板で知り合った仲間が小川山に行くとの事だったので、現地で落ち合うべく出かけたのであった。といっても、一緒に登るという事ではなく、夜の会食会のために。

 日曜日の朝6時過ぎに出発。夏休みも終わり学校の始まった直後の日曜日だからこんな時間でも道は空いている。とはいっても、中央道は構造的に渋滞を引き起こすと思わせるに十分な道路だから、やっぱりそろそろ2〜3kmの渋滞が始まり出している所が何個所かあった。

 今回は、甲府昭和で中央道を降り、観音峠、木賊峠を通って黒森に出、信州峠を越えて廻り目平に入った。なぜそんな道を通ったかというと、韮崎から甲府昭和迄の国道20号の抜け道にならないかという思惑を検証するためと、甲府幕岩のアプローチの偵察をするためであった。結果としては、甲府昭和から廻り目平まで約2時間であったので、時間的には使え無い事も無いが、如何せん、標高1700mの木賊峠を越えて行く道であり、全線舗装されているとは言えやはり、山道で曲がりくねっているし細いので、山岳ドライブには非常に良いが、単なるアプローチの道としてはあまり勧められる道ではない。とはいっても、根が山岳ドライブをこよなく愛する小生としては嬉々としてドライビングを楽しんだのであった。お影で相棒は途中気持ちが悪いと言い出してしまったのだが。

 途中、木賊峠に展望台があったので、降りてみたのだが、涼しいを通り越して寒いくらいであった。やはり1700mは高いと思った。

 予てより打ち合わせの場所にテントを張り、早速林のボルダーへ行く。先客が穴社員に取付いている。彼らのムーブは小生とは少し違うようだ。小生も先ず、アップも無しに穴社員に取付く。彼らの足使いを真似てやってみたら、今までの最高到達点である細長い穴からのクロスが出来、今まで触れなかった次の穴が取れた。で、その穴はガバだといわれていたのだが、なんか持ちにくくそこで落ちてしまった。少し休んでまたやってみると細長い穴が取れない。あぁまた何時もとおんなじパターンか。これが最高でその後は、このままどんどん疲れていって、結局は今日もまた駄目か、と思ってしまい大変に落ち込んでしまった。でもまた取付く。やっぱり細長い穴が取れない。休みながら先客が登るのを見ていたのだが、何人かが成功するのを見て、自分も早く登りたいと思い、何とかモチベーションを高め、次回の挑戦の機会を伺う。

 気合を入れ直して取付く。足を決めて、クロスで次の穴を取る。取れた。よし、次は少し遠いカチだ。足をあそこまであげて。取れた。これで核心は終った。登れたも同然、あとはカンテを取ってマントルでおしまいだと思ったのだが、最後のマントルが、出来ない。左カンテは取れたのだが、右足が上がらない。すでに地面までは3m近くはある。落ちる訳にはいかない。右足をあげるか右手を上げなければマントルが返せない。必死で右手を飛ばそうと体勢を整える。左足が滑る。でも、右手はしっかりガバを持っているし、左手もスローパーだがガバッぽいホールドを保持しているので落ちる事はない。下から「ガンバ」の声が飛んで来る。頑張らねば。左足の体勢を立て直し、思い切って右手をカンテというかリップと言うか石の上に飛ばす。留った。これでやっと石の上に立てる。出来たーと思った。

 長かった。去年から何回トライしただろうか。って、そんなにトライした訳ではなかったが、この課題が当面の目標であると、会う人毎に言いふらしていた課題だった。手が完全にパンプしている事を感じながら、そこら中のフリクションを総動員しながら、恥じも外聞もなくクジラ岩の上にはい上がった。もう落ちない、そう思った。やった、ついに小生も小川山の3級の課題が登れたのだ、登った所ではない所を降りる事が出来るのだと思った。嬉しかった。素直に嬉しかった。慎重に苔々のスラブを降りる。そして木の有る所から地面に降りようと下を覗く。人が登っている。失礼しました。ここは緑のマントだ。降りるのはもう一つ下だ。何しろこの岩を上の方から降りるのは始めてなのだから。

 相棒もスパイヤーの右の例のカンテの課題の下から見ていてくれたらしい。小生より先に、やっぱりここを今日の何回目かの試技で登った人と話しをする。やっぱり出口が恐かったらしい。

 さぁ、次はどの課題か、なんて考えながら相棒の所に行く。そして、スパイヤーの4級のスラブに触る。相変わらず出来る気がしない。相棒のスポットをする。気が入らない。

 寒い。ランニングシャツの上に7分袖のシャツを着て来ていたのだが、結局それを脱ぐ事はなかった。

 目標の課題も、今だから言える事だが、あっけなく登れてしまったし、寒いしで、多分日の当たっているであろうビクターに移動する事にする。

 ビクターには人はいなかった。ここにくればこれという小生定番のサブウェイに取り付く。これまた定番になった箇所で定番通り落ちる。ここも3級なのだが、この3級はしばらくは出来そうな気はしない。ここは想像通り日が当り暖かい。7分袖のシャツを脱いでトライする。そんな姑息な手段で出来るようになる訳はないのだが。でも、諦めず、足を物色したり、別のホールドを使って見たりとやって見る。で、全てほぼ同じ所で落ちる。やっぱり疲れて来る。そろそろコンケーブでも触るかと裏側に移動する。ビクターの裏側は日は当たっていなかったが風もなくそんなに寒くはなかった。

 左足を上げて、左手を出して、右足を上げて見たら、今まで上がらなかった右足が上がった。この左手は小生には殆ど効かないと思っていたホールドなのだが、今回は意外と効くのである。身体が少し岩から離れても止まっていることが出来るのである。足が上がれば今まで取れなかった次の左手が届く、のだが、左手が出せないので、右手で取りに行って見ると、楽に右手で取れる。だが、そうすると次の右手が取れない。左手を探して見たがよいホールドが見つからず降りる。

 さっきクジラ岩でいっしょだった人達が来る。そして、ビクターに挑戦する。またまた、クジラ岩でいっしょだった人が来る。誰かが「考える事は皆同じですね」という。やっぱり林のボルダーは寒いのだ。ビクターは暖かいのだ。

 コンケープを登ると言う人が「どうやって登るのか」と相棒らしき人に聞くと、その人が、「ボルダリングはどうやって登るのか考えるのも楽しいものだ」という。たしかにそういう所も大いに有るので、少々つかれぎみでも有った小生は、少し休みながら、その人達の登りを見学する事にする。

 コンケープを登ると言うその人がコンケープに取り付き、最後のマントルの所まで行く。下では「よーしやった」と言ったのだが、彼の人はマントルが出来ない。殆どボルダリングをやった事の無い人のようで、皆の「おしいー」の声を背に、ついにそこから飛び降りてしまった。

 小生は大分休んだので、出来もしないモファット・トラバースで遊ぶ。この課題は、足が殆ど無い遠いスローパーにぶら下がって足を送る所が最初の核心なのだが、その遠いホールドに左手で触る所までは出来るので、また、その遠いホールドをさわりに行く手前のムーブが結構好きなので、既に何回か遊んでいる課題だ。

 さっき出口迄登りながら降りて来た人がビクターに挑戦し出したので、再度コンケープを登る。その時、さっきは左手から右手でリップのカチホールドを取って見たが、先に登った人が右手を添えて左手でリップのカチを取ったのを見ていたので、それを真似て見たら、左手でそのカチが楽にとれた。おうやったー。出来ないと思っていたコンケープも今回落とせるかもしれない。足を上げて右のリップを取り、左足を上げて、石の上のホールドを探すが、良いのが無い。さっきの人が降りて来たのも無理はないと思った。でも、手首を返してなんとかマントリングが出来るかもと頑張って見る。右手がなんとか返ったので、その手に乗り込む。うっ、足ブラだ。なんとか右手の所まで足を上げるしかない。やっぱり、「ガンバ」の声をくれる。下にいる人達は先程穴社員で応援してくれた人達だ。またまた総てのフリクションを総動員して、今回は胸のフリクションまで動員して岩の上にはい登る。

 下で皆が拍手をしてくれている。やったー。これで、小川山の3級が2本だ。もう、小川山3級ボルダラーを標榜してもなんて思いも一瞬過る。

 後日談だが、このときのムーブがムーブなんてものではなかったので、穴社員同様ものすごく無様な登り方をしたものだと思っていたのだが、相棒が撮ってくれていたビデオを家で見ると、そう無様でもない。そんなに藻掻いて登っているようにも見えないようだ。で、少し安心した。これでコンケープを登ったと言えると。

 穴社員が登れた時は、もう帰っても良いなどと口では言って見たが、今回は本当に今日これから帰っても良いと本気で思ってしまった。あとは、表のサブウェイだ。と思ったが、サブウェイはさすがに手強い、多分今期は無理だろうとも思った。

 その後、どうしたのかあまり鮮明には覚えていない。サブウェイを触ったかもしれない。ほとんどの人が帰ったので小生も帰って来たのは間違いないのだが。

 「夏の小川山は確実にグレードが上がっている。トポ集にあるグレードは10月から11月のグレードだ。」と言われてはいたのだが実感はなかった。正直半信半疑であった。しかし、2週間前にこのコンケープを触った時は左手のホールドが効くとは思わなかったのだが、今回はすごく効いた。岩は完全に近く乾いていた。前回は連日の雨で完全には乾いてはいなかったようだ。その違いがこんなに違うとは正直初めて体感した。これが、10月11月で空気までカラカラになった時、この花崗岩のフリクションはどこまで増すのだろうか、今から楽しみである。でも、サブウェイは駄目だろうとは思うが。

 天場にもどると、どっかで見たような人がこちらをうかがっている。もしや、やっぱりそうだった。以前ごいっしょしたことのある、今回の仲間のお一人だった。

 夜7時頃に今回のメンバーの本体が到着し、テント設営後会食となる。しかし寒い。2週間前、いや前日の土曜日等は東京で37℃だたのだから、まさかこんなに寒いとは思っても見ず、相棒は半袖の着物しか持って来ていなかった。そういえば、川上村の温度計は17℃だったような。そんな訳で、相棒はテントで寝袋にくるまっていた。そんななか、最後のメンバーが白馬から1人で10時頃に到着。若いっていいな。

 翌月曜日、皆がマラ岩に行くのを見送り、まだ寒いだろうと再び相棒と二人でビクターへ。

 当然誰もいない。しかし日が当たっているので暖かい。今日はなんか昨日の疲れが残っているのかモチベーションがもう一つ上がらない。でも、マンネリぎみのサブウェイに取り付く。スタートの次のホールドで手を添える形で持ち変えるのだが、その持ち変えをクロスでやってみる。そうすると次の少し遠目のホールドが手一つ分近くなる計算だ。出来る事は出来たが、右手の置く場所が少し微妙だ。それに、小生にとっては次のホールドを取るのにそれ程有利になるとも思えない。出来ることを確認すればそれで良しと言う事で、次回からは今まで通りの手に戻す。

 11時近くなったので、前回登れなかった水晶スラブ下ボルダーの課題に行く事にして移動することにする。林道を歩き始めるとなんとなく曇って来た。途中我々のテントを通るので、念のため雨が降るといけないからテントをたたんでから行こうと、天場に戻ってテントを畳み始める。

 実は、今回は、カンタンタープという総重量18kgの鉄骨4本柱自立式タープを先日購入したので、それを初めて使って見たのだ。結論から言うとすごく具合が良い。張綱やペグが付属してはいるのだが、普通のキャンプでは、それらを使う必要は無いほどにしっかりと立っていてくれるし、そう簡単には風では飛ばないような気がする。浦安高校だかの高校野球準優勝祝賀バーゲンとかで普段より安く買う事が出来たし、これはめっけもんだったような気がする。但し少々重いのが難と言えば難だし、畳んでも普通のセダンのトランクには入らず後部座席に積むか、ルーフキャリアに積むしかないのも痛い。今回は相棒と2人だけだから、後部座席の足元に積む事が出来たので比較的楽に運べたのだが。ワゴンなら楽勝かもしれない。

 テントを畳んで、このカンタンタープを畳んだ所で、やっぱりポツリポツリ来てしまった。そして、残りの小物を整理している間に、ついに本降りになってしまった。まさに、間一髪、間に合ったという感じだ。でも、ここまで降ってしまってはもう雨が上がっても登れまいと、そのまま帰る事とする。

 どしゃ降りの中、これも定番化したナナーズでの買い物をし、帰るには少し早いしということで、初めての清里経由須玉インターから帰る事にした。実はあの、穴社員プラスコンケープの所為も多分に有ったのだが。

 走って見るとこの道、広いしあんまり曲がってないし、アップダウンもそんなにないし、やっぱり楽な道だ。多分行楽シーズンには大分混むのだろうなとは思ったが。

 途中ガソリンを入れるべくスタンドを物色していたら、相場より3円程安いスタンドを見つけたので、わざわざUターンしてガソリンを入れに行った。そしたらなんとハイオクは売り切れで今タンクローリーを待っていると言うではないか。仕方なく別のスタンドでこの辺の相場で給油した。(うちの自動車ハイオクを要求するのよね)

 さすが平日の昼間、中央道は空いている。渋滞も無い。が、やっぱり首都高は渋滞していた。なんと要人来邦で交通規制が行われていたようだ。でも、暗くなる前に帰宅する事ができた。

 日曜日の昼から月曜日の午前中、それも雨で中途半端。普通に考えるとちょっともったいない気もするが、今回は全然もったいない気がしなかった。月曜日の午前中は都合1時間程で3トライか4トライしかしなかったが、暖かい日差しの中マットに寝転がってひなたぼっこをするなど、本当にのんびりとしたボルダリングを楽しんだ。やっぱり年寄りのボルダリングはこれがベストなのかもしれない。


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作成年月日 平成12年 9月 5日
作 成 者 本庄 章