小川山その17

2002年 4月18日記
 土日で、相棒とジムの仲間5人の7人でとあるボルダーから小川山に行って来た。これはそのうちの、小川山編である

 信州峠を越え途中、川上駅前の食堂で夕食を済ませ、ナナーズに寄って廻り目平に到着する。もう8時近かったから、既に真っ暗で、仲間の自動車が見えない。車の外に出た仲間と話していると、仲間の名前を呼ぶ人がいる。見ると、ジムの仲間の一人である。仕事の関係で独りで遅れて小川山に来たらしい。と言うのも、どういう打合せになっていたのか我々は知らなかったからだ。

 既に何組ものテントが張られ、キャンプ場の営業前なのに結構人が入っているようだ。何時ものように駐車場の横が空いていなかったので、駐車場の道路の下のサイトにテントを張る。風が有って結構寒そうである。

 そうこうするうちに仲間を迎えに行った仲間が合流する。その仲間のテントが一番大きいので、そのテントに後から合流した2人を合わせた9人が集まってささやかな宴会を始める。

 最近ヨーロッパに行った仲間の話で盛り上がる。

 11時近くなったので、それぞれのテントに戻り寝る。

 翌朝、見るとマットを背負ったボルダラーが結構いる。10人位の集団もいるようだ。各自食事を済ませ、途中相棒の突風に飛ばされたコンタクトレンズ探しと言う余興が入ってしまったが、出発の準備をする。

 そこに、山梨の知り合いが来る。この人、実は小生と同じような仕事をしている人だったようだ。その事を話すと、びっくりしていたようだが、仕事関係の話しを少しする。クライミングに来てそんな話は初めてだったらしい。勿論小生も初めてである。

 その人は石南花エリアに行くと言うので、別れ、我々は9人でクジラ岩の前に行く。すると、すごい。クジラ岩の前には大集団がいる。20人ではきかなかったかもわからない。最盛期でもこんなに大勢の人をクジラ岩の前で見た事は無かったかもしれない。昨日が静かすぎたから、なおさら多い気がしたのかも知れないが。正直、少々腰が引けてしまった。

 一応荷物を置いて、アップにと穴社長の出だしを触る。どうせ出来ないのだから、大見得を張ってしまう。なにしろ、そこにいた人のほとんどが穴社員とエイハブ船長をやっていたのだから。離陸して次の右手が取れる。まずまずか。

 その大勢のボルダラーの中に御岳で良く会う知り合いが二人いたので挨拶をする。

 仲間の一人がエイハブ船長をやると言うので、小生もエイハブ船長に触る。そして、縦カチからスローパー、そしてリップを取る。しかし、昨日やっぱり少し足を傷めたようでなんとなく足首に痛みが残っているので、いくらマットが何枚も敷かれているとはいえ、リップのマントルで落ちるとヤバイので、そこから飛び降りる。

 穴社長のスタートをやって見る。離陸するも上のポケットが取れない。どうやら、忍者返しと同じで、このポケットも一日一回しか取れないようだ。その後何回かやって見たがやっぱり取れなかった。

 エイハブ船長を登った新潟から来たという人がグロバッツスラブをやると言うので、一緒に付いて行って見る。

 ここは出来れば落としたい所なのだが、少し高いから、今回は躊躇していた所なのだ。しかし、仲間もできたし、どうせ1手か2手しか行けないだろうと、一緒に触らせてもらうことにする。

 以前触った時は、出だしの上のポケットでクロスし、左の方のホールドを取りに行くと言う、少し変則的なムーブをやっていた記憶がある。今回は大多数の人がやっているらしいオーソドックスなムーブを教わる。

 右手は一つ上の1本指の入るポケットで上のポケットを取り、左手スタートに使ったポケットと右手スタートポケットの下のポケットに両足を上げ、クロス気味に右手で上の少し遠いホールドをピンチ持ちするというムーブである。

 新潟の人は両足が上がるのだが、小生は、お尻が出てしまって、右足が上がらない。新潟の人は何回か挑戦して、その先が出来ないので何処かに移動する。

 この課題の左にある大工道という課題をやっていた二人の仲間の一人が参戦し、ムーブを思い出しながら、何回かのトライで上に抜ける。もう一人の仲間も、左に行ってから登るムーブをやって見せてくれる。

 最初の仲間が足を上げる時に右手を左手のポケットのすぐ右隣のポケットに寄せてやっていたので真似をして見る。確かに足は上がるが、お尻が出てしまって次のムーブが起こせない。仲間も登った時はそう言えばそのホールドは使っていなかったようだ。何とか意識的にお尻が出ないように壁にへばりついて足を上げて行ったら、少し上がって来た。

 エイハブ船長に挑戦していた仲間が合流する。同じ事を何回もやっていたから気分転換だとか。

 仲間のスタートは一つ下のホールドである。で、右足でスタートする。小生も左足でスタートすると踏み変えなければならないので、右足でスタートして見る。バランスが左足より悪くなるが、右足でもスタート出来る。最初に右足でスタートしようとした時は出来なかったのに。

 両足を上げる時の左手のポケットは少し横に引くと効くようなので、右斜め下方向位に持ってやって見たが、足は上がらない。腰が出てしまうからかと思い、左足をインエッジで乗って見るがあまり変わらない。

 仲間は両足が上がる。そのムーブを見ていると、右足はトウでポケットに乗っており、インエッジでは乗っていない。それよりは少し右足を突っ張っているような気もする。聞くと、左手のポケットは一度持ち直して横に引いているという。

 小生も横に引く気持ちでやって見たが、それまでの斜め下とあまり変わらない気がする。また仲間のムーブを見る。仲間は既にその両足に立ち、上のピンチを取りに行っている。やっぱり左手を真横に引いて、左足で突っ張って身体を上げているようだ。そうか、それで横に効かせているのか。小生の左足に立ち込む感覚では左手を横にひいても自然と右斜め下方向になってしまうのか。

 スタートして、右手の人差し指をポケットに入れる。次のポケットは、あまり身体を上げているとデッドになってしまうので、身体を少し落とし、左足を流して取りに行く。これも仲間に教わったムーブである。そして、左手ホールドを横に持ち、左足のトウをスタートのポケットに入れて右斜め上方向に立ち上がる。なるほど左手が少し効く。右足が上がって行く。右足がポケットに乗る。やっと足が上がった。こうすれば上がるのか。

 両足に立って身体を少し左に持って行って左上の少し遠いホールドを取りに行くムーブを起こそうとすると身体が剥がれて落ちる。仲間も立ってから次のホールドを取るまでに何回かかかっていたから、何回かやれば次のムーブが起こせるようになるかもしれない。

 それから、2回位やっただろうか、少しずつ両足に立つ感覚は出て来たが、やっぱり動けない。それに、スタートで使う人差し指が痛くなって来る。中指を使ったりしたがやっぱり痛い。それに、スタートからの2、3ムーブが辛くなって来ている。なんとなく疲れて来たような気もする。

 右隣で二人の仲間がロープを出して穴フェースという課題を触り始める。フレンズを使ってトップロープをセットしたらしい。グロバッツスラブを一緒にやっていた仲間が面白そうだというので一緒に見に行く。

 この課題、トップロープで12dだかなんだかで、ボルダリングだと初段らしい。しかし、未だボルダリングでは3人位しか登っていないらしい。何しろ高さはあるし、下地には石が出ているし、結構太い木がそばに生えているし、おまけに核心が上のカンテへの乗っ越しだというのだから。現にその乗っ越しで落ちて、木に抱きつく格好で激突した人もいるらしい。どう考えても安全に落ちられるとは思えない。普通の人ならマットを5〜6枚敷いて、木にもマットを巻いてスポッターを4〜5人付けなければやる気は起きない課題だと思うのだが。現に皆でそんなことを話していた。

 穴まで行くのも細かいホールドで行くようだが、その上に左斜め上に続くポケットもガバなのに痛いらしい。普通の人はまともには持てないらしい。痛さに堪えて何とかその穴でトラバースして、そこから右のカンテに向かって少しトラバースしてそのカンテを巻き込むというのがその課題の概要らしい。

 仲間の一人が取付く。最初のポケットをクロスで取ろうとするのだが、足が無いらしくて身体を廻されてしまう。その先の穴はやっぱりすごく痛いらしい。最後の大きな穴からカンテ方向に上がって行き、カンテを取りに行く所が遠いし、カンテが効かないらしいからすごく悪いらしい。カンテを取ってカンテを廻り込む所も足がズリズリして、とっても恐いらしい。何回かぶら下がりながら上に抜け降りてくる。

 もう一人も登る。この仲間は少しリーチがあるから先の仲間よりは楽そうに見えたが、大体同じ様な所でぶる下がってしまった。

 一緒に見に行った仲間もハーネスを借りて取付く。やっぱりポケットが死ぬほど痛いらしい。最初に登った仲間が少し休んだ後にもう一回登ったが、やっぱり2回目か、さっきよりはスムーズに登っていた。ノーテンでは無かったが。

 もう一人の仲間も見学に加わる。で、ロープを持って来た仲間のナッツやエイリアンを借り、後から来た仲間に教わりながらもう一人の仲間とクラックのプロテクションの真似事をして見る。

 あんな小さなアルミの塊で十分に体重が架けられる。おもちゃみたいなエイリアンがクラックにしっかりと食い込み、ぶら下がる事が出来る。実際に確認したのは初めてだったが少し感動する。

 ついでにフィンガージャムの要領も教わる。指の第二関節を引っ掛けると言う感覚もなんとなく解ったような気がする。そして、前進する時はレイバック気味になって上に手を伸ばすと言う事も聞いて、ジャミングって結局はレスト技術だったのかなんて、なんとなく自分勝手に納得する。

 山梨の仲間の一人が合流し、その人がキューブに行くと言うので、最終的には結局全員でその仲間の登りを見学に行く。

 仲間の一人が林道から沢を少し下った所にビデオカメラをセットし、合流した山梨の仲間が林道側の面の縦ダイクという課題を登るのを撮影するという手筈である。そして、観客は沢の適当な岩に腰を架けて見学する。大ギャラリーを従えての登攀である。

 登ろうとしている人が「あんまり見られると登れない」というから、見物人は全員でしっかりと腰を下ろした状態で「見ていない見ていない」という。

 この課題は沢の中の岩がごろごろした所の小さな平らな岩の上からスタートする課題なのだが、その小さな岩の右は大きな岩、左は一段下がって小さな岩、後ろも大きな岩だったか、そんな感じの下地だから、降りる事の出来る場所はほんの一部の狭い場所でしかない。

 カチ、カチと取って左手をカチに持って行き、右手をリップ下の縦ホールドから右方向の少し遠いカチに飛ばすと言うムーブらしいのだが、左手のカチを持ってすぐに飛び降りる。多分そのホールドは持てているのだろうが、次の縦ホールドを取りに行く自信が持てないので、その状態から飛び降りているものと思う。なにしろ、この状態でマットは全く使っていないのだから。当然スポターも全くついていないし。

 マットを使わないと言う事はこういう事なのだ。多分マットが有れば、次のホールドを取りに行き、失敗して落ちれば良いのだが、マットが無い状態で失敗して落ちると安全な場所に安全に飛び降りる事が出来ないかも知れないのだ。だから、自分のコントロールの効く状態で落ちなければならないのだ。

 良く考えたら、小生は落ちないように登ってはいたが、あまり落ちる練習をやっていなかった。それで、あまりマットを使わないで登ろうとしていた。やっぱり落ちる練習をやらなければならなかったのだ。落ちなきゃ良いと言う感じで登っていると、当然落ちる課題は出来ない。難しい課題への挑戦が出来ない。という事だったのだ。

 仲間がなかなかキューブの課題を登れないからギャラリー皆でビクターの岩に移動する。この岩のサブウェイという課題が未だ出来ていないのだが、今回はなんかあまりやる気がしないので皆と一緒にビクターやコンケープのある裏に行く。その際、マットと荷物は面倒くさかったからその場に残し、靴とチョークバッグだけを持って行った。

 仲間はツーモンクスをやるらしい。別の仲間は右の方のやさしい所をやっている。また別の仲間は逆モファットトラバースをやると言う。グロバッツスラブを一緒にやっていた仲間と小生は落ちてもせいぜい4〜50センチのモファットトラバースの出だしをやる。

 何だかんだで山梨の仲間二人も合流する。一人は朝会った仲間である。その仲間がやっぱりツーモンクスに挑戦する。

 この課題は細かいホールドで出て、一本指が掛かるかかからないかの僅かな穴で左の斜めのカンテを取り、足を上げてそのまま真上のリップに手を送ってマントルして行く課題である。どう見ても小生に使えるホールドではない。おまけに下には岩が出ている。

 ジムの仲間はその岩のすぐ近くに落ちる。しかし、山梨の仲間はその岩から少し離れた場所に落ちる。この仲間の方が落ち方も上手なように感じる。

 結局、山梨の仲間は4回か5回のトライでこのツーモンクスを登る。ジムのまた別の仲間もここを登るが、その仲間は右足を一寸したスタンスに乗せて、左のカンテを使わずに直接上のリップを取りに行く。まぁ、そんなことも出来るのかと眺める。

 小生は、右手少しクロス気味に上のカチホールドを取り、右足はその少し右辺りの下のスタンスで左手を遠いホールドまで持って行って、その左手に右手を放して体重を預けて行くと言う一つの核心が全く出来ないので、同じくそこが出来ない仲間といっしょに何回も何回も挑戦をしていた。

 あんまり出来ないから、その先のコンケーブの所からビクターのホールドに行く所をやって見たが、疲れてしまっていたのか、コンケーブのアンダー気味のホールドで身体が壁に入らなかった。

 帰りは仲間みんなで清里のほうとう屋に寄ってほうとうを食べる。何時に無く贅沢な夕食である。これといって登れたと言う訳ではなかったが、シーズンの初めと言う事で贅沢をしてしまった。

 既に8時を廻ってる。途中の温泉に入れるかどうかわからなかったので、一応行って見ると言う仲間と別れて須玉インターまで行った。しかし、小仏トンネルを頭に20km近く渋滞しているとの情報に、そのまま韮崎に出て広域農道を使って甲府まで行き甲州街道で相模湖インターまで行ってしまった。11時近かったから当然渋滞はなかった。

 まぁ、二人分のほうとう代の足し位いにはなったと思うのだが。


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作成年月日 平成14年 4月18日
作 成 者 本庄 章