野立岩その3

2005年 5月27日記
 塩原温泉の野立岩に行ってきた。相棒と、仲間夫婦とその娘さんの5人、いや4.5人である。仲間夫婦が、愛娘と共にボルダリングに行くとのことだったので、娘さんにはまだ会っていなかったので、ご一緒させていただくことにしたのだ。

 仲間は現地に11時頃に着くとの事だったので、我々は少し早めに着こうと、7時ちょっと過ぎに家を出る。

 普段だったら、茨城を北上して矢板辺りから東北道に乗るところなのだが、今回は首都高経由で東北道に乗ることにした。それだと塩原は3時間くらいで着くことができるからである。茨城を突っ切ると、1時間以上は余計にかかってしまうのである。

 佐野サービスエリアに地図を貰いに寄る。結構混んでいる。

 西那須野塩原インターを降りると、国道への信号で自動車が並んでいるのだが、その末尾がインターのゲートのところまで来てしまっている。と言って、精々7〜8台しか並んでいないから、それほど混んでいるわけではないが、普段よりは混んでいると言うことなのだろう。

 国道は結構自動車が繋がっている。国の試験場の向かいの観光牧場の駐車場にも自動車がいっぱい停まっている。結構混んでいるんだ。もしかして、野立て岩の駐車場が満杯だったらどうしよう。

 そんな心配をしながら走っていたら、いつのまにかコンビニに寄ることをすっかり忘れてしまっていた。

 駐車場に10時半頃に到着する。1時間ほど前に到着する予定で家を出てきたから、やはり途中幾らか時間がかかってしまったようだ。

 駐車場は心配したほど混んではおらず、まだ余裕がある。一番端の一番奥に自動車を停める。

 岩場を少し見に行ったら、何人かの人たちがボルダーの上に登っているのが見える。やっぱりこの場所、最近は人気があるようだ。

 戻って、停めてある自動車を眺めてみると、渓流釣りの会のステッカーを貼った自動車が何台も有る。そうか、釣り師が結構入っているのか。

 支度を整え、近くをぶらぶらする。自動車が停まっては出てゆきとまっては出てゆきしている。しかし、だんだん停まっている自動車が増えてくる。混みだしてきたのだろうか。

 そうこうするうちに仲間の自動車がやってくる。丁度11時である。

 その仲間とはしばらく会ってはいなかったし、奥さんには大分久しぶりだったので、挨拶をする。

 ところが、丁度まんの悪いことに、駐車場がほぼ満杯である。何とかスペースを見つけ自動車を停めた。

 仲間と小生と相棒の3人だけで先ず先に川原に降りる。先客は10人近くいただろうか、狭いスペースは結構いっぱいである。少し端っこのほうに場所を確保し、荷物を置く。

 仲間は奥さんと、愛娘を迎えに行く。

 しばらくすると、愛娘を前に吊るした仲間とその奥さんが現れる。娘さんを見せてもらうのははじめてである。まだ半年らしいから、まだまだ小さい。家の子もこんな可愛い時があったんだろうなぁ。

 日差しが強い。娘さんを外に連れ出すのは始めてらしい。傘を差したり、日焼け止めクリームを塗ったり。家の子にもこんなことしたっけ?

 娘さんの居場所も落ち着き、一段落したところで、4人で話し出す。これと言った話題はないが、何となく話し出す。

 周りでは皆が一生懸命登っている。でも、我々はそれを眺めながらまったりしている。偶にはこんなボルダリングも良いものである。って、最近の小生のボルダリングは殆どこんな感じだから、偶にはでもないのだが。

 そんなこんなで、しばらくずっと、まったりしてから、それではと少し石を触りだす。

 ここは2回目なのだが、その後に某ボルダラーによる高難度課題が幾つか追加されているらしいので、一先ずはそれを見学に行ってみる。

 相変わらずというか、しっかりしたマーキングが残っているから、そことはっきりわかる。ここか。ホールドを触ってみる。相変わらず小生のホールドではない。

 水溜りを倒木で越え、大きな岩の水際の方に行ってみる。圧倒的なルーフが現れる。前回は来なかった場所だ。

 天井のようなルーフが2mいや3m位、もしかして4m以上も続く。そのルーフに幾つものマーキングが残っている。触ってみる。やっぱり。

 そんなルーフを這いつくばったことなんて無いのだから、どこがどのルートかわからない。でも、その辺を這いつくばるのだろうとの想像はできる。辛うじて二段は初段より難しいらしいとの想像しか出来ないから、三段ですら想像がつかないグレードだから、四段だ五段だと言われても全く想像がつかない。

 戻って、またまたまったりしてしまう。

 既に昼だから、昼飯を食べる。

 そろそろ登りはじめるか。

 やさしめの課題でアップをした後、先客がわいわいやっていた、道路際の4級位の大きな穴からスタートする課題を仲間がやっていたので、それを真似てみる。

 下は少しハングしているから、足はわかりにくい。大きく深い斜めの穴を両手で持ってスタートし、左手でカンテを持ってそのままリップまで飛ばして、その穴に立ち上がってゆく、そんな課題である。

 穴を持って左のカンテまでは取りに行けたが、そのままリップまで手を持ってゆけない。

 途中で加わった先客の一人が、スタートスタンスを小生が使った、直ぐ下のものでは無く、少し右の方の上の壁にあるスタンスを使って離陸する。そうか、そのスタンスか。真似をしてみたら、確かに離陸しやすい。そのままカンテを取って、穴にトウを掛けてリップを取りに行っている。しかし、小生にはそのムーブが出来ない。

 仲間が穴にヒールフックでリップを取りに行ったから、真似てみたら、やっぱり僅かに届かない。

 仲間が、左足は石の下に入れるのではなく、身体と石の間に流す感じで持ってくれば楽だと教えてくれたので、そうして見たら、確かに身体は上がった。でも、僅かにリップに届かない。

 この課題、結構疲れるから、少し休む。

 またやってみる。今度は手順が少しわかってきたから、何とかリップが取れる。でも、そこで疲れてしまって、足をトウに変えて正対することが出来ない。

 またやってみる。リップは楽に取れるようになった。でも、その先がやっぱり疲れる。少し休み方が足りなかったようだ。

 また休む。今度は結構長い時間休む。

 思い出したように登ってみる。既に仲間はその場を離れ、A岩と言われる石の課題を触っている。相棒も荷物のところにいる。従って一人だけで取り付いてみる。今度は何時もの足拭きマットを敷いてのトライである。

 足拭きマットの威力だろうか、全てスムースにムーブが進み、リップを両手で持てる。穴に立ち上がることができる。やったー。

 仲間や相棒は離れてはいたが、それを見てくれていたらしい。少しだけ嬉しかった。

 前回も登れなかった、ちょっと被った面の3級の課題に触ってみる。前回は少し細かく繋いで上のポケットを左手で取れていたはずなのだが、そのポケットがなかなか取れない。その細かく刻むムーブを忘れてしまっているのだ。

 何回かやっているうちに、ホールドの懸かりが少し悪くなっているような気になってくる。たしか、ホールドはもっと痛かったはずだから。地ジャンで飛びつけばそのポケットに届くのだが、何となく痛そうだから、それはしなかったが。

 何回かやってみたが出来ないから、そこは諦め、仲間が登った、その左の方の4級とかのところを触ってみる。カチカチカチで登れるらしい。であれば、小生むきかもしれない。

 ちょっとしたポケットで離陸し、左手で少し上のまん丸のホールドを取りに行く。でも、それが出来ない。

 休みながら何回かやってみたら、そのホールドが取れるようになってきた。

 指が暖まってきたのだろうか。それとも、左足の掻き込みがしっかりできるようになってきたのだろうか。

 その丸いホールドはその奥のほうがカチになっているから、意外と持てる。そのホールドで足を上げ、少し遠いカチホールドを取りに行く。その先はガバらしいのだが、その少し遠いホールドが、足を少し高く上げて左手を引き付けなければならないから、なかなか取れない。

 何回かやっていたら、その遠目のホールドが取れた。やったぁー。次のホールドを探していたら力が尽きた。

 落ちてからホールドの場所を確認したら、全く別の場所を探っていた。次は行けるかも。でも、マットが無いから、その先は恐い。既に大分疲れてしまってもいる。残念ながら、これでお仕舞いか。

 先客が「男のトラバース」をやっているらしい。男がどうのと言う声が聞こえてくる。

 この先客の人達だが、鹿沼の山岳会の人達らしく、普段は沢とかをメインにやっている人たちらしい。「男のトラバース」で盛り上がるなんて、嗜好が我がマイモーズと似ているところがあるようで、仲間も何となく喜んでいた。それに静かな人たちだったし。

 鹿沼の人たちも既に帰ってしまったし、一人できていたらしい人も帰ってしまった。仲間もA岩の課題を登ったらしいので、我々も、我々にしては少し早めのまだ4時を廻った所だが、帰ることにする。

 帰りには温泉に寄る予定だったのだが、赤ちゃんも結構日光に当たったり、風に当たったりしていたから、早めに帰ろうと言うことで、そのまま帰ることにした。

 帰りに、道路から下の最後に頑張っていた石を見たら、これが結構被っている。あんなに被ったところに取り付いていたのか。疲れるはずだ。

 駐車場に戻ると、我々以外の自動車は全ていなくなっている。駐車場の前の道も自動車が詰まりだしてもいる。あんなに自動車が登ってきていたから、この先結構渋滞しているのだろう。

 駐車場で仲間と別れ、帰路につく。

 スムーズに自動車が流れて行く。渋滞は無いらしい。

 4号に出る少し手前の東北道の側道に2台の自動車が曲がっていったので、カーナビで確認していたショートカットの道が使えるのだろうと考えて、我々もそこを曲がって側道に入る。その先、全て2車線の道路で国道4号線に出ることが出来た。

 4号線を走りながら、よく考えたら、関谷から直接矢板に出る道があったことを思い出す。そうか、そっちの道にすればよかった。

 国道4号線は意外と食事をする場所が少ないので、少し早目から食事場所を探す。しかし、やはりなかなか適当なところが出てこない。

 氏家のバイパスに入る。

 このバイパスには食べ物屋は殆ど無かったはずだと思いながら、走っていたら、相棒が、○まつがあるという。まさかと見てみると、確かに○まつである。反対車線ではあるけれど、Uターンして、○まつにはいるか。

 色々迷った挙句に牛タン定食にする。やっぱり麦飯だったが、前回の仙台で食べた牛タンに比べるとやはり少し薄いし、硬い。仙台のは高かったからなぁ。

 まぁ、明日の朝までに帰れればよいからと、宝積寺からそのまま408号線に入り真岡を目指す。

 真岡の町の手前で、工業団地方面に曲がる場所を見落としてしまい、真岡の町の中に入ってしまったが、何とかまた408号線に戻り下館を目指す。

 しかし、その後、今まで出ていた下館の文字が出てこない。下館の市街についても下館の字がない。どうしたんだろう。

 何の事は無い、筑西市と名前が変わってしまったらしい。最近はこういうのが多くて困ったものだ。少し古い話だが、昔は、浦和や大宮の案内が全てさいたま市になってしまったことが有る。それでは何がなんだか判らなくなってしまうではないか。ところで筑西市ってどことどこがくっついたのだろう。

 408号はいつのまにか294号に変わっている。普段は下館の町から明野町を通って筑波に出る道を走るのだが、カーナビの指示とおり294号をそのまま南下してみる。

 この道は、もう相当以前に何回か走ったことのある道なのだが、市街地を幾つも通り抜けて走る道だったので、信号やら何やらが多く、結構混む道だったのである。そのため、その後は殆ど使ったことが無かった道なのである。

 しかし現在は、下館から取手の近くまで、ずっとバイパスが作られ、殆ど真っ直ぐ、所々一車線にはなるが、基本的には片側2車線のすばらしい道になっている。おまけに、6号から16号への分岐も、我孫子から直接沼南町に抜ける、立体交差を多用した道も造られており、以前とは比べ物にならないほど便利な道になっていたのである。まだ、昼間の6号線とか未知数も多いが、これからはこの道を使ってみることにしようか。

 この道は、沼南町の大島田というところで16号にぶつかり、そのまま16号を横切って直進すれば、そのまま船橋から、湾岸道路に出られ、家の直ぐ近くまで一本道で走れるのだが、信号を多く、時間帯によっては相当に混むので、距離的には一番近い道なのだが、実際は余りつかえない道である。少し遠回りにはなるが、大島田から16号に入り、何時もの道で家に帰った。

 家に帰り着いたのは10時過ぎであった。塩原を5時前に出てきたはずだから、食事時間も含めて、6時間位かかったのだろうか。往きは高速を少しゆっくり走りすぎたが、3時間半位だったから、食事時間を抜くと、やっぱり2時間弱余計にかかったことになる。でもまぁ、その分を何に使うかとなれば、帰って寝るだけだから、わざわざ高速に乗る事もあるまいということで、一般道をとことこ走っているわけだし、それが趣味と言うことでもあるから、楽しいと言えば楽しいわけである。

 普通に見れば、只のケチと見えるのだろうがって、何か言い訳がましく聞こえてしまうなぁ。


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作成年月日 平成17年 5月27日
作 成 者 本庄 章