南木曽のボルダーに行ってきました

   木曽路の石巡りその3
2006年11月 8日記

 昨日朝の偵察で目星をつけていた公園に行き、そこで朝食にすべく、7時過ぎに出発した。

 着いてみると、川っ淵だったから結構風が強かった。外で食事をと思っていたので、外の東屋で支度を始めたのだが、やっぱり風が強かった。

 周りを眺め回してみたら、反対側の方が少し側壁が高くなっていて風が防げそうだったので、そちらに移動した。

 外に椅子と箱を持ち出して準備をしていたら、日が照りだし、少しは暖かくなってきた。

 ラーメンを食べ、コーヒーを飲み少しゆっくりしていた。

 その対岸の方が河川敷が広く、川原に降りやすそうだったので、対岸に渡り、少し上流方向に歩いてみた。しかし、これと言って良さそうなボルダーは見つからなかった。

 対岸にはそれらしいボルダーが幾つか見える。やっぱり対岸に戻るか。

 国道に出て、少し上流の橋を渡って対岸に行き、国道を歩いているときに降りられそうだと目星をつけた場所辺りに行ってみた。

 川原を見ると、ちょっとしたガレ場になっていて、川原に降りられそうだったので、そのガレ場を使って、川原に降り立った。

 そこには、砂地がいくらか有り、そこそこのボルダーがあった。

 支度をして、易しそうな岩を登ってみた。リップのガバに手が届いたので、ツルツルの壁だったが、スメアで登ることができた。

 ここは、木曽川の本流だからか、滑々の岩ばかりだ。まるで渡良瀬川のボルダーみたいだ。

 非力な一人ぼっちのマットなしボルダーには高いボルダーは登れない。従って小さなボルダーに目が行く。そういうボルダーはほぼ例外なくツルツルのマントルだ。非力な小生はマントルが苦手だ。と言うことで、必然的にスラブを探してしまう。

 あった。ツルツルのスラブが。

 傾斜は無いのだが、登れない。普通ならスタンスになりそうな痘痕が滑る。ホールドになりそうな皺が滑る。傾斜は無いのだが登れない。でも、めげずにスタンスを探す。ホールドをなでる。そうしていると、何とか弱点は見つかるものだ。僅かな傾斜の違い、僅かな皺の傾き、そんな中から使えそうなものを選び出し、1歩上がる。落ちる。その先でまた同じことを繰り返す。2歩目が上がる。手が止まる。無理やり這い上がる。やっと登れる。そんな感じで、やっと征服する。別に傾斜は無いのだが、疲れる。そんな感じだ。

 靴を履き替え移動する。適当な岩が見つかる。支度をして取り付いてみる。滑るからホールドできない。離陸が出来ない。それでいて疲れる。スラブではなくとも、高さがせいぜい2から3mでも、そうなのだ。川原のボルダーは疲れるのだ。

 またまたスラブを発見した。最初のものよりは傾斜はある。ホールド、スタンスに見えるところも最初のものよりは多く見られる。最初の物よりはボルダーっぽい。これも登らなければ。

 またまたスラブとの格闘が始まった。しかし、このスラブは、左側の傾斜がゆるくなっていたので、そこに左足を乗せて離陸したら、あっさりと登れてしまった。

 登れてしまうと面白くない。高かったり怖かったりすれば、あっさり登れても面白いのだが、高さも無く、丸っこい岩だと、あっさり登れてしまうと面白くない。次は少し右よりのスラブの真ん中を登ってみた。

 暫くホールド、スタンスを探していたが、なかなか埒が明かなかった。スタートと次のスタンスは見つかったのだが、その上が傾斜が少し立ってくるし、ホールドも良いのがないから、その先になかなか行けないのだ。

 岩を眺めながら、少し休む。何回か繰り返しているうちに、段々焦りだす。こんなのが登れないなんてと。でも仕方が無い。登れないのだから。

 右の方に新たなホールドを発見した。そのホールドを使ってみた。かかることは掛かるのだが、スタンスがなかった。

 離陸の足を反対の左足にしてみた。離陸が出来なかった。なおもやってみた。身体を少し振ったり、真正面を向いたり、左足で一生懸命頑張ってみた。すると、身体が上がった。

 なぜ? もう一度やってみた。身体が上がらなかった。やっぱり。またやってみた。身体が上がった。そうか、こうするのか。既にそのムーブは忘れてしまったが、何しろ身体は上がったのだ。右足を今までと同じスタンスに乗せた。左足が少し右に来ているから、身体は少し右に来ている。従って、右の方のホールドが利いてきた。最初の頃に一回だけ上がった、左の高いスタンスに足を上げてみたら、結構楽に足が上がった。その足に乗り込んでいったら、傾斜のゆるくなった面に掌を置くことができた。やったー。

 この課題、結構打ち込んだし、結構考えたし、結構満足できた課題だった。グレード?そんなものは分からない。まぁ、難しく無いことだけは確かだが。

 また靴を履着替えて移動した。何しろ、足の爪が少し伸びてしまっていたので、足が痛かったのだ。

 またまた丸っこい小さめの岩が出てきた。少し丸く出っ張った面だ。左下にちょっとした斜めのリスが走っており、左右にちょっとしたホールドもあった。高さは2mくらい。3手かそこらの課題だ。

 支度をして取り付いてみた。離陸をし、すぐ上のホールドを伺ったら、左手が滑った。人差し指が痛かった。そこそこ登れると思ったのだが、意外と手ごわかった。

 リスのスタンスの苔を落として磨き、ホールドも念のため磨いた。

 離陸し、右足を右に開いてスタンスに乗せたら、意外と安定した。右手を出したら、すぐ上の皺のようなカチホールドが持てた。でも、結構力は吸われてしまった。

 一応本日は帰郷の日だ。遅くとも1時頃にはここを出たい。結構歩いたし、力も吸われたから、指も腕も身体も足も疲れてしまった。それに、この三日間、なんだかおんなじような岩ばっかり触っていた気もするし。

 その先は結構大きな岩が存在するが、下地はあまりよくなくなり、歩きにくくなる。靴は仕舞い、三脚をつけたデジカメだけは手に持って歩き出した。

 強ければ、皆と来ていれば、登れるかもとか思いながら、大きなゴロゴロした岩を登ったり降りたりしながら移動していった。

 ここに来たときに一番最初に目に付いた、大きなスラブ面を持った岩の下に移動してきた。見上げると、意外と大きかった。もしかして登れるかもと思ったスラブは、結構な高さだし、顎の下のハングが人の背丈ほどは有ったから、取り付くことすら難しいことも分かった。折角この岩を目標に、ゴロゴロ岩を乗り越えてきたのに。少し残念だった。

 気が付くと、三脚の石突の一つがなくなっていた。移動しているときに岩にでも引っ掛けたのだろう。また新しいのを買わなければならないかも。

 自動車を停めた場所の近くまで戻っていたので、ガレ場を登り、すぐに自動車に戻ることが出来た。ちょうど、木曽川を挟んで河川敷をぐるっと一回りしてきた感じだ。果たしてこの場所がインターネットに写真などを発表されている人達の訪れた場所かどうかの確証は全くないが、まぁ、小生にはそこそこ楽しめたエリアだった。

 国道を走っていると、色々偵察をしているときに候補の一つとして考えていた駐車スペースが出てきた。まだ少しだけ時間もあったので、そこに自動車を停め、少し戻って、川原に下りてみた。

 釣り人のものか、ロープと梯子が有ったので、楽に川原に出ることができた。もっとも、ロープも梯子の使わなかったが。

 そこは、河川敷が結構広い場所であった。上流に向かって歩いてゆくと、強ければ登れそうなボルダーが幾つか現れた。でも、小生には無理そうだったので、写真撮影に留めた。

 河川敷の法面の前に面白そうな岩が現れた。見に行ったら、甘そうだが、ホールドもスタンスもありそうに見えた。折角だからと、靴を履いて取り付いてみた。

 カンテのホールドを使って離陸し、その上のホールドを取る。足を上げて左上の少し遠い目の甘そうな丸いカンテ状のホールドに手を飛ばし、カンテから続くリップを取れば多分登れるだろう。そんな岩だった。近くにあれば打ち込んでみたい岩だった。

 もう少し上流に行くと、大きなお城の壁のような、U字型というか、開いた馬蹄形というか、そんな面白い型をした岩を発見した。上流側は外壁で、下流側が内壁である。ちょうど天辺当たりが一番高くなっている。外壁は無理そうだが、内壁は登れそうな感じであった。ただし、流水に磨かれて、手がかりは何もなさそうだったが。

 もう完全に1時を回ったので、これを最後に変えることとした。

 木曽川沿いの国道19号線を走っていると、河川敷にはいたるところにボルダーが見える。上松周辺は勿論、多分木曽福島の手前辺りまではどこでも探せばそこそこのボルダーが見つかるであろう。そんな感じだった。でも、殆どが滑々なのだろうなぁ。

 ところで、今回のボルダリング行で、面白いことを発見した。ある場所で、岩にペンキで「南木曽花崗岩」「上松花崗岩」「伊奈川だかなんだか花崗岩」「何とか何々岩」とか書き込まれた岩が転がっているところがあったのだ。一目では区別は出来なかったが、よく見ると、上松の方が少し黒い粒々が大目のような感じもしたのだ。いわれてみれば、確かに、小川山の花崗岩と笠間の花崗岩は違う気がするし、豊田の花崗岩も違う気がする。花崗岩と言っても結構バリエーションがあるのだろう。

 途中、お土産でもと、奈良井木曽の大橋道の駅に寄ってみた。しかし、駐車場が狭いのか自動車でいっぱいで、出るに出られない状態だった。待ってても埒が明きそうにないからと、やっとのことで駐車場を抜け出し、次の道の駅に寄ることにした。

 木曽ならかわ道の駅は駐車場も広かったので空いていた。しかし、工芸品は売っていたが、普通のお土産屋のようなものが見当たらなかったので、お土産は買わず仕舞いだった。

 塩尻で20号に乗るところで、道を間違え、佐久方面への道に入ってしまった。きれいなしっかりした道だったし、道なり的に走ってきたから、暫くは気付かずに少し先まで進んでしまった。

 どうせ高速に乗っても渋滞に会うのが関の山と、そのまま20号線を甲府に向かって走っていった。

 塩尻だか岡谷だか辺りで、開店早々のセルフのスタンドが有ったので、開店特価の看板に攣られて入ってしまった。いざ給油をしてみると、リッター139円だった。たかっ。でも、3000円分の21リットルしか給油しなかったし、おまけにティシュを二箱くれたからまぁよしとしようか。因みに家で給油した時は123円だったのだ。

 白州の手前の信州蔦木宿道の駅に寄って、手作りソフトを食べているときに、前回白州のボルダーに行った時に3級の課題が登れなかったことを思い出し、白州のボルダーに寄ってみることにした。

 ちょうど白州のボルダーには一組のカップルがいた。そのカップルは帰り支度をしているようだった。そうだろう、既に4時を回っていたからなぁ。

 挨拶をして、早速取り付いてみた。しかし、またまた言い訳だが、足の爪が痛くて、足に力が入らず、本気でトライする気が湧いてこなかった。それでも、前回は取れなかった、ヒールで取りに行くホールドを取ることができた。またまたまた言い訳だが、疲れていなければ。でも、少しだけうれしかった。

 甲府の町で何回か寄ったことのある牛丼屋で夕食を取り、再び国道20号を走り始めた。中央道は25kmくらいの渋滞らしかった。

 8時までに中央道に乗れば通勤割引が利く。勝沼で6時ちょっと過ぎだったか。上野原で8時前だったら、上野原で高速に乗ることにしよう。

 笹子トンネルは片側通行だった。このトンネルは何時も片側通行な気がする。気のせいかなぁ。

 上野原でまだ7時45分だったので、その後は中央道、首都高で家まで帰った。お陰で、10時過ぎには家に着くことができた。

 川原のボルダーは移動で疲れると言うことがはっきりとした旅だった。ような。


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作成年月日 平成18年11月 8日
作 成 者 本庄 章