三峰ボルダーその4

2003年12月24日記
 ジムの仲間2人と3人で火曜日の休日に三峰に行ってきた。寒いと言うので相棒はお休みである。

 何時もの駅前に8時集合。行き先は決まっていない。

 御岳、笠間、中津川と候補が出たが、人が多いのは嫌だと言うことと、中津川はそろそろ行けなくなるのではとのことから、中津川に決定する。そう、最初の予定は中津川だったのだ。

 何時ものつもりで首都高に乗る道を走り出す。途中、行く道をどうするか決めてなかったので、仲間に聞いたのだが、首都高、外環、関越で良いのではということなので、そのまま首都高に乗る。

 葛西ジャンクションで湾岸から中央環状線に分かれ、暫く走ると、電光掲示板に鹿浜橋の先が事故で通行止めと出ている。あれー、鹿浜橋ってどこだっけ、と思いつつ、小菅のジャンクションで、周りの自動車も結構そっち方面に入ってゆくから、そのまま中央環状線に入ってしまう。

 少し走ると、扇大橋の出口が現れたので、仲間がこの次が鹿浜橋だという。しまった。三郷経由で外環に乗るのだった。しかし、今更引き返せない。

 案内板に東池袋の字が出てくる。えっ、東池袋、そんな道が出来たのか。これ幸いと、江北ジャンクションと言う所から、その道に分かれる。

 全てが新しい。やっぱり新しく出来た道の様だ。あぁよかった。

 東池袋が頭に残っているものだから、途中で現れた大宮方面への分岐で迷ってしまう。どっちに行けばよいのか。この道が池袋線の何所に繋がるのか全く分からない。一応カーナビをセットしてはいるのだが、なにせ、カーナビの画面が小さいので、その道の行く先を確認するのが非常にやりにくい。おまけに、ナビは仲間にお願いしているから、不慣れなカーナビの操作だから、尚更確認しにくいらしい。えいやっ、と東池袋方面に分かれる。

 別の道に合流して、何か見慣れた風景になってくる。待てよっ。これ、池袋線で都心環状線に向かっているではないか。反対だ。間違った。でも、もう遅い。

 結局、都心環状線をわざわざ江戸橋のジャンクション経由で一周して、やっと5号池袋線を高島平方向に走る。

 大分時間をロスしてしまったが、やっと笹目通りの谷原交差点から関越に乗ることが出来た。

 その後は、途中で運転を仲間に代わってもらい、ほぼ順調に関越の鶴ヶ島インターから407号に降り、県道経由で299号に合流する。あとは正丸峠を越えて秩父まで一本道である。

 途中、僅かに雪が残っている所が出てくる。特に河原の日陰はうっすらではあるが雪が残っている。大丈夫だろうか。

 芦ヶ久保付近の道端の、「街道ハング」とかいう岩を見、その解説を聞きながら秩父を目指す。

 秩父の街中で140号に左折し、途中のコンビニで食料を補給して、中津川を目指す。

 大滝村を過ぎると大ループ橋が現れる。そのループを登った少し先のトンネルの手前で中津峡方面に行く道に入る。

 その道の先では大きなダム工事が行われており、その関係で平日は一部通行止めになるらしい。その通行止めの日にちと時間帯を示した看板が出ているので、そのスケジュールをデジカメに収める。基本的には日曜日は全面通行可。それ以外の平日は日中飛び飛びに3回か4回位い30分か一時間程通行が許されると言う結構厳しい通行規制のようだ。

 ダムの堰堤の手前で、やはり大ループ橋で左岸の高いところまで登り、そこから斜面をトラバースする道になっている。

 その道から従来の狭い道に戻って間もなく、その道は右岸の側面を走るわけだが、その道から「塩沢水辺のクラック」という課題のある大きな岩がとても近くにはっきりと見える。こんなにはっきり見えたっけ。

 そこから、大型ダンプとすれ違いながら少し走ると、仲間から情報を得ていた崖崩れによる通行止めの場所が現れる。

 その場所には自動車を停めずらかったので、そこに作られた仮橋様の橋を渡った対岸の道の膨らみに自動車を停め、仕度をして歩き出す。少々寒い。

 通行止めの柵の中に停まっていた自動車から人が降りてきて、何の用だと聞くから、仲間がこの先の河原に行くのだと答えると、この先立ち入り禁止だと言う。ここからすぐなのだがと言ったのだが、人は入れるなと言われているからということなので、諦めざるを得ない。序だから、この崖崩れは復旧されるのかと聞くと、年内は無理だが復旧はするとの事だった。なにしろ、対岸の高いところに作ってあるダム完成後に使うであろう道まで新たな道を作ってしまったので、その後、崩落現場は復旧しないのではとの憶測があったものだから、一応安心する。

 では、三峰か、と言うことで引き返す。今度は小生が運転する。

 何時もとは少し違う場所に自動車を停めることにする。しかし、駐車を予定していた場所には一台の自動車が停めてある。釣り師だろうか。少し先まで行って、Uターンしてきて、その少し先の道端に自動車を停める。既に1時を廻っていた。

 先に止めてある自動車の後ろを見ると、ボルダリング用のギアを作っている所のステッカーが張ってある。やっぱりボルダラーの様だ。

 仲間が、多分知っている人だろうが、余り見たことのない自動車だなぁという。少し考えて、もしかするとあの人かもと小生が答える。

 杉林の斜面を下って、シルクハット岩やどくろ岩のある辺りに行く。まずはペタシだろうと言うわけである。

 シルクハット岩に2人組のボルダラーが居たが、我々とは少し離れていたので、特に声は掛けなかった。

 流木の詰まった岩と岩の間の狭いトンネル様のところを、パッドを背負ったまま無理槍に強引に潜って、草もち岩の方に行くと、子供が2人ほど遊んでいる。やっぱりあの人たちの様だ。

 やはり、知り合いの二人と、もう一人の女性がペタシとベロンチョ凹角に取り付いていた。

 挨拶をして、仕度をして、周りの状況を少し偵察する。仲間も「ひも」を見に行く。仲間にくっついて「ひも」に行くと、下地が大分に下がった。というよりも、岩の前の下地がゴソッと持ってゆかれてしまって、草もち岩との間に入り江が入り込んでしまっている。下地が無くなってしまっているのだ。

 草もち岩の前に戻って、そのトライを少し見学する。仲間2人もペタシを触りだす。小生は、その岩の左カンテを登って見る。

 トポによれば、その左カンテは5級らしいのだが、以前大分苦労して登った記憶がある課題なのである。で、今回は一応一回で登りはしたが、カンテを変なバランスで持たなければならず、下が岩盤で足拭きマットしか置いていないから、結構怖かった。

 仲間はペタシを何回かで登ってしまって、そのバリエーションをやりだす。小生は、ベロンチョを薦められたが、先客がいるので、その草もち岩の隣の小さな岩の真ん丸いスラブに挑戦を始める。

 この岩、砂を持ってゆかれた関係で、下地が大分に下がったようだ。その下地も、石ころの間を水が流れており、下手をすると靴を濡らしかねない状態である。多分誰も触ったことが無いところかも知れない。

 ちょっとしたホールドで凄く悪い足で離陸しようとしたのだが、中々離陸が出来ない。何回かで離陸は出来たのだが、次の手が無い。

 その左のほうの丸いカンテチックな所は易しそうだ。やっぱり易しかった。

 戻って、スタンスやホールドを探ったが、結局出来ない。仲間にやって見てくれと頼むと、その仲間も登れない。もう一人の仲間が、少し右のほうのホールドを使って、登ることが出来たのだが、やはり難しい様だ。もう一人の仲間も登ったのだが、小生には登れない。途中、ベロンチョに少しだけ浮気をして見たが、気になるので、また何回と無く挑戦する。

 左手を少し奥の方に飛ばして、なんとなくできるかなと言う感じにはなったのだが、結局手が返えらずに出来ない。

 仲間が、「春と修羅」という課題をやるために移動すると言うことだったので、小生も、出来ない課題を諦め、一緒に移動する。狭い岩と岩の間のトンネルは、今度はパッドを先に通してから潜った。でも、大分もたもたしてしまった。

 少し周りを偵察してみる。

 やっぱり、全体的に下地が持ってゆかれているようだ。「池田カンテ」の下地は凄いことになっている。多分マット無しでは怖くて取り付けない。岩がぼこぼこ出ているのである。人の字岩、ヒヨコ岩辺りは下地がなくなってしまったところがありそうだ。大分入り江が回りこんで、半分水没している感じである。以前はもっと砂が有ったような気がするのだが。

 仲間の元に戻り、靴を履いて、先ずは易しそうな「おうま」をやってみる。5級らしいから、まぁ登る。

 どくろ岩に行ってみる。「ミミズルート」の下地には砂が残っている。チョークも付いている。やって見る。

 丸いフィン状のカンテを持って、そのカンテの向こう側の丸い凹角に乗り込んでゆく課題のようなのだが、中々凹角に回りこめない。

 その前に離陸である。カンテを両手で持って、右足で左のほうのカンテの側面を突っ張って離陸し、右足を凹角の中に回し、手を上げて行く。カンテ沿いにホールドは2箇所程あるのだが、あまり良くは無いのだ。一生懸命左足に乗り込もうとするが、右足のスタンスが無さそうなので中々回りこめない。ホールドも、僅かなピンチっぽいカチを見つけたり、いろいろやって、カンテの一番上のホールドまで手を伸ばし、左足を凹角からカンテの良いスタンスに乗せ変えたりしたりと、その辺まで進みはしたが、結局そのスタンスにも乗ることが出来ず、凹角側に体は持ってゆくことが出来なかった。

 休んだり、仲間の元に戻ったり、少し時間を置いてやってみたら、離陸できなくなってしまった。休んでいるうちにじわじわと疲労が表面に出てきてしまったのだろうか。

 仲間は「春と修羅」「無名峰カンテ」などを登ったようだし、時間も時間になってきたので、近くの易しい課題をフランス某所の「サーキット」のように廻ろうということになる。

 先ずは無名峰の下地が上がって易しくなったところを登る。小生も登ったのだが、降りられない。何所を降りるのか分からない。スラブの傾斜は緩いのだが、苔が生えているから怖くて降りられない。聞くと、そのスラブの横のカンテから隣の岩に飛び降りたと言う。しかたが無いから、登った所をクライムダウンする。

 次は「おうま」。小生は先ほど登ったからやらない。

 そして、どくろ岩の一番やさしいところ。小生も登る。で、降りるのに少し苦労する。

 その次は小生のやっていた「ミミズルート」。仲間は、凹角に入らず、カンテの右側を登って行く。続いて本来の「ミミズルート」。仲間の一人の苦手ルートらしい。小生はこちらの本来のルートだけまたやって見る。相変わらずである。

 その裏の小さな岩にチョークがついていて、先に小生がやって見たのだが、なんかバランスが悪くて出来なかった課題があるので、それを仲間に登ってもらう。

 なんだか、仲間も良くは分からないようで、最初は出来なかったが、結局右のカンテは使わずに登る。小生は相変わらず出来ない。

 「涼しいマントル」を登る。小生は以前登ったことがあり、怖いので、パス。

 そこまで、小生は殆ど登ることが無かったので、寒くて仕様が無い。寒いと言うと、登れば暖かくなると至極当然な答えが返ってくる。確かに。

 仲間はもう1つマントルをやって、なんと言う岩のなんと言う課題だかは分からないが、岩の上から落ちれば水の中という課題を二つほど登る。小生も寒いから、そのうちの1つを触って見る。右足を少し右のほうの少し高いところに持っていって乗り込まなければならない。それに失敗すると水の中に落ちてしまう。右足をそこまで持っていってみたが立てそうに無い。諦める。

、まだもう少し仲間は遊んで、最後に無名峰に戻る。荷物は無名峰の裏に置いてあるのである。

 スラブに挑戦する。普段なら易しいところを仲間はおっかなびっくり登って行く。苔に加えて、既に寒くなっているから、岩が結露を始めているのである。スメアが全く信用できないのである。本気で登ったとか。

 小生は大分右のほうの、上にしっかりとしたカチのあるところに取り付いて見る。

 右足で出て、右手はカンテをパーミング、左手は両手で持てる位に大きいカチを取る。左足を上げる所を探したが無い。ちょっとしたスタンスを見つけ、体を上げたが、結局滑って落ちる。

 仲間も真似をしたが、足が無く敗退する。もう一人の仲間が、左足を少し高く迄上げて上に抜ける。最初にやった仲間もその足で上に抜ける。小生は、その足に中々足が上がらない。ますますスタンスが悪くなる。ということにしておこう。

 もう直ぐ暗くなる。ヘッデンは仲間の一人しか持ってこなかったから少し急がなければ。

 仕度をしていたら、新しく持ってきた足拭きマットが無いことに気付く。仲間の足拭きマットとこの場所でサイズあわせをしていたから、さっきのサーキットのどこかに置き忘れたに違い無い。探しに戻ったが見当たらない。

 荷物を作っていたら、先ほどのペタシの集団が戻ってくる。仲間が話を始めたので、再度探しに行ってみる。やっぱり見つからない。

 仲間も仕度が出来たので出発となったが、マットがまだ見つからないと言うことで、仲間も探してくれる。

 最初に寄ったどくろ岩の裏のほうに有ったらしい。そこに行ったことをすっかり忘れていた。歳は取りたくないものだ。

 先客は子供連れなので、我々に道を譲ってくれる。

 先を行く仲間に遅れまいと、既に見えにくくなった杉林の中の僅かな踏み跡と、仲間のかすかに見える後姿を追いながら、必死で上に上がる。暗くなる一歩手間で、やっと道に出る。

 帰りは、いつか入ったことのある秩父の街の手前の食堂で夕食にする。時間は未だ6時前。既に外は真っ暗である。それにしても空いていた。客は我々だけであった。草野球チームはこの時期はお休みなのだろうか。

 帰りは、順調に来た道を引き返し、外環からそのまま三郷まで行き、松戸から市川に出る。仲間達が関越方面に行く場合に使う道らしい。船橋からだと、結構便利なようだ。

 市川で仲間の一人と別れ、そのまま西千葉まで行きもう一人の仲間と別れる。

 行きは少しゴチョゴチョとあったが、結局は、そんなに寒くも無く半日十分に遊ぶことが出来た。

 今度は、御岳、笠間でサーキットを考えるらしい。小生も黄色サーキットでも考えて見るか。


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作成年月日 平成15年12月24日
作 成 者 本庄 章