御岳ボルダーその68

2008年 8月11日記

 先々週の日曜日の日に、相棒と二人で御岳に行ってきた。外岩は半年ぶり、御岳は9カ月ぶりであった。

 ここのところ暑いので、仲間がやっている朝御岳でもと、3時頃目を覚ましたのだが、結局出発は6時頃になってしまった。4時頃に出られれば、中央道の通行料が半額になったのだが。いつもの事である。

 首都高から中央道で、8時頃御岳到着。既に寒山寺の駐車場はカヌーを載せた自動車等で、ほぼ満杯だった。玉堂の上の駐車場に行くと、幸い1台分が空いていた。

 先ず、とけたソフトクリーム岩に行ってみた。休日にはトイレの前にいつも出ているというおまんじゅう売りの小母さんは、まだ時間が早いせいか出てはいなかった。とけたソフトクリーム岩には独りのボルダラーが取り付いていた。

 下流側の少し川沿いの場所に荷物を置き、少しゆっくりしながらそのボルダラーを見ていると、頻りと5級の課題に取り付いていた。リップのカチから左奥のリスを取り、右上の箱のリップのホールドを取るのだが、スタートのリップになかなか足が上がらないでいる。箱のリップのホールが取れれば、普通は登れるのだが、何回も何回もそこで落ちている。あんまり同じことを繰り返しているから、つい近づいて、左手をリップの上で返して見たらどうですかとお話ししてしまった。

 その先客がパッドを片付けたので、小生も支度をして、そこを触って見た。リップのカチを両手で持って離陸しようとしたのだが、これがうまく行かない。リップのカチがうまく持てないのだ。おかしいなと思いながら、右手をリップの下のサイドガバに移し、少し横を向いて離陸し、左奥のリスを取った。

 足を上げて、箱のリップのホールドを取りに行ったのだが、そのホールドが持てない。いつもなら、なんて事なく持てるホールドのはずなのだが、ヌメッていて持てない。持てそうなところを探っているうちにその手が滑って落ちてしまった。

 登れるつもりで取り付いたものだから、少しだけ悔しく思えて、最初のころやっていた、リップの上に手を返し、足ブラ気味のマントルを返すという、結構怖いムーブを試そうと、再度やって見た。手が返らない。返そうとすると体を剥がされて落ちてしまう。下流面の傾斜が少しきつくなっているのだろうかと、一瞬考えてしまった。何しろ、最近のこの岩の露出感は今までにない露出感だから、そう考えたくもなってしまうのである。

 先客がお上手ですねと、声を掛けてくれた。この言葉は、結構多くの方が小生に掛けて下さる言葉である。しかし、そんなに難しくもない課題に格闘している場面でこの言葉を掛けられても、なんと言って返事をしてよいか分からないのである。なんだかすごく戸惑ってしまうのである。一応、結構永くやってますから的な返答を返すのが精一杯なのである。

 先客が再び格闘を始めたので、小生はまたまたその方の試技を眺めていた。

 最初は曇っていた空も、今は日が出ている。従って暑い。相棒に時間を聞くと、まだ9時だとか。もっと永く此処にいる気がしたのに。

 小生が此処に来たときに先客の試技を眺めていた、犬を連れたお年寄りが、またその方の試技を眺めている。よっぽどボルダリングが気になったのだろうか。お連れ合いとおぼしき方も近くで見学していた。

 相変わらず、先客は足が上がらず、登る事ができないでいる。しかし、先程の小生の経験から、多分、小生よりは上のグレードを登っている方の様に見える。小生は、足を上げるところまでも行っていないのだ。

 その方は、もう少しで足が上がるところまでは行っているのだが、あとわずかで足が上がらないでいる。何回かのそんな試技の後、裏のスラブの方に移動された。

 しばらくして、またその課題をやって見た。今度は、箱の正面のリップの辺りのちょっとした膨らみが利く事を思い出し、その辺を使って見ようと、ごちょごちょやってみた。そして、もしかして箱の上の棚に他にもホールドがないかと、箱の上の棚の奥を探って見た。すると、いくらか掛かるホールドが見つかった。それを使って、左足を右足に踏み替え、左足を上げていったら、リップの上に足が上がった。その上も、ツルツルのスラブだったので、慎重に足を選び、上に抜けた。

 やはりツルツルの傾斜のゆるいスラブを、腰を落としながら前向きで降りてきて、先客と、どうやらそのお連れだったらしい、老夫婦とその御付の犬が休んでいる、一段高くなって木陰になっている方向を見ると、先客が、手をたたきながら、小生に祝福を送ってくれていた。お辞儀をしながら、照れ臭かったので、「奥にホールドがありました」とかなんとか言いながら戻ってきた。

 だいぶん暑くなって、日も強くなってきた中、その日差しを目一杯浴びながら相棒とぐだぐだと話をしていたら、先客達はどこかに移動されてしまった。もう少しだったので、また挑戦されると思っていたのだが。

 凹角のところの課題の出だしを触って見た。下地がよい塩梅にほんの少しだけ高くなっており、なんとか離陸ができそうな状態だったのだ。

 まず、真ん中のクラックの少し掛かりの悪い場所と右カンテとを使って離陸して見た。左足をスメアで左壁に突っ張り、右手カンテにぶら下がったら、体が浮いた。そのまま左手をより掛かりのよい少し上のクラックに飛ばしたら、その掛かりのよいクラックが取れた。そのクラックを引き付け、体を起こして、リップ付近のクラックを右手で取りに行ったら、リップまで右手が届いた。

 左足がスメアのままだったし、右足が浮いていたので、右足を右カンテの適当な場所に置こうとしたら、力が尽き落ちてしまった。まぁ、今までは掛りのよいクラックでさえ十分に持ちきれずになかなかスムーズに離陸が出来なかったのが、この時期にそこまで行けたのは上出来と凹角への挑戦はそれで終えることにした。

 さすがにとけたソフトクリーム岩の前は日当たりが良すぎたので、多分日陰であろう忍者返しの岩に行くことにした。

 途中、まだ遊歩道脇のレストランや喫茶店様の店は、営業はしていなかった。日曜日なのにと、少し不思議に思いながら看板を見ると、営業は11時からとなっていた。なにしろまだ10時頃だったのだ。

 鵜瀬橋の上から、河原を見ると、最近はずっと取り付きが水没していて登れなかった岩の取り付きに水はなく、その岩が登れるようになっていた。しかしその岩、ここ何年かの間下地が水没していて、ずっと登れなかったのが、2年位い前だったか、一時登れるようになったので取り付いてみたことがある。その時には、苔が結構戻っており、表面もザラザラしていて、少し掃除をしないと、登れない状態であった。従って、多分まだ登るには少し危ないのかも知れない。再掃除が必要なのかも知れない

 遊歩道岩を見て見た。チョークが少し残っていた。しかし、期待した日陰もところどころ破れており、期待した程涼しくはなかったので、そのまま忍者返しの岩まで行った。

 忍者返しの岩の前には2〜3人の先客がいた。忍者返しの下にも、白狐岩の上流面の3級の課題の下にもパッドが敷いてあったので、そのままマミ岩に行ってみた。そこにもやはり先客のカップルが居り、マミ岩の下にはパッドが敷かれていた。仕方がないから、荷物だけは河原に置き、遊歩道脇の汚い岩に行ってみた。

 この岩の2級の課題が未だに登れていない。見栄えはしないが、ぜひ登りたいと考えている課題の一つなのだ。ちょうど目の前辺りの所のキーとなるホールドを持ち、両足を張ってみた。あれ、どの足だったけ。足が張れないのだ。体を少し左に向けて両足をキョン気味に張って、左手のキーホールドを引き付ければ、右手がリップ直下の逆三角辺りのホールド辺りに届く筈なのだが、足が張れないのだ。というか、左手が引き付けられないのだ。

 もっとも、この課題は、その左手の引き付けが第一の核心だから、小生には十分に引き付けられなくても当然なのだが、前回ここを触った時には、あわや逆三角に手が届く辺りまで右手が出たのだ。それで、今回もそれの再現をと思って触って見たのだ。結果は甘かったようだった。

 マミ岩に戻ったのだが、パッドがどけられる気配がなかったので、忍者返しに戻ると、ちょうど先客が移動する所だった。

 水の歌岩の裏側の、少し反り返った感じの、狭いクラックが縦に1本走っているところを触りに行って見た。大分以前、仲間達と触ったときに、小生だけ仲間のやっていたクラックで壁の中に入り手を出して真上のリップを取りに行くと言うムーブが出来なかった課題だ。相変わらず、壁全体にうっすらと粉のような苔が生えており、ここの所誰も触った形跡が無い状態だった。

 その時は、小生はちょこっと丸く大きく出っ張ったところにオポジションで離陸して登った筈なので、そのオポジションを使わずに、クラックを使って離陸しようと色々とやって見たのだが、相変わらず離陸が出来なかった。最初に一回だけ出来かかったのだが、その後は全くだめだった。

 忍者返しの岩の前に戻ると、我々二人以外は誰もいなかった。なんだか大分以前の御岳を思い出してしまい、またまた相棒と少しそんな話をしたり、パンを食べたりしてしばしマッタリしてしまった。

 パッドもなくなったので、久しぶりに忍者返しに取り付いて見た。なんだかスタートホールドがまた微妙に崩壊が進んだ様な感じだった。

 右手の指をちょっとした浅いクラックに突っ込み、左手はそのすぐ横の横からラップするようなホールドで離陸して見た。ホールドは、右手が少し右方向に移動した様だったが、左手はそれほどは変わってはいない感じだ。右手も、場所は少し動いた感じだが、持つ感覚は昔とそれほどは違わない様に感じた。つまりは、実際は、以前の感覚とそれほどの差はない感じだった。

 右手の指は浅いクラックの中で微妙に指先がかかるところが何カ所かあるのだが、いずれもしっかりかかる訳ではなく、何本の指の何カ所かでわずかに引っ掛かる感じだから、指の入れ方で持った感じが微妙に違う。ああだこうだと、指を置く場所を探ったり指を入れる角度を変えて見たりしたが、どれもしっくりとはこない。結局少し左にずらし、親指の腹を少し引っ掻ける感じのホールドでスタートして見た。

 足は左下のやはり崩壊が少し進んだ様に見えるスタンスに左足だ。その足で離陸した後、右足を岩に付け、左上のホールドを取りに行ってみた。届かなかった。この時期だし、ホールドも以前よりはいくらか悪くなっている感じもするしで、予想はしていたので、やっぱりなという感じではあった。

 忍者返しの岩のクライマー返しのスタートの横の岩の前に荷物を置いていたので、そこに座りながら、改めて忍者返しの岩を見上げてみた。すると、岩壁は結構被って見えた。忍者返しの岩が被っていることは承知はしていたのだが、その角度から改めて見ると、やはり結構被って見えた。これでは一手目が取れないのも無理はないと、改めて納得してしまった。

 白狐岩の上流面の3級の課題が気になっていたので、その課題を触りに行ってみた。

 スタートは両手を一杯に広げて、その少し膨らんだところを抱え込むような格好で両脇のホールドを持ち、右足で離陸して、左足で左側の壁を抱え込むようにフックすると、左手が出せるようになり、上の少し遠目のホールドが取れた。筈なのだが、その左足のフックがどうもうまく行かなかった。

 多分右足のスタンスの位置だろうと、色々と探って見たが、そこを登ったのははるか昔の事だから、全く思い出せない。おまけに足の置けそうな場所は、右端から左端まで広範囲にわたって、いくつもあるから、どれがどれやら分からない。

 何回かの試技の後、少し左よりのスタンスを試して見た。なんとなくその辺だったかなという、遠い記憶がよみがえったかにも思えたが、相変わらず左足のフックは全く効かなかった。そのフックは、結構強烈に、しっかりと効いた筈なのだ。

 そこは諦め、しばし休息をした。相変わらず二人だけだった。

 忍者返しを触って見た。今度は右手の指を一番右端に突っ込んでやって見た。指の上側がクラックの出っ張りに食い込んで、しっかりと窪みができていまっており、それが結構痛かった。

 相棒と二人、パンを食べたり、水分を補給したり、少しゆっくりしてから、また、忍者返しに取りついてみた。今度は最初のように、親指がかかるようにホールドを持って離陸して見た。体を引き付け、右足をちょっとしたスタンスにおいて、左足で伸び上がって見た。次のホールドが取れた。

 スタートホールドの二つほど下の大きなホールドに右足を上げ、右手で次のスローパーホールドを取りに行ってみた。手はかかったのだが、ホールドを保持仕切れず、落下した。大きなスタンスの右足も滑っていた。まぁ、第一手目のホールドが取れたから良しとした。

 男性の二人連れがやってきた。続いて同じく男性3人組がやってきた。そして、忍者返しの下と、白狐岩の上流面の下にパッドが敷かれた。

 二人連れの一人が子供返しを跳んでいたのだが、左足が小生よりも少し左で、右足も少し左の低めの所で飛んでいた。そして、位置的には次のホールドに右手が届いていた。

 なんだか小生の左足と少し違うので、左足を亀返しのスタートホールドのちょっとしたバンド状の所にやって、右足も少し右に移動して見たらとお話したら、せせこましくてその人には出来ないとの事だった。

 その方が子供返しを何回か跳んだ後、小生も、小生のスタンスで取り付いて見た。で、跳ぶ体制にはなれた。しかし、その体制で跳び出すことが出来なかった。

 3人組の人達がアップにと白狐岩の5級だったかのクラックのところを斜め上にトラバースする課題と、上流面の3級の課題を触り出したので、小生も見に行ってみた。そしてその人達と話をすると、熊谷のジムに通う人達で、そのうちの2名は外岩は初めてとの事だった。

 外が初めての人達は、ツルツルの岩にスタンスを見つけられず、結構苦労している様だった。クラックのトラバースの課題は結構力が要るので、確か小生はまだまともには登っていない課題だったと思う。なので、一緒になって、少し触って見た。

 SD気味に出るのだが、クラックの縁で手をクロスして次のホールドを取るところができなかった。仕方がないから、その先をやって見たら、その先はできた。初めての二人は、その先で結構悪いスローパーチックなホールドを使うので、そこができないでいる。しかし、そこは、小生は小さめのカチをつないで、足に乗り込んで行くから、そんなに難しくは無いのだ。

 その二人を連れてきたらしい、外は初めてでは無さそうな人が、上流側の3級の課題を始めたので、小生もまたその3級の課題を触ることにした。

 その人が、足を少し高めに上げて、ヒールが掛かりそうに見えるところにもっていったので、もしやと、それをまねて見た。しかし、ヒールは掛からなかった。

 休んでいたら、外岩が初めての人の一人が、フクラハギを5センチ程切ってしまったと、二人を連れてきたらしいらしい人に付き添われて、病院に行くことになってしまった。落ちた時に、横の岩にぶつけて切ってしまったらしい。やはり、外の岩は気をつけて取り付かなければ何が起こるか分からないということだ。だから、初心者は常に注意をしながら登るという意識を植え付けるためにも、パッドの使用はしない方がよいのではないかと、強く強く思ってしまった。

 その仲間の残った一人と、前橋のジムの事やそのオーナーの方の事を少しお話した後、ジョンギルを知っているかと聞いて見たら、知らないというので、前橋のジムのオーナーはそのジョンギルの足跡を訪ねる旅に出た事があり、岩と雪という昔の雑誌に紀行文を発表されたとかのお話しを少ししてしまった。

 その方がなんとなく何をやったら良いかわからなそうな感じに見えたので、下流側の、7級とか6級とかのある、下部が丸っこくなった、足が使いにくい岩を勧めて見た。そして、7級のところを、少し左により過ぎてしまったが、なんとか登って見せた。すると、その人は、その後しばらくその岩と格闘していた。

 マミ岩にいたカップルがこちらに移ってきたので、小生は、再びマミ岩に行ってみた。マミ岩の前には二人のボルダラーが岩の下にパッドを敷いたまま休んでいた。一人の人は、先程忍者返しの岩の方にも見えたが、すぐに戻って行かれた人だった。

 もう一人の人は川側を向いて休んでいたので、多分その人のパッドだろうと思えたし、多分その人は暫くは登らないだろうと、その人に声をかけて、そのパッドをどかし、SDの課題のスタートをやって見た。

 この課題、スタートホールドが低いので、なかなかスタートができない課題である。先ほどのカップルの人は、狭すぎるから、そのうえのホールドで出ていると言っていたくらいだ。

 この岩の右下には、元は一つの岩では無かったと思しき岩が狭いクラックを介してへばり付いている。確かその岩をスタンスに使ってもよかったような記憶がある。ということで、その岩を使ってよいことにして、スタートホールドの下にしゃがみこんで離陸をして見た。が、なかなか離陸ができなかった。

 ああでも無いこうでも無いとやっているうちに、完全に地面に寝転んで、左足をその岩にかけ、膝を曲げてその岩を掻き込むようにして見たら、尻が上がり、離陸ができた。これだこれだ。

 その態勢で左手を出そうとしたのだが、その左手が出せなかった。一生懸命出そうとやって見たのだが、どうしても出なかったので、右手を出したら、右手は出た。そのまま手の掛かった少し左上のホールドをもってみたのだが、少しクロス気味に手を出しているし、もともとそんなに持てるホールドでも無かったから、次に動くことができなかった。

 そのまま少し地面に寝転んでいたのだが、結構疲れてしまっていたので直ぐに起き上がり、荷物の場所に戻った。

 もう一人の、小生と年格好が近そうな方は、マミ岩中央だったか辺りを登っていた。この方は、グレード的には多分小生とそんなにはちがわなそうに見えた。

 川を向いて座っていた方が、マミ岩のSDの課題らしいところをやり出した。見ていると、小生の使ったホールドよりも上のホールドでスタートし、左手をリップの上のホールドなど何も無さそうに見えるところに飛ばしてきた。当然というか、止りはしなかった。

 それを見て、普通はその左のカンテのピンチチックなすべすべのホールドを使うのではと、思わず言ってしまった。すると、もう一人の人が、それとは別の課題をやっているらしいといった。

 その後、そのお二方のやり取りを聞いていたら、やはり、そこが止ればそのまま左の上の天辺を目指して傾斜のきついスラブを直上するつもりらしかった。

 リップ上の手を飛ばした先をよく見ると、確かにちょっとしたアバタがあった。触って見たら、わずかに掛ると言えば掛る様な気もする、そんなホールドだった。しかし、我々クラスでは全く使えるホールドではなかった。何かニラのスタートホールドを思い出してしまった。

 またパッドをどけさせてもらって、今度は3級の課題をやって見た。

 今は下地もわずかに上がったようで、下のリップの縁のスタンスには足が上がった。しかし、その辺も微妙に状態が変わっている様で、以前から使っていた少し左寄りのそんなに大きくはないスタンスが分からなかった。それで、皆が普通に使っているだろうスタンスに左足を乗せて右手縦カチ、左手スローパーピンチで離陸して見た。

 この右の縦カチだが、これも下の方が欠けている見たいで、いくらか掛りが良くはなったが、その分持ち憎くなった、そんな感じになっている様に思えたのだが。

 やっぱりなかなか右手が引き付けられず、左手が出なかった。右足を流して岩を押さえて見たりして、やっと左手を出して左上のポケットを取りに行ったのだが、体を剥がされ、それを取ることはできなかった。

 もう一度、右手のホールドの持ち方を確認したりしてやって見たら、いくらかデッド気味ではあったが、何とか次のポケットが取れた。そのまま左足で立ち上がり、上の水平のリスの様なカチホールドを取りに行ったのだが、十分に左足に立つことが出来ずそのホールドに届かないうちに体を剥がされてしまった。

 その左上のポケットを取って落ちたことはほとんど無い。様に思う。やっぱり右手の縦カチがしっかりとは持てていなかったのだろうか。

 もしかして、しっかりと立てないのは足のせいかと考え直し、その他の足を色々と試していたら、難しい事をやっていた方が、最初に使った足を教えて下さった。やっぱり、普通はその足だと小生も思う。

 上流方面で頻りと雷の音がしだした。空もわずかに暗くなり始めた。そろそろ雨がきそうな気配になってきた。

 そろそろ帰らなければと、支度をしながら、小生のお仲間と思しき方と昔の御岳の話などをしていたら、どこからかと尋ねられたので、千葉からだと答えると、ひょっとして○○さんですかと尋ねられた。そうだと答えると、やはり小生のHPを見て下さっているとの事だった。で、神奈川の石老山の事を聞かれたので、小生の知っていることを少しお話させていただいた。

 そうこうしている間に、空は益々暗くなってきたので、あわてて自動車に戻った。途中、2つ目のトンネルを抜けた辺りで結構大粒の雨が落ち出した。でも、何とかわずかに濡れた程度で自動車にたどり着くことができたので、荷物を置いてトイレに行った。

 トイレから出てくると、ものすごい降りになっていた。トイレから自動車まではほんの10mか20mなのだが、そこを濡れて行くのを憚る程の降りだった。間一髪間に合わなかった様だ。急ぐ旅でもないと無いと、相棒と二人でしばしトイレの軒先で雨宿りをすることにした。

 程なく、玉堂美術館の方から、ずぶ濡れになって、子供連れの一団がやってきた。その内の子供を含む3人程の女性が我々の横の軒先に入ってきた。本当にずぶ濡れになっていた。仲間の男性達は自動車の後ろのハッチを空け、荷物の整理をいている様だった。

 隣の子供が頻りと寒い寒いを繰り返している。しかし、こちらもタオル等は自動車の中だし、どうすることもできなかった。

 その後、その一団は荷物の整理が整ったのか、雨がものすごく降る中、出発していった。

 雹が降り始めた。その雹はだんだん大きくなってきた。直径1cm弱、結構大きな雹だ。目の前の自動車の屋根で頻りと跳ねている。すごい量が跳ねている。よく見ると、その自動車の屋根には、直接降ってくる雹に、トイレの軒先から飛んでくる雹も混じっているから、より多くの雹が跳ねている。ここに停めなくて良かったと、少しだけほっとした。

 その強い降りはそれほどは続かないだろうと思って雨宿りを始めたのだが、雹は止んだものの、雨はますます激しくなってきて、その激しさがなかなか弱まってくれなかった。空はいくらか明るくなってきた感はするのだが、なかなか弱くはならなかった。仕方が無いから、相棒としばらく激しく降る雨を眺めていた。

 時間にして10分か20分そこらだったのだろうか。ただただ目の前に降る激しい雨を眺めていたから、時間はどれほどだったかはわからないが、まぁ、暫くはそうしてじっとしていた。

 とはいえ、そう何時までもじっとしてもいられなかったので、それまでのうちで多分一番小降りになったろう頃を見計らい、自動車に駆け込んだ。自動車に鍵はかけてはいなかったので、その分いくらか早く自動車に入れたのが、幸いと言えば幸いだったかもしれない。ほんの僅かな幸せだった。

 出てすぐのトンネルに雨宿りをしていたボルダラーがいたと相棒が言った。小生は見てはいなかったが、あの状況の中で良くも頑張っていたものだと、普通はもう少し早めに引き上げて来るだろうにと、少し遅れ気味ではあった我々のタイミングが多分最後のタイミングだっただろうにと、少しだけ感心をしてしまった。

 軍畑から日向和田まで降りて来ても、雨は弱くはならなかった。かえって我々が出てきた時よりも大分に強くなった位だった。梅ケ谷峠を越え、日の出町に入ると、さすが雨は大分弱まった。しかし、相変わらず降っている事は降っていた。

 普段、夏でも自動車の冷房を入れる事は滅多に無い。しかし、この雨では窓を開けることもできないので、冷房を入れていた。そんな訳だから、雨が小降りになったので、冷房を止め窓を開けて見た。やっぱり雨が降り込んで来た。仕方が無いからまた冷房を入れた。

 帰りはいつもの様に、睦橋通りから新奥多摩街道に出て国道20号線を永福まで行った。途中、雨が止むと窓を開けたのだが、すぐまた雨が僅かに降り出し、またまた冷房を入れる事を何回か繰り返した。多分、雨域の移動とほぼ同じくらいのスピードで移動していたのだろう。日出町から先は殆ど道路は濡れていなかったのだから。

 永福から首都高に入ると、雨が少しだけ強くなり、道路も濡れだした。そうか、ここは雨域の移動の方向と少し違う方向に移動し始めたのだろうか。そんな事を相棒と話しながら、渋滞の殆どない首都高を走って行った。

 途中、頻りと喉が渇くので、持参していた自分用のペットボトルの水を飲もうとしたら、既に殆どなくなっていた。そんなに水を飲んだ感覚は無かったのだが、この時期、850ccのペットボトル1本では足りなかったようだ。やっぱり一人1リットルは必要だったようだ。って、150ccの違いしか無いから、どっちもどっちかも知れないが。

 久しぶりの外岩、マッタリとしてきたとはちと言い難いが、まぁ、それなりに十分楽しむ事ができた一日だった。やっぱり家を早めに出ると大分ゆっくりと出来るものだということを、十分に体感できた一日だった。


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作成年月日 平成20年 8月11日
作 成 者 本庄 章