御岳ボルダーその65

2007年 6月 2日記

 日曜日の日に一人で御岳に行ってきた。

 久しぶりに朝8時頃家を出た。経路は何時もと同じである。日曜日の日の朝だから、道は空いていた。

 途中、軍畑の辺のスーパーに寄った。最近たまによるスーパーである。安売りしていたパンをいくつか買い込んだ。

 いつものように、玉堂美術館の上の駐車場を覗くと、自動車が一杯だった。無理すれば、入り口に一台停める事ができたのだが、無理はしなかった。

 発電所脇の駐車場はまだ何台か分のスペースが空いていた。少し奥に入って、自動車を停めようとしたら、スペースがひどく狭かった。ここの駐車スペースって、こんなに狭かったけ、一時のファミレス並だ。最初に入れた場所があまりにも狭く感じたので、その2つか3つ先のスペースに入れ替えた。結果はあまり変わらなかった。

 ここに停めると、行く場所は大体デッドエンドだ。別の場所も考えたが、結局はデッドエンドにした。

 デッドエンドには既に大勢のボルダラーがいた。多分7〜8人はいただろう。時間は10時を回った頃だった。デッドエンドの前には何枚ものマットが敷かれていた。

 適当な空いた場所に荷物を置き、イギリス人のトラバースの前に行ってみた。実は、本日は、それを中心にやろうかと思っていたのだ。しかし、下にマットが置いてあったので、マットの無い、右側のカンテの左側の、7級だかの課題に取り付いて見た。相変わらず滑る石だった。続いて、そのカンテの右側を登ってみた。以外とすんなり登ることができた。もしかすると、調子が良いのかも。

 ここも結構人がいる。マットもいっぱい敷かれている。どこか空いているところ、例えば丸こんやく辺にでも移動しようか。荷物に戻り、そう考えてみたのだが、その日は結構な日差しがあった。御岳で日陰になって涼しいところはほとんど無い。恐らく、忍者帰しの上の遊歩道の脇の岩か、その先の遊歩道岩くらいなものだ。他は皆河原の岩だから一日中日が当たる岩ばっかりだ。ということで、移動することは諦めた。その日は決して涼しくは無かったのだ。

 その後しばらく休んでいたら、4級の課題の下に敷かれていたマットがなくなったので、イギリス人のトラバースをやって見た。スタートホールドを一番右側の水平のクラックの縁で出て見たのだが、足があまり良くなく、左手は出たものの、右手が出なかった。それでも結構疲れてしまった。やっぱり小生にはまだまだの課題のようだ。

 外には人が一杯いるし、やることも無いから、いつもの4級をやって見た。

 この課題、ここのところ下地が少し下がっていて、いつものスタートホールドにはやっと手が届く、そんな感じになっている。左手のホールドの掛かりを確かめ、右手もいつものホールドに沿えて、腰の高さ位の水平のクラックに足を上げた。やっと上げた足だから、離陸は少しきつかった。

 左手で体を引き上げ、右足を少し捻って、右上のリップ直下の縦カチというか、縦ガバというか、白い石がくっついているような感じに見える出っ張ったホールドを取りに行く。それでスタティックに縦ホールドが取れるはずだったのだが、手を出した瞬間に体を剥がされ、落ちてしまった。その時、後ろの岩に右腕を擦り付けて擦りむいてしまった。

 隣で休んでいた若者二人組と話をしてみた。池袋のジムに行っている人達だった。

 マットを敷いて、4級の課題に取り付いている女性がいたので、話をして見た。デッドエンドの前に陣取る一団の仲間だとか。昔小生の仲間が働いていた国分寺のジムにいっているらしい。その彼女がマットをどけたので、また4級の課題を触って見た。

 左手がいくらかもてているように感じるのに、体を引き付けることができず、縦ホールドが取れなかった。

 休んでは取り付き、休んでは取り付きして見たが、ほとんど進展は無かった。あまりに進展が無いので、その右隣のカンテ左の3級の課題を触って見た。

 右手は、カンテ面の上の方の細かいカチ、左手は、左の壁の中の適当に持てるホールド。右足はカンテのスタンスで離陸する。この離陸が、カンテのホールドが決して良くないから、以外と悪い。

 次の手が分からない。左手を左上のリップに飛ばして見た。リップを触りはするが、ズルズルと滑って落ちた。

 この課題、以前、ジムの仲間と、ああでも無いこうでも無いと、結構遊べた記憶がある。その時、小生は登れたのかどうかの定かな記憶は無い。離陸に相当苦労した末に、相当苦労して、最終的には登れたような気がするのだが。

 離陸して、左手を飛ばす。左手が止まらない。リップを伺って見る。ちょっとL字状になった辺が持てそうに見える。その辺をねらって手を出して見る。一瞬止まったような感じの後、ズルズルと滑り落ちる。そんなことを何回か繰り返した。

 先程しゃべった若者が参戦してきた。彼は、何回目かに、リップの左手が止まった。そして、その手を一段上の方のカンテの傾斜のゆるいところに飛ばし、右手をカンテの奥に飛ばして両手を安定させ、マントルを返した。

 そうか、右手の奥も止まったんだっけ。右足に乗り込み、体を上げて右手をカンテの奥に飛ばして見た。右手が止まった。左手をカンテの奥に飛ばし、左足を拾って、右足を傾斜のきついカンテにあげ、その足に乗り込んで行った。

 体が上がりさえすれば、右手が飛ばせる。そうすると、左手で持ちにくいリップを持つよりは簡単に足を上げられる。若者のムーブをみて、それを発見できたので、意外と簡単に登ることができた。

 先にいた集団が移動して行き、少し空いたので、デッドエンド左をやって見ることにした。

 依然デッドエンドの前には、マットが何枚も敷かれていたから、そのマットをお借りして、デッドエンド直上のスタートホールドのところに行ってみた。

 普通はアンダーホールドで上のポケットを取りに行くのだが、小生にはそれができなかった。そのため、デッドエンド直上のスタートと同じようなスタートで、左上のアンダーサイドカチを左手で取って、右手を伸ばして行くというムーブでやっていた。

 でも、その時のホールド、スタンスはすっかり忘れていた。右手は確かこれで、左手はどれだっけ、左足は確かこれだったはずだが、右足はどこだったっけ。しばし考えてしまった。あまり時間を取っても次の人に悪いので、適当に手、足を決めて、左手を顔の左上の辺の斜めのアンダーカチに持って行った。こんなにこのホールドは効いたっけ。そう思えるほど、左手は効いた。しかし、体は壁に入らず、右手がほとんど出せなかった。

 足が悪かったのだろうか。次に挑戦した時には、右足を上げて見た。左手が持てなかった。やっぱりこのムーブはだめだ。あきらめて、右の壁の7級や4級の課題を触っていた、後からきた集団の方に行ってみた。

 その中の二人が、7級だったかの、カンテの左の課題をやっていた。しばらく見ていたら、続いてカンテの右側をやり始めた。このカンテの右側は、意外とわるいようだった。小生、さっきは結構楽に登ったはずなのに。そう思って、交ぜてもらって、登って見た。

 スタートのホールドはそこそこあるのだが、次のホールドが無い。スタートのホールドは左のカンテを使ったのだろうか。次のホールドはカンテの左の四角く出っ張ったところのリップを使ったのだろうか。それらを使えば、登ることはできる。しかし、壁の中だけのホールドではリップに届かない。どうやったのだっけ。もしかして疲れたのかも。

 隣の4級の課題を登っている人達が、なかなかその課題を登れないので、右隣の、先程小生の登ったカンテの課題を教えて上げた。

 なかなかホールドが発見できなかったので、スタートホールドを教えて上げた。すると、離陸はできるようになった。しかし、次が分からなかった。また、ムーブを教えて上げた。

 そのうちの一人が、リップを捉えた。しかし、足が決まらず、マントルまで行かなかった。外の人も、やっとリップが止まるようになったが、その先に行かなかった。右手を奥に飛ばす方が楽だよと、ホールドの場所も教えて上げたのだが、皆、右手は出せないと言った。そんなものだろうか。確かに右手を出すには、右足にしっかりと乗っていなければならない。それができないようだった。

 でも、何回かやっているうちに、左手リップから右手が飛ばせるようになり、マントルの態勢に持って行けるようになったのだが、マントルが返せなかったようだ。

 一人の人が、○○さんですかと聞いてきた。小生のいろいろボルダー写真室を見てくれている方だった。

 荷物のところに戻ると、小生の荷物の隣の荷物の方だった。少し長めにお話をしてしまった。

 再び4級の課題を登って見た。そんなに飛びつく事なく、リップ直下の縦ホールドが取れた。やっと登れた。

 降りてきたら、カンテの3級の課題を一緒にやっていた人が、一杯岩場にいっている方ですかと聞いてきた。そうだというと、だいぶん前から、そうじゃないかと思っていたのだがといったので、先に聞かれた人を指して、あの人はすぐ分かったらしいと話してしまった。

 たまにはデッドエンドをやろうと、デッドエンドに取り付いて見た。左足トウをフックしにいったら、左足が攣ってしまった。あんなムーブはめったにしないから、それに足も弱ってきているし。情けないことである。

 デッドエンド左のポケットをアンダーホールドで取りに行ってみた。身体張力がわずかに足りず、僅かに届かなかった。

 デッドエンド直上をやって見た。こちらもわずかに届かなくなってしまった。潮時を感じ、移動することにした。

 河原に降りて、鱒釣り場の中を通って中洲に行ってみた。ジャンピングフックの岩の前には竿を振っている人がいた。

 丸コンニャク岩の少し手前から河原に降りて、下流方向に進んで行くと、以前仲間と遊んだことのある岩付近に人がいた。近付いて行くと、若い夫婦と思しき二人組のボルダラーの男性の方が、ルーフに取り付いていた。多分、以前仲間と遊んだ時には、下地が汚れていて、取り付けなかったルーフだ。圧倒的なルーフだから、少し見ていた。

 取り付いていた人の試技が終わったので、お話を始めた。聞くと、その課題は、そんなにはグレードは高くは無いらしい。まだ触ったことが無い課題のはずなので、交ぜてもらうことにした。

 トポをみると、ルーフの中からだと2級だが、立ってスタートだと6級となっている。先客の男性の方がやっていたのは、ルーフの出口のカチからスタートする課題だったので、そこそこルーフの気分も味わえる、おもしろい課題だった。

 最初にいきなりそのルーフに取り付くのではなく、その左にある、少し被った一番高いところの出っ張りをマントルして見た。グレードは4級らしい。

 リップで離陸し、リップ奥のカチを右手で持ってマントル態勢に入ったのだが、その右手のホールドの方向が少し悪く、だんだんぬめってもきた。足はスタンスにしっかりと乗っている訳ではないから、なかなかからだが上がってこなかった。足をばたつかせていたら、右手がだんだん抜けてきた。仕方がないから飛び降りた。少し格好が悪かった。

 先客のやっていたルーフの課題をやってみた。

 ルーフから立ち上がる垂壁の中程にある少し細かい二つのカチで離陸し、リップを取る。足はルーフ奥の薄いフレークの縁だ。続いて別の手もリップにそろえ、足をルーフのあご辺りに移して、左手を左上の一段高くなったリップのガバカチに飛ばす。右手もその並びのガバカチに移せば、ほぼ登れたも同然、後は適当に足を拾って、そのままマントルを返せばよい。そんな課題だ。本来は、ルーフにある、あまり掛かりのよくないホールドで離陸して、ルーフのリップ上の二つのカチを取りに行くSDの課題である。

 最初のリップは取れた。左手も左のガバカチに飛んだ。しかし、右手をガバカチに飛ばしたところで、足ブラになってしまい、落ちてしまった。ルーフは水平だから、疲れるのだ。でも、一段上のガバカチは取れた。

 少し休んでから、足を少し探った後に、またやって見た。右手を寄せる前に、左足を左の方のルーフのリップ付近に移したから、足ブラにはならなかった。その両手で、左足少し手前に移して、上のホールドを取りにいった。少し疲れ気味だったし、少しお尻が出気味だったので、やっと手を出した感じだったが、なんとか登ることができた。

 気をよくして、ルーフの中のスタートホールドと思しきホールドを触って見た。小生にルーフで使えるホールドでは無さそうな感じだったが。それより何より、その後のホールドが全く分からなかった。登るには相当の時間が掛かりそうに思えた。

 先客の女性の方が、その右側のカンテの右の課題が、あまりにも易しすぎるというから、彼女の言うラインを見て見た。

 そのラインは、下にある石の上からのラインだった。確かにそのラインだと、リップの上のホールドが持ててしまい、リップ下のハングのあご付近に足をかければすぐに登れてしまうラインだった。トポの5級はありえないラインだった。

 トポと岩を見比べて見た。トポのラインは、左のカンテにからんでいるように見えた。そのカンテの下には岩はなかった。多分、カンテの右下の岩は使わずに離陸するのだろうと、岩には乗らずに、地面から離陸して見た。スタンスが少し高くなり、手も少し悪くなって、離陸後のバランスも少し微妙になったから、多分そのラインだろうと、そのまま登って見せた。

 なんだか悔しかったから、先にやって出来なかった、左の一番高いところのマントルをやってみた。今度は右手もある程度持て、なんとか登ることができた。しかし、右足を右側の一段低い場所に出してのマントルだから、なんとなくチョンボ臭い感じはする。といって、真ん中をマントルは少し高くなるし、手も良いところがないので、再び挑戦する気にはならなかった。

 男性の方が、何度も挑戦するのを見学しながら、色々とお話をした。東村山や江戸川橋に行っているというので、知っている方のお話をして見たが、我が師が師と仰ぐ方の話し位しか話は通じなかった。

 その他にも色々とお話をしていたら、とけたソフトクリーム岩の5級の課題とか、デラシネボルダーの4級の課題とかが登れないとの話になり、それらに一緒に行くことになった。

 杣の小橋を渡り、普段はあまり歩かない道を歩いて、デラシネボルダーに行った。デラシネボルダーには誰もいなかった。

 デラシネボルダーの4級の課題とは、一番高いところを、少し張り出したリップの切れ目から登る課題である。以前、なんだか登れなかったことのある課題だ。

 途中の二つの出っ張りで離陸し、左手を左上のカチに上げてから、水平に走るクラックに足を上げ、右上のリップの肩のところを取りに行く。そこまでは行けたのだが、次の左手が分からなかった。適当に上の方を探ったのだが、ホールドできる場所は見つからず、そのまま降りざるを得なかった。

 この課題の登り方を知っている訳ではない。以前人に教わって登ったような気はするが、どう登ったのかは全く覚えていない。現に前回ここに来た時は、登れなかった事を覚えている。

 事前に、多分登れないと言ってはいたが、実際に登れないと、なんとなく気分が悪い。また、取り付いて見た。

 右のリップの肩を取り、左手を左のリップの肩の奥に持って行ったら、カチが有った。こんなところにホールドがあったのか。小生にもいっぱい気味の距離だから、結構遠いホールドではあるが、そのホールドで左のスタートに使ったリップの縁に左足をかけ、突っ張ったら、ほぼ真上のリップが取れた。後は両足をスタートの出っ張りに上げれば、ほぼおしまいだった。

 登れて見たら、以外と簡単だった。

 男性の方が、そのムーブをまねして見た。右手のリップの肩が届かなかった。女性の方は、右のリップの肩の下の縦カチを中継に使ったのだが、リーチの関係で、絶望的に届かなかった。

 小生も、その後、何回か他のムーブを探って見たが、良いムーブは見つからなかった。

 それぞれで何回かその課題に挑戦したが、結局は諦め、とけたソフトクリーム岩に移動した。

 御岳大橋の上流の右岸にある、川面に頭を出した石の岩から取り付く、落ちると川に嵌まる2級のスラブ課題を説明し、私の家だったかの課題に案内しながら、御岳小橋を渡って、オーストラリア岩に行った。そこでは、モンキーカンテを教えて上げた。このモンキーカンテの右の3級の課題が登りたかったのだが、それはしなかった。

 すべり台の岩をちょっとみて、とけたソフトクリーム岩に行くと、そこには、結構な数のボルダラーがいた。マットも何枚か敷いてあった。

 改めて岩を見ると、下地が下がっていて、結構高い。最初、先客の二人組が言っていた課題は、右の方の、途中に四角い出っ張りのある課題だと思っていたのだが、その出っ張りの左側を登る課題だった。この課題、途中のリップへのマントルが結構怖い、小生もあまり得意ではない課題だったのだ。ましてや今は高さもある。マントルがより怖いのだ。

 リップの下の、サイドガバから離陸し、リップのカチを取って、そのままそのリップにマントルするというのが、小生が初めのころにやっていたムーブなのだが、リップに両手を返しマントルするのが怖くて、最近は、リップから右の四角い出っ張りのリップを取りに行ってしまうムーブで登っている。

 結局、そのムーブで四角い出っ張りのリップを両手でもち、左の一段低いリップに左足を上げて上に抜けた。彼らにはあまり参考にはならないムーブだったと思うが。

 そこにいたそこでの先客が、彼らにムーブを教え始めた。これ幸いと、小生はそれをしばらく眺めていた。

 ひょんなことから、リップへのマントルムーブをすることになり、そのムーブをやって見た。しかし、なんだか手順がうまく行かず、右手のみしか返さなかったので、マントルはうまく行かず、飛び降りるはめに陥ってしまった。

 一人で凹角の課題を見に行ってみた。相変わらず下地は低く、その時の小生には離陸すらできなかった。

 結局はその二人連れに、夕方まで付き合い、3人で駐車場に戻ったのは既に完全に暗くなってしまった時だった。

 その二人連れと別れ、支度をしていたら、小生の名前を呼ぶ人が近寄ってきた。見ると、以前、ジムで一緒に登っていた仲間だった。

 仕事のために引っ越して行った彼とはその後、たまにこのように、岩場で会うのだ。前回はどこであったっけ。聞くと、最近は御岳によく来ているらしい。小生は最近はあまり御岳には来ないから、彼と会うことはなかったようだ。しばらく話をしてから別れた。

 時計を見ると、既に8時前だった。結構遅くなってしまったようだ。

 いつものように、睦橋通りに出て、途中の牛丼屋で夕食を採り、新奥多摩街道から甲州街道に出た。

 甲州街道は特に混むということもなかったので、スムーズに高井戸まで走ることができ、そのまま首都高に乗った。時間は10時ころだったと思うのだが。

 首都高は、珍しく、箱崎経由の方が早かったので、箱崎経由で帰った。多分、箱崎経由の方が距離は短く、走りやすいから、できれば箱崎経由で帰りたいのだが、箱崎経由の方が時間がかかることが多いで、普段はレインボーブリッジ経由で帰ることが多かったのだ。

 家には、11時ちょっと過ぎには着いた。相棒はまだ帰っていなかったが、ものすごく疲れたようで、そのまま寝てしまった。何しろ、前日の土曜日に昼寝をし過ぎたために、その日は朝の4時頃から起きていたのだから。


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作成年月日 平成19年 6月 2日
作 成 者 本庄 章