御岳ボルダーその60

2006年 6月 3日記

 御岳の紀行文も今回で60回目になってしまった。第1回目の「御岳ボルダー行ってきました」を書いたのは、99年の8月だから、およそ7年前になる。よくもまぁ、通ったというよりは、よくもまぁこの紀行文を書き続けてきたということに、ただただ感心してしまった。

 さて、本文である。

 日曜日の日にふらっと御岳に行ってきた。一人である。

 土曜日は雨ということで、どこにも行かなかったのだが、日曜日は朝から綺麗に晴れたので、ボルダリングに行くことにした。しかし、今回は一人である。あまり遠出も出来ない。近場でということだが、そうなると時期的に何となく中途半端である。笠間は多分もう虫が多いであろう。となると、御岳しかないか。とまぁ、そうなった訳である。

 御岳に一人で、ということになると、自動車で行くのは勿体ない。電車で行くか。朝も早いし。と考えたのだが、結局朝も6時頃に起きながら、なんだかだで、7時を回ってしまっていた。これじゃぁ御岳に着くのは昼頃になってしまう。やっぱり自動車にするか。ということで、結局自動車になってしまった。

 そういうことだから、何時もの御岳とは違って、朝8時過ぎという、いつもよりはだいぶん早い時間に家を出た。電車よりは1時間くらいは早く御岳に着くだろう。

 御岳へは、八王子からあきる野市を抜ける道を走る。途中、あきる野市の圏央道の青梅インター近くの住宅街の中の道を通るのだが、そこでは、良くネズミ捕りをやっている。日曜日の昼前だから今日もやっているのだろうなと思っていたから、やっぱりネズミ捕りをやっていた。そんなわけだから引っかかりはしなかったが、このねずみ捕りって、なんだか釈然としない取り締まり方法だ。本当に危ない、事故が起こりそうな所では決してやっていなくて、殆どは見通しの良い直線道路でやっているのだから。

 途中、今まで気になっていながら寄ったことの無かった、吉野街道沿いの御岳の手前のスーパーに寄り、パンとコーヒー飲料を買い込んだ。パンもあるし、飲み物もあるし、使えそうな感じだった。

 丁度玉堂美術館の上の駐車場が一つ空いていたので、少し行過ぎてしまったのだが、バックして駐車場に入り、そこに自動車を停めた。

 隣の自動車が何となくクライマーぽかったので、少し気にしていたら、その自動車の持ち主の人が居て、挨拶をしてくれた。ボルダリングかと聞くと、そうだということだった。その自動車をよく見たら、クライマー御用達のステッカーが張ってあった。

 久しぶりに忍者返しの岩にもと考えたのだが、とけたソフトクリーム岩にも最近行っていないので、とけたソフトクリーム岩に行くことにした。

 御岳の場合、パッドは持参しても岩場に持って行くことはない。しかし、今回は持参した薄めのパッドも持って行くことにした。まぁ、休息用である。

 とけたソフトクリーム岩の前には何人かのクライマーが居た。すべり台の岩にも何人かのクライマーが居た。やはり、久しぶりの晴れ間ということか。

 先ずは、先客がやっていた、「アンダー」という7級でアップだ。やってみたら、なんだかすっきりとは登れない。もたもたしてしまった。とけたソフトクリーム岩って、すべすべしているから、最初にやると、何時も足が滑るのだ。

 裏に回って見たら、大学の探検部とかの人達がスラブの課題をやっていた。暫くそれを眺めていたが、その左隣の、そこよりは少しむつかし目の、岩の上から離陸する課題を触って見た。しかし、リップからまるっこいカンテに這い上がれなかった。湿度は20%以下ということなのだが、何せ気温が高かったからなぁ。それに飛び降りる先は石の上だし。

 探検部の女の子が、なかなか登れないでいた所を小生が登って見た。最初は足が滑ってしまった。少し恥ずかしかったが、気を取り直して、取り付いたら、登ることが出来た。まぁ、9級ということだから。でも、また思ったのだが、これって9級かなって。

 登りやすい所を登っていったら、右の方に出てしまった。で、笑いながら、「こっちのほうが易しいですよ」と言ってしまった。実際易しそうなところを登って行ったらそうなってしまったのだ。

 その人たちは、左の方を登りたいとのことだったので、続けて、左の方も登って見せた。やっぱり易しくは無かった。

 荷物のところに戻って、人の登るのを暫く見ていたのだが、あまりボケッとしていてもしようがないので、5級だかのところを触って見た。アンダーという課題で使う、真四角なちょっとした出っ張りの左下から出て、その出っ張りの左上を使って上に抜ける課題である。

 出っ張りの左上を右手で取ることはできるのだが、そこから、出っ張りの下のちょっとしたリップに足が上がらないのである。結局いつものように左手のオポジションでやっとのことで足を上げる羽目となった。ほかの人は普通に足が上がるというのに。この課題がスッと楽に登れるようになるのは、いつのことだろう。柔軟体操はそこそこやっているのだけどなぁ。

 すべり台岩のすべり台の正面のすべり台という課題もなかなかスムースに登れなくなっていたことを思い出し、久しぶりで行ってみた。

 両手細かい浅いカチと右足で離陸し、左足を左の方のポケット様のスタンスに乗せれば後は適当に上へという課題なのだが、スタティックに離陸ができず、したがってスタティックに左足をスタンスに乗せられなかったのである。確か、御岳に通い始めた頃は、結構スタティックにできていたはずなのだが。

 スタートホールドも既に忘れかかっていたから、ホールドを探して見た。こんなホールドだったかなぁと思いつつ、多分そんなだったろうと思われるホールドでスタートして見た。

 スタティックに離陸はできた。左足も置けた。しかし、次のホールドが持てなかった。なんか違うなぁ。

 今度は、左足を少し右寄りの少し小さなスタンスに置いてみた。で、なんとか次の手が安定した。

 なんとか上に抜けはしたが、こんなんでよかったかなぁ。

 とけたソフトクリーム岩に戻ると、笠間で何回かお会いした人がいた。その人も独りの様だった。

 その人は、初段だかのトラバースの課題をやっていた。小生は、そのトラバースの課題の途中辺りを上に抜ける3級の課題をやって見た。というか、そこら辺を真っすぐに登ろうとしてみた。

 スタートにはサイドのアンダー気味なガバがある。反対の手の辺りにもサイドのガバ気味のホールドがある。そのホールドで離陸すれば、リップ上には適当な皺がありそうに見える。なんだかその辺を使って、上に行けないだろうか。そう思ったのである。

 結果は、何回かやって見たがだめだった。で、そこから斜め左上のカチを使って、普通に登られる3級ラインを登ってしまった。

 笠間で何回か会った、その彼が、ピンチオーバーハングをやると言って、移動して行った後、だんだん人が増えて来た。一時は20人以上もいただろうか。どうやらパ○プ関係の人達が多いようだった。

 なんとなく見たことのある女性がいたので話しかけて見た。先程ここにいて、一時どこかに移動して行った人だった。少し前にもお話をしたらしい。それをもう忘れてしまっていたのだ。

 大勢の人が凹角の右をやり始めたので、その人達のパッドを借りて、小生も凹角に取り付いて見た。

 ところがこの凹角、いくらか下地が下がったのか、なかなか離陸ができない。クラックでのレイバック気味のムーブができないのだ。右のカンテを使って見たりいろいろやって見たが、離陸ができないのだ。ついにはクラックの手がスッポ抜けてパッドの上に飛ばされてしまった。

 少し休み、なおもめげずにやって見たら、やっと離陸ができるようになって来た。もしかすると、パッドの上からのスタートということもあったのかも知れないが。

 そのままクラックで少し足を上げ、クロスで左上のカチを取りに行ってみた。凹角左をやろうという魂胆であった。が、見事に失敗した。

 次にやって見たら、左上のカチが右手で取れ、足を開いて上げて行ったら、左手がホールドできた。その左手で体を上げ、続いて足をリップに上げたら、リップに立つことができた。あとは慎重に上に抜けるだけだった。

 ヤッター。初めて登れたという訳ではないが、結構きれいに、湿度が低いとは言え、手は結構ぬめる、この時期に登れたことは、やはり嬉しいことだった。

 次は凹角中央だ。

 その後、何回も凹角中央に挑戦したが、リップの上に足を上げることはできなかった。

 オーストラリア岩のカンテ右がまだ登れていない。この課題は以前から登りたいと挑戦していた課題なのだが、左カンテの小さなポケットが持てずに離陸ができないでいたのだ。

 幸いというか、オーストラリア岩には人がいて、そのカンテの左を登るモンキーカンテという課題をやっていたので、小生もその人たちに交ぜてもらって、カンテ右に取り付いて見た。

 左手をカンテの少し奥の小さな三角のポケットに掛け、左足を少し高めのアバタの様なちょっとした凹みにかけて離陸をして見た。すると、離陸ができた。調子に乗って、左足を突っ張り体を上げて右手で左上のカンテをたたいて見た。ほんのちょっとカンテに手が届かなかった。

 小生が何回かやっているうちに、そこにいた人の一人がその課題に挑戦を初めた。そして、何回目かにその課題を登ってしまった。

 小生はというと、一度、カンテに右手が止まり、右足を大きく開いてちょっとしたクラックに乗せるところまでは行ったのだが、掌がぬめってしまって落ちてしまった。残念。

 とけたソフトクリーム岩の前にいた人のうち、何人かに、○○さんですかと、小生の名前を聞かれた。小生のホームページを見てくださっている人達の様だった。相変わらず関東ではボルダリングをする年寄りは少ないから目立つのだろう。今回も回りはほとんどがいわゆる若者だった。

 そんななか、小生にクッキーを呉れた人がいた。その人も小生のHPを見て呉れている人のようだった。で、実は、そのクッキーは、先程顔を見忘れてしまっていた女性のものだったらしい。

 その、クッキーの持ち主であった女性といろいろとお話をしている内に、その女性は豊田の出身だということが分かったので、ピ○クルに何回か行ったことがあると話したら、いたく感激して呉れた。近いうちに古美山デビューとのことだったので、そのうち豊田でもお会いすることがあるかも知れない。

 大勢の若い人たちと、色々とお話をさせてもらいながら、梅雨晴れとも言えそうな気持ちのよい日差しの中、結局ほぼ1日をこのとけたソフトクリーム岩の周辺で過ごしてしまった。多分、ボルダリングで御岳に通い出してから、こんな、ずっと一カ所にいたということはほとんどがなかったのではないだろうか。大体2、3箇所は回っていた気がする。

 色々とお話をさせてもらっていた若者達が帰り支度を始めたので、小生も荷物をまとめ、彼らと一緒に引き上げたのだが、そのうちの、クッキーを呉れた人が、この小生の紀行文に自分のことを書いてくれと言っていた。その他にも何人かの人が同じようなことを言い、名前も教えてくれたのだが、如何せん認知症がそろそろ始まりかけた小生には無理な注文だった。リクエストをくださった皆さん、申し訳ない。

 彼らは、吉野街道を御岳大橋方面に行ったので、小生一人だけが彼らと別れ、自動車に戻ると、隣の自動車の人達も戻って来た。あれっ、一緒にお話をしながら戻って来た人たちではないか。そのなかには豊田の彼女もいるではないか。なんだ。そうだったんだ。

 相棒は8時頃には家に帰るとの事だったのだが、既に7時近い。これは夕飯など食べてはいられない。早く帰らなければ。

 ということで、今回は行き帰りとも中央道と首都高を使ってしまった。一人だというのに。こんなことなら電車で来るんだった。


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作成年月日 平成18年 6月 3日
作 成 者 本庄 章