御岳ボルダーその46

2002年12月21日記
 土曜日にジムの仲間3人と4人で御岳に行った。最近は寒いからという相棒は今回もお休みである。

 今回は、何処も彼処も雪の影響が心配され、出発直前まで場所、日程が定まらなかったが、結局、若しかしたら現地で落ち合うかもと言う仲間を含めて5人で土曜日の御岳と言う事になった。

 今回は4人全てが千葉付近と言う事も有って、家の近くまで直接向かいに来てもらう。非常に楽チンである。

 予定を少し遅れて全員集結し出発する。経路は首都高から中央道で八王子まで行き、小生が何時も使う道で御岳に入る。

 途中心配した雪は殆ど無い。梅ガ谷峠も僅かに路肩に雪が残っていたが、路面に雪が残っているような所は無かった。

 まだ11時前だったので、玉堂美術館の上の駐車場が空いている。去年の雪の時は、駐車場の路面が一面の雪で、完全にアイスバーンになっていたのだが、今回は雪は全くない。これならボルダーも全く心配ないだろう。

 今回は御岳が初めてと言う仲間が一人いる。一応その仲間に御岳を案内すると言う意味も含め、また、まだピンチオーバーハングを触っていないと言うもう一人の仲間の要望も有って、最初にピンチオーバーハングに行く。

 遊歩道から、ピンチオーバーハングの下地を見ると、少し下がっているような感じで、真下は更に窪んでおり、水が溜まっている。どうも取付き不能のようだ。マットが汚れる事を覚悟すれば登れるかも知れないが、我が軍団は一応マットは使わないのだ。増して、汚してまで積極的には使わないのだ。諦めて、次に行きたいといっていたとけたソフトクリーム岩に行く。

 トイレの横のテラスの下で銀杏を売っているおじさんがいる。80粒で300円だそうだ。仲間の一人が購入する。

 仲間達は水際カンテが目的なのだが、アップにと、オーストラリア岩に行く。小生は溶けたソフトクリーム岩の5級だか6級だかの所を触って見る。

 岩がやけに冷たい。11時だと言うのに太陽はまだ少し低めである。2月頃ならもう太陽が上がっており、日が十分に照っていて、岩も少しは暖かくなっている筈なのだが。やはり12月から1月が冬と言う事なのだろう。

 靴は最近ビブラムソールでリソールしたカチ靴である。まだ外では1回しか履いた事はない。なんとなくまだフリクションに自信が持てない。おまけに日陰の側だから岩は無茶苦茶冷たい。一寸したテラス状の棚から上のスラブをおっかなびっくりで登る。降りるのも尻をついてずるずると降りる。

 仲間の所に行く途中の滑り台岩の6級の課題を久し振りにやって見る。この課題、最近登れなくなってしまっていた課題の一つなのだ。

 左手細かいカチ、右手殆どかからない斜めの外傾カチで右足に立ち、左足を左の方のポケット状のどちらかと言うガバスタンスに乗り込むというムーブである。

 このムーブだと6級ではないような気がするのだが、このムーブが小生にとっての一つのテストピースになっているのである。以前は結構簡単にこなしていたムーブなのである。で、デッドエンドの4級の課題と共に、その時の小生の調子を計る課題としているのである。

 離陸は出来たのだが、スタンスが見えなくて、左足が巧く乗せられない。身体が放せないのである。4回目位にやっと左足をそのスタンスに置き、登る事が出来た。従って、調子はまあまあの様だ。

 オーストラリア岩に行くと、仲間はモンキーポッケという課題をやっている。因みに初段だそうだ。SDの課題で、オーストラリア岩の下流面のハングのリップからスタートして、下の岩に身体が付きそうになるのを避けながら岩の上に身体を上げ、這い上がって行く、誠に地味な課題である。因みに、このオーストラリア岩はせいぜい2m位の岩である。

 リップの上の壁の真ん中辺に顕著なポケットが2つ存在するが、それ以外にはホールドとなる物は上のリップまで見当たらない。そのポケットでハングのリップにどうやって立って上のリップを取るのだろうか。頭を捻る課題なのだ。一応一人の仲間が前回来た時に裸足で登ったらしいのだが。

 そこを仲間はハングのリップへのヒールフックからのマントルで解決する。実はマントルの課題だったらしい。それを見て、本日が御岳デビューの仲間が挑戦する。

 小生はモンキーカンテに挑戦するが、凍っていた下地が溶け、湿っていて、靴が濡れてしまうのでフリクションが効かず、巧く登れない。一度は離陸して右手をカンテに持って行く所まで行ったが、足が決まらず失敗してしまった。

 他の3人の仲間はこのモンキーカンテを登り、右のカンテを使わないバージョンをやり出す。アップだと言うのに、もう限定課題をやり出す。皆でそう言い合いながら笑ってしまう。

 モンキーポッケが登れなかった仲間が後ろ髪を引かれている様子だったが、皆で溶けたソフトクリーム岩に戻る。で、仲間3人は兼ねての目的であった水際カンテに挑戦を始める。小生は凹角を触ることにする。

 二人連れのボルダラーが、凹角の右の方の3級の課題を触っていたが間もなくいなくなった。

 プレイボートの一団がやって来てカヌーを始める。プレイボートとは、3ディメンションカヤッキングとも言われる、カヌーを立たせたり、縦に廻したりして遊ぶための最近流行りの短めのカヌーを言うらしいが、当然身体が水の中に入ってしまうから、水の冷たい冬場のスポーツではない。

 で、この寒いのに良くプレイボートなんかに乗りますねと話し掛けると、岩を登っている人達の方がよっぽど寒そうに見えると言う。そんなものかなぁ。以前、正月の御岳でカヌーでひっくり返って仕方なく泳がされていた小生に言わせれば、カヌーの方がよほど寒いと思うのだが。

 水際カンテは、最近は下地が下がり、というか、元に戻り、右下の石の上からスタートするムーブに変わっている。今迄は正面からいきなり岩を抱えてスタート出来たのだが、今は少し右横からのスタートになる。すると、2手目の右手のカンテのスローパーが身体が少し右に寄っているから止め難くなっているようだ。

 小生は、相変わらず、凹角右の直上バージョンを探る。左手、右手とクラックを使い、クラックの左側のリップの上のカチを左手で取る。右手はリップの上のクラックの縁の一寸した出っ張りを摘まむ。それで足を上げて見る。右足はスタンスがあるから少しは上がるのだが、左足があまりスタンスが無いので上がらない。右足を無理にクラックの所に上げようとするのだが、身体が上がるから左のカチホールドが甘くなる。おまけに身体が上がって来るから落ちると恐い。今回も仲間の車に乗せてもらったから薄い半分のマットしか持参していない。そのマットはザック代りでもあるから、荷物を入れたまま、座布団にしか使っていない。そのムーブを繰り返す。

 たまには凹角左をやってみようと、右手クロスでリップ上のカチを取ろうとするが、足に自信が無いから、なかなか取れない。そんな関係も有って、右直上にこだわっている訳なのだが。

 仲間の一人が、カンテの縦のスローパーを取って、身体を左に持って行く事に成功する。で、リップを探る。探っている内に落ちる。上のリップがぬめっているらしい。何だか止らないらしい。リップの状態を偵察に行く。

 小生は、先程の人がやっていた凹角の右側の3級の課題をやって見る。御岳で初めて登れた3級である。

 リップ下のガバ2つで離陸して、リップ上のカチでマントルする課題なのだが、最初は足が決まらず落ちてしまう。実はこの課題も最近出来なくなった課題の一つでもある。

 少し休んで、出だしの左足のスタンスを右足で踏み変えて、少し左の方の凹角のカンテのスタンスを使うと登れた。そのスタンスを使って良いかどうかは判らないが、課題を登っているのではなく、岩を登っているのだからと言う仲間の言葉を拝借して、良しとする。

 仲間が水際カンテで再び上のリップを取り、少し左に出て上に抜ける。なんか少し左に行き過ぎたかと言う感じがしないでもない。降りて来て、本人もそれを気にしている。

 彼らが、そろそろ移動しようかと言うので、荷物を纏める。

 なんとなく今回はボルダラーが少ない気がする。もしかすると忍者返しの岩の前は空いているのかと言う気もしたが、対岸から忍者返しの前を見ると、結構人がいた。

 仲間はまるがりが気になると言うので、鵜の瀬岩に行く。相変わらず、下地はじめじめしている。それでも、鵜の下は少しは乾いていたが。

 砂箱岩の前を通りまるがりまで行き、仲間3人が挑戦を始める。小生はさっきの凹角で力を使ってしまったから、お休みモードである。

 この課題、下の方が少しハングしたまん丸いリップの所の悪いホールドで身体を上げ、奥のカチを取ってマントルする課題らしいのだが、以前小生が触った感じでは、とっても身体が上がるホールドでは無かった。足も殆ど無いのである。

 仲間は右手を奥に飛ばしカチを取って、もう一つ奥のもう少し掛かりが良いらしいホールドを取る所まで行ったのだが、水際カンテで力を吸い取られたらしく、なかなかその先の進展が無い。

 仲間の一人が砂箱をやると言うので、小生もついて行く。

 この鵜の瀬橋エリアは、冬は結構日当たりが良いと言うイメージが有ったのだが、この時期には殆ど日があたらいのである。2月になれば日が当たるのだろうが12月ではまだ日は差しては来ないのである。氷は張っているし、バナナの木の葉っぱは枯れているし、すごく寒いのである。でも、疲れてしまったから仲間の試技を見学する。

 まるがりの方を振返ると、仲間が岩の上で奮闘している。やったか、と思ったが、やがて消えた。惜しい所まで行ったようだ。

 砂箱の仲間は、ハングの上のガバでスタートし、左手で上のポケット状のホールドを取ってから右足を右のガバに送り、右上の少し遠いリップ下のアンダーフレークを取りに行く所で色々と模索している。

 アンダーフレークを取って、左手ポケットをアンダーに持ち変えたいらしいのだが、巧く持ち変えられず、万が一落ちた場合に指が残りそうで恐くてムーブを起こせないらしい。

 何回かの試技の後、巧く右足を探って、リップを捕らえる。が、リップのホールドがあまり良いのが無いらしく、幾つかホールドを探った後、飛び降りる。

 まるがりの仲間が合流する。やっぱり登れなかったらしいのだが、元気な時に来れば、キャンパシングで何とかなりそうだとの感触は十分に得たらしい。因みに、リーチが有るといきなりその上のカチが持てるからキャンパシングの必要は無いらしいが。

 その仲間もこの砂箱を登る。二人ともその後上に抜ける。結局は、右の方のスタンスを使う事になったらしいのだが。その間、小生は鵜の瀬岩を偵察していたのだった。そして、もう一人の仲間は例によって独りでまるがりに打ち込んでいた。

 そろそろ4時に近くなって来たので、御岳が今回初めての仲間が忍者返しに行きたいのではと、別の仲間が、結局はまるがりを諦めてやってきた、その仲間に聞くと、モンキーポッケがどうしてもやりたいと言う。それではと言う事で、御岳苑地まで戻る事にする。忍者返しの岩の前にはそれでも結構な人数が残っていたようだ。

 トイレの横のテラスの所まで戻ると、先程の銀杏売りのおじさんが焚き火を片付けている。我々が通る時に顔が合ったので挨拶をすると、ちょっと焚き火にあたってゆけと言う。既に酒が入っているようだ。我々が少し躊躇していると、銀杏を買った仲間が、その銀杏の焼き方を教わったり、焼かせてもらったり、少し親しくなっていたらしく、頻りと誘って来る。我々も寒かったし、銀杏を奢ってくれると言うので、結局銀杏を焼きながら焚き火に当りながらおじさんの話しを聞く事になった。

 この銀杏おじさん、まぁ仮にH氏としておこうか。このH氏、本来は占師らしいのだが、ここ10年来御岳に住み、この苑地の掃除をしているらしい。それで、青梅市役所には多くの友人がいるらしい。でも、小生もここ20年来御岳に通っているが、顔をあわせるのは初めてである。

 焼いてもらった銀杏を食べながら、なんだかんだいろいろとお話しをするうち、小生に何年生まれかと聞くから、答えると、自分より年寄りだと思っていたと言う。小生は当然H氏の方が年寄りだと思っていたから、結構なショックである。何しろH氏は小生よりも3つ4つ年上なのだから。やっぱり、初対面では相当に年寄りだと思われているのだろうかと大変に落ち込んでしまった。

 御岳デビューの仲間がモンキーポッケをやって来ると、独りでモンキーポッケにゆく。我々は相変わらず銀マットによる防寒工事を施したH氏のお住まいを拝見させてもらったりして、H氏との馬鹿話を続ける。

 このH氏、頻りと、カヌーイストとクライマーはいい人ばっかりだと誉める。紳士ばっかりだと誉める。やっぱり、自由人としての自分と同じ匂いを嗅とっているのだろうか。帰り道で仲間とそんな事を話してしまった。

 モンキーポッケの仲間も戻って来たし、銀杏も無くなったし、暗くなり掛けて来たしで、帰る事にする。すると、H氏が握手を求めて来るから4人で握手を交わすと、このH氏、すごい握力である。若い頃空手をやっていたといって見せてくれた拳の中指の所が未だに肥厚していて、すごかったからやっぱりいまでもすごい握力があるようだ。御岳に来たらテントに寄れとの声を後に自動車に戻る。結局最後まで落ち合うかもしれない仲間とは合う事はなかった。

 帰りは、肉が食べたいと言う若者の声で、奥多摩街道の所のファミレスに行く事にする。ところが、このファミレス、意外と高いのである。まぁ、入ってしまったからとそこで夕食を済ませ、奥多摩街道を八王子まで走る事にする。

 途中、どうせ帰ってもすることがないからと言う事で、下の道をそのまま新奥多摩街道、甲州街道で、高井戸まで走る事となった。

 所が、奥多摩街道の福生市内が信号が多く結構時間が掛かる。しかし、その先は渋滞も無く順調に甲州街道を進む。

 高井戸が近付くと、車の持ち主が、ここ迄来たらもう首都高に乗っても下の道でも変わらないと言う。小生は、この先、新宿を通って春日町から蔵前橋通りで千葉までは結構大変だと言うと、内掘通りから晴海通りに出て湾岸に行けばそんなに大変ではないと言う。それではと言う事で、そのまま下の道を走る。

 甲州街道を環8から環7と交叉し、新宿の陸橋を越えると、小生の思っていた新宿御苑の所のT字路が無く、トンネルが先に伸びている。あら、今は新宿御苑の下を潜ってしまうんだ。通りで渋滞しない訳だ。

 そこからは半象門だったかのT字で有楽町に向かい、銀座を横切って、勝どき橋を渡って晴海通りに入って湾岸に抜け、千葉まで戻る。殆ど一本道で右左折は3回か4回しかない。簡単な判り易い道である。

 途中千鳥町の所で少し渋滞はしたものの、ほとんどでスムーズに走る事が出来、首都高を使うのとあまり変わらない時間で帰る事ができた。今度からの御岳の帰りはこの道を使う事にしよう。

 ということで、今回は非常にボルダリング本来の収穫は殆ど無いものの、それ以外で非常に収穫の多いボルダリング行ではあった。


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作成年月日 平成14年12月21日
作 成 者 本庄 章