御岳ボルダーその45

2002年11月12日記
 月曜日の日に、仕事が休みだったので、相棒と一緒に約一ヶ月ぶりに御岳に行った。

 最近は日の入りが早いので少し早めに行こうと言う事にしたのだが、結局出発は12時近くになってしまった。何時もの道を行ったら平日だから渋滞していたし、おまけに集中工事とかで中央道が渋滞しているとのことで、高島平から所沢経由で行ったものだから、御岳に到着したのは3時を過ぎてしまっていた。

 玉堂美術館の上の駐車場も空いていたのだが、葉っぱも落ちているだろうし少しは日が当たるだろうと、デッドエンドの岩に行くことにして、発電所脇の駐車場に行く。平日だと言うのに、自動車はそこそこ止まっている。御岳渓谷は観光地だから、おまけに中高年のお気に入りの場所だから、人は結構いるのだ。

 デッドエンドの岩の上の木々の葉っぱはまだ落ちてはおらず、日は当たってはいない。少し薄暗い感じである。下地も少し変化したようだ。今迄相当の大水でもあまり変化しなかった、デッドエンド直上から左のカンテ辺りの下地が少し掘れて窪んでいる。岩も少し出ているようだ。今回、デッドエンド左を飛んで見ようかと思っていたのだが、これでは思い切り飛べないかも知れない。河原側の岩の下も水没している。降りたらどうやって取付きに戻ろうか。

 河原の側の大きな石の前に荷物を置き、アップにと、デッドエンドの右の方の易しい所を登って見る。結構最近まで、この辺は手とか足とかがはっきりしないからてこずっていたのだが、今回は楽に登れる。やっぱり少しは巧くなっているのだろうか。

 何時も降りる上流側のガチガチした所を降りて、水溜まりの中に突き出た岩を伝って一旦河原に出て、また岩を伝って取付きに戻る。

 次はその右のイギリス人のトラバースの上の4級の課題をやって見る。久し振りだから、ホールドを忘れてしまっていたが、あちこち触って、何とか思い出して、右上のサイドガバをデッド気味にとって、何とか登る。ここも何とか1回で登れるようになったようだ。

 少し休んで、金曜日に買ったパンを食べて、いよいよデッドエンド直上である。この課題、スタート後にとる左手のポケットが持てないのである。

 右手でスローパーを持って、左手は適当な所に添えて、左足を左の少し高めのガバスタンスに上げて、左手で下向きの小さな三角のポケットを取りに行く。

 このポケットだが、大体2本しか指は入らない。それも第一関節迄しか入らない。下向き三角だから、2本の指全体で体重を支える訳にも行かない。結局指の腹を引っ掛けて持つ感じになるのだが、どうしても肱が上がってしまって持ち難くなってしまうのである。

 最初は中指と人差し指を入れて中指の腹で引っ掛ける。一番最初だけは少しは持てる感じがして身体を右に開きかけたのだが、2回目以降は次のムーブを起こせる状態ではない。

 下向き三角だから、その右側の縁を親指と共に少しピンチ気味に持つという説も有るので、それも試して見たのだが、あまり変わらない。中指の上に人差し指と薬指を重ねて入れると言う事もやって見たが、狙い通りには巧くは行かない。おまけに、少し薄暗い、薄ら寒い夕方に独りでやっているから、間隔も狭くなってしまって力も十分には回復して来ない。どんどん疲れてどんどん出来なくなってしまう。

 スタートのスローパーが黒光している。何だか濡れている様な感じである。濡れてはいないのだが、なんとなく僅かに結露しているような感じである。日が陰って気温が下がって来たからなのだろうか。まぁ、言い訳では有るが。

 デッドエンド直上は諦めて、デッドエンド左を触って見る事にする。この左は今迄右手で取っていた三角ポケットを右手で取って、左のリップに飛ぶ課題である。

 小生は左手を左上のガストンの斜めアンダーに持って行って右手を出すのであるが、その斜めアンダーがなんとなく欠けている感じがする。以前はもう少しかかった感じがするのだが、その辺がガチガチした感じになっていて、アンダーに持ち難い。少し上を持つと、少し上だから微妙に効かない。もしかすると以前と変わらないのかも知れないが、なんかやり難い。どうしてもポケットが取れない。これも諦める。

 イギリス人のトラバースを触って見る。スタートホールドから次のホールドを触って見る。こちらの下地には大きな変化は無いようだ。しかし、離陸する事無く諦める。

 実はここの所三連休の三連荘を始め、ボルダリングをやり過ぎているきらいが有り、少しお疲れ気味なのである。従って、イギリス人のトラバースの様な力のいる特に腕力のいる課題はとっても出来ないのである。

 時計を見ると4時である。あと一時間位か。釣り人もいなさそうだからとジャンピングフックのある中州ボルダーに行く事にする。

 下地が大分下がっている。右岸側はあまり変わらないようだが、真ん中から右岸側は大分に下がっている。もうジャンピングフックを地面から飛びつく事は出来なくなっている。レインボーハングも右のカンテを使わないとその上のリップのカチが取れなくなっているようだ。

 先ずはジャンピングフックを飛ぶ。

 今迄あまり記憶に無い左下の1cm位の幅のスタンスに左足で乗って、右手はクラックの所のカチ、左手は左の丸っこいカンテの浅い凹みで離陸する。そして、飛んで見る。上のリップのホールドの10cm位下を叩いたらしい。ホールドは更に5cm位手を被せなければ持てなさそうだから、あと15cm位は足りなさそうだ。

 左手をクラックの斜めカチに持ち替えて、足を色々探って、右手水平カチの上の縦ホールドを取るムーブを探って見る。リップの凹みよりは持ち易いのだが、両手はほぼ縦一直線になるから、右足が外れて、身体を剥がされてしまう。左手を元の丸っこいカンテに戻してやって見てもやっぱり右足が決まらず身体を剥がされる。縦カチだから、身体を剥がされると、デッドでは取りきれない。ホールドに触るだけで落ちてしまう。

 左足はそこそこスタンスが有るのだが、右足のスタンスが無いから、飛ぶに飛べず、次のホールドを静かに取ろうとしても手が出ない。

 レインボーハングが少し高くなったからと、そこをやって見る事にする。

 右のカンテの適当な所を右手で持って、右足を適当に上げて離陸する。左手を目の前くらいのリップのカチに持って行って、左足を左上のガバスタンスに上げて伸び上がり、左上のサイドガバに左手を持って行く。このサイドガバは小生にはいっぱいいっぱいでやっと持てる。そのガバに寄り掛かって、左手で取ったリップのカチまで右足を上げる。ここで左手が外れ落ちる。下は砂利だし、勢いを付けて落ちたから後ろによろける。

 怪我をしてもつまらないからと、持参したマットを敷き再度同じムーブで挑戦する。今度は慎重に動いたから足が上がり、ここに挑戦し始めた頃には力が足りなくてどうしても取れなかったその姿勢からの右手のリップのホールドモ難無く取れ、上に抜ける。

 この中州ボルダーと少し下流のボルダーのテッペンに風車が立ててある。どういう意味が有るのかは知らないが、マントルするのに少し邪魔だったが、倒す訳にも行かないから、それを避けて岩の上に立つ。ついでにジャンピングフックの飛びつこうとしているホールドを偵察する。そして、右岸側のスラブを降りる。

 またジャンピングフックを飛び始める。マットはレインボーハングの下に置きっぱなしである。

 飛んで見たり、スタティックなムーブを探ったり、休んだり。

 ジャンピングフックの左側のカンテ状の所を登って見る。右岸側からの少し寝たスラブ状の壁との斜め右上する丸っこいカンテである。カンテのスローパーで離陸して、足を拾って、身体を上げて、そのまま直上しようとしたが、足が即座には見つからなかったから、カンテを巻いてしまう。で、風車を避けながら何時ものガチガチのカンテをクライムダウンする。

 既に5時である。薄暗くなりかかっている。帰りには奥多摩の日帰り温泉にでも行こうかと言う事になっていたので、最後のジャンピングフックを飛んで、荷物を纏める。

 帰りは明るいからと、左岸のコンクリートの遊歩道を使って帰る。途中丸こんにゃく岩があるから覗いて見ると、下地は完全に水没している。平日だから水量が増えている訳ではないから、今冬は丸こんにゃく岩はもしかすると登れないかも知れない。保証は出来ないが。

 駐車場に着くと既に暗くなってしまっている。自動車を探すと、置いたはずの場所に自動車が見えない。あれー。確かあの辺に置いたはずだが。ようく見ると手前に黒い大きなダンプカーが置かれており、そのダンプカーの影になっていて、おまけにダンプカーが黒いから見えなかったので、自動車がなくなってしまったように見えていたようだ。

 トイレにより、上流の温泉を目指す。

 途中結構自動車が走っている。平日の5時過ぎなのだが、こんなに自動車が走っているのかと思うくらい走っている。

 もしかすると6時までかもしれない。そうだったらどうしようかなどと話しながら、看板に従ってトンネルを出た所を左折して見ると、本日休館との立て看板が出ている。やっぱり、月曜日だから若しかしてと言う予感は有ったのだが、やっぱり当たってしまった。一応入口迄行って、鈍な所か車の中から偵察して帰って来た。往復で30分位のロスになってしまった。

 帰りも中央道が工事渋滞とのことで、何時もの道で国道20号を高井戸まで行く。月曜の6時から7時だからそれなりに混んではいたが、大渋滞と言う事も無く、途中、何回か寄った事のあるハンバーガー屋で夕食を済ませ、また都内での用事も済ませて、また多分工事渋滞しているだろう湾岸を避け、10時頃に家に着く。

 やっぱり10時頃に家に着けるとゆっくりした気分になれるものだということを実感してしまった。


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作成年月日 平成14年11月12日
作 成 者 本庄 章