古美山ボルダーその4

2006年 1月16日記
 相棒と二人の子供を連れた娘と一緒に古美山に行ってきた。というか、子守りの序にほんのちょっと寄ってみた。

 相棒と二人で8時半頃に昨夜から泊っていた「デンパーク安城道の駅」を出発し、娘のもとに向かう。今日が娘夫婦の関東から名古屋への引越しの日なのである。

 10時前に娘とその子供達が泊っていたホテルに行き、娘達を乗せ、これからの棲家となるアパートに向かう。そのアパートには既に荷物が到着しており、娘の旦那が荷物の整理をしているはずなのである。

 少し道を間違えてしまい、一方通行を逆走してしまったが、何とかアパートに到着する。

 ここで言い訳だが、住宅地の細い道をグニャグニャ走っていたら、そこにいたおじさんに一方通行だと告げられたのである。でも、我々が走ってきた道の、どこにも一方通行の標識は無かった筈なのである。その道に入ってきた時に曲がった角をそのまま直進したら、その先の広い道への出口に一方通行と書いてあったから、確かに一方通行だったようだが、細い道に入り、そこからその一方通行の道に曲がった、その曲がり角には何も標識は無かったのである。戻るときにその曲がり角は確認したから、それは多分間違いの無いことなのである。と思う。

 やっとのことで娘婿と会い、用意してもらった駐車場に自動車を入れようとしたら、天井からぶら下げられた何かの太いパイプが邪魔をして自動車を入れることが出来ない。我が自動車にはキャリアーに物入れが取り付けてあるから、高さが高すぎたのである。

 自動車を停めることを諦めなければならないということと、娘婿の、その赤ん坊と子供が荷物整理の邪魔だから一日どこかで遊んで来いという、娘へのありがたい仰せを理由に、相棒と娘とその子供達を載せてどこかに遊びに行くこととなった。

 子供達はまだ小さいからチャイルドシートをつけなければならない。後ろの席にチャイルドシートを二つセットするともうそれでいっぱいである。そこに無理やり子供たちの保護者である娘を押し込め、娘のリクエストで一先ずは近くのスーパーに向かう。

 全国区のスーパーだから大きいと思ったのだが、そのスーパーは意外と小さく、駐車場もどこだかわかりにくかったので、そこを諦め別のところに行くこととなる。しかし、別のところと言っても宛てがあるわけではない。どこでも良いから適当に走ろうということとなった。

 そうなればこっちのものである。これ幸いと豊田方面に向けて走り出す。

 名古屋からは153号線を真っ直ぐ走ると豊田である。153号線に出て暫く走っていたら、三好町というところで今度は別のやはり全国区のスーパーが出現する。すると、娘が子供におっぱいをやらなければならないからそこに寄ってくれというので、そのスーパーに寄る。

 国道から曲がったら直に警備員のいる駐車場が有ったし、混んではいなさそうだったので、その駐車場に自動車を停める。スーパーの建物は道路の反対である。

 ベビーカーを用意し、乳飲み子を乗せて、歩き出したのだが、意外と寒い。しかも、駐車場から直には道路を渡れない。一旦国道の信号のある交差点まで戻って、そこの横断歩道を渡らなければならない。何しろ、駐車場の出口に立っている警備員がそう指示するのだから、従わざるを得ない。

 スーパーの建物に入り、入り口のペットショップを少し覗いた後、正面の入り口らしいところまで行ったら、その前がすごく広い駐車場になっていた。ここまで来るんだった。

 先ずは授乳室を探さなければ。入ったときは判らなかったのだが、この建物の2階にはこれも全国区の玩具屋があった。多分そこに行けば授乳室があるだろうと、そのおもちゃ屋に行ってみることにした。

 すごい。おもちゃだらけだ。当然だが。娘の上の子はプラスチックレールの鉄道のおもちゃが大好きである。そのプラスチックレールのディスプレーの前に連れて行ったら、夢中になってその周りを走り回りながら眺めていた。

 下の子の授乳も終わったので、皆で自動車のおもちゃのところに移動する。上の子はこの自動車も「ブーブ」といって大好きなのである。試供品の実際に乗ることの出来る大きな自動車に乗り込み、そこら辺を走り回る。といっても、駆動力は自分の足で床をけることだから、そんなに早くは走らない。それでも嬉々として走り回っていた。

 そろそろお昼だからと、そのスーパーの、名古屋では結構メジャーらしい、小洒落たイタリアンチックなレストランに入る。

 そこでは2時間以上もいただろうか。自動車に乗る前に、後ろがあまりにも狭いからと、上の子のチャイルドシートを前の助手席に移し、相棒が娘と共に後ろの席に乗って、2時過ぎに古美山に向けて走り出す。幾らか広くなったようだ。

 153号線は豊田の街中を抜け、そのまま松平橋まで真っ直ぐに伸びている。実際は153号は途中で左に曲がるのだが、その道をそのまま真っ直ぐに走ってゆくと豊田松平のインターを通って松平橋にぶつかるのである。なんとわかりやすいことか。そう、松平橋とは古美山等のある豊田のボルダーエリアの入り口となる橋なのである。

 橋を渡りT字路を左折して暫く走ると古美山への入り口である。そこから細い山道をグネグネと登ると、古美山園地の駐車場になる。

 駐車場には何台か自動車が停められている。入り口のまん前の駐車場に自動車を停め、一応支度をする。といっても、靴の入ったザックを背負うくらいだが。

 娘は寒いからと下の子と一緒に自動車にいるというので、上の子と相棒と三人で上のほうに登って行く。古美山は既に4回目になるのだろうか。見慣れた光景である。

 リーチ岩だったかの前に行くと、何回かお会いしたことのある方がいらっしゃったので、これまでの経緯をほんのちょっとお話をし挨拶を交わす。

 その岩の前には若い人のグループもおり、その人達は、文明開化を触っていた。

 その人たちとも少しお話をしていたら、少し寒くなってきたので、その岩の一番左のロンだったかの課題を触ってみる。

 登れない。昨日は結構登ったからなぁ。そういうことにしておこう。

 実は、少し見栄を張って、少し右寄りの直上気味のラインを登ろうとしていたのである。でも、今更普通のラインに戻って、またまた登れなかったら癪なので、そのラインを3回くらい挑戦してしまった。

 最初に挨拶をした人と、そのお連れの方と再び話し出す。古美山の特殊性など、結構永い時間話してしまったような。上着を脱いでいたから寒くなってしまったし、娘も待っているからと、都合1時間くらいで自動車に戻ってしまった。

 まだ4時少し前である。道を確かめる意味で、歌石の駐車場に寄ってみた。自動車が数台停まっていた。

 次は大給である。

 多分これだろうという道に入ったら、大給の入り口は確認できたので、その道を真っ直ぐ進んで巴川沿いの道に直接出ようとして見たら、道に迷ってしまい、結局はもと来た道を引き返す羽目になってしまった。

 5時過ぎ、相棒が買い忘れたものがあるということで、先ほどのスーパーに再び寄ることとなった。当然建物脇の大駐車場の方に自動車を停める。しかーし、混んでいたし、広すぎて大分端っこの場所に停めざるを得なかった。でも、多分先程よりは近かっただろう。

 相棒と娘だけが自動車を降り、小生と寝てしまっている子供達が留守番となった。

 暫くは良かったのだが、途中から下の子が泣き出した。最初は無視をしていたのだが、全く泣き止む気配が無い。いいかげん五月蝿くなってくる。仕方がないから、後ろの席に移り、泣いている赤ん坊をあやしだす。

 最初は足をぽんぽん叩くだけで暫くは泣き止んだのが、だんだんそれでは泣き止まなくなってくる。遂には抱き上げて背中を叩いてやる羽目に陥ってしまった。そうなったら、今度は、上の子までが前のチャイルドシートで泣き出してしまう。上の子はチャイルドシートにベルトで固定しているから、下の子を抱えたまま、前のシートのベルトを外してやり、小生の脇に上の子を移動させてやる。

 脇に上の子、腕には下の子を抱え、なかなか泣き止まないその子たちの面倒を見るのも大変である。そんなことを1時間も強いられてしまった。

 自動車を近くのコインパーキングに置き、娘の新居で夕食を頂いた。先ほどのスーパーで買ってきた寿司である。

 暫く歓談した後、あまり遅くなってもと、9時頃には引き上げた。

 相変わらず1号線を走り、既に無料開放となった幾つかのバイパスを通ってから、0時過ぎに、磐田のインターから高速に乗る。

 で、結局、1時間ほど走って、牧の原のサービスエリアで就寝となった。


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作成年月日 平成18年 1月16日
作 成 者 本庄 章