浄土寺山のボルダーに行ってきました

   京都・山陰・山陽のボルダーめぐり第四段目
2005年 5月27日記
 「アリストぬまくま」道の駅で朝6時に目を覚ます。いよいよ本日は最終日である。途中、雨もあったが、ボルダリングにはそれほど大きな支障にもならず、3箇所のボルダーエリアを廻ってくることができた。あとは、ここ尾道の浄土寺山だけだ。

 本日も朝から天気がよい。明るい日差しの中、6時半には道の駅を出発し、途中、高速道路のような国道2号線バイパスの脇から、尾道市民病院の前を通り、浄土寺山の山頂を目指す。

 7時ちょっとすぎ、少し迷って、少年野球の球場のようなところに入り込んだが、そこに集まってきた人に道を聞いて、無事浄土寺山の山頂に到着する。

 途中、ループ状の道から、立派な橋を渡ると、突然道は細くなる。舗装されてはいるが、自動車1台がやっと通れる幅しかない。傾斜のきつい山肌を縫って、ウネウネと登って行く。といっても、距離にすればそれほどではない。散歩らしい人たちも歩いている道である。

 最初はNTTの電波塔のような所に行って見たが、その少し手前から海側の方に張り出した尾根の先が山頂のようだったので、Uターンしてその展望台のある場所に移動する。

 展望台には屋根があり、一張りのテントが建てられている。その脇にはバイクが停められているから、バイクでツーリングをしている人の様だ。

 その場所はそれほど広くは無いが、自動車を回すことができるくらいの広さがある。しかし、その丁度良さそうなところにもう一台の自動車が横向きに停められている。小生の自動車を停めると、他の人の自動車が回せなくなってしまう。どうしようか周りを見回したら、そこから奥に続く道の真中に、「アベック専用」と落書きされたガードレールが設置されているところがある。そこが丁度自動車二台分くらい広場から引っ込んでいるので、その片方のスペースにバックで駐車する。

 支度をし、トポを取り出して眺めたら、先ほどのNTTの電波塔の方に3つ程のボルダーがあるとなっている。まずはそこから始めることにする。

 電波塔の横を入り、斜面の小道を僅かに下ると、大きなボルダーが現れる。

 それは少し大きすぎる感じなので、先に進む。

 そのボルダーの直ぐ横にも大きなボルダーがある。そこにはチョークがついている場所があった。

 その先に行くと、もう一つボルダーがあったが、藪の中で、あまり触られた様子は無い。

 靴を履いて、真中の石を触ってみる。先ずは、道沿いのベロンとしたカンテである。

 離陸は何とか出来たのだが、次の手が留らない。これといったホールドが無いのだ。足を変えたり、手も何箇所か触ってみたりしたが、スローパーホールドだから、どうにもならない。早々に諦める。

 その石を廻ってみる。高いし、興味をそそる場所もないから、その石はそれで終わりにする。

 トポには電波塔の前辺りにトラバースボルダーと名付けられた石があることになっているので、途中で分かれるもう一本の小道を歩いて、そっち方面に行ってみる。

 綺麗なスラブ面を持った、4mくらいの石が現れる。石の下にはゴミが散らばってはいるが、面白そうだったので、取り付いてみる。

 何時もの如く、離陸に少し梃子摺ったが、何とか、ホールド、スタンスを選んで上に抜ける。石の上に顔を出したら、電波塔の前の道の端っこに出っ張っていた石だった。この石がトポの石かどうかはわからないが、まぁ、課題ハントに来ているわけでもないから。

 次は、自動車を停めた道の先に続くエリアである。結構多くの石のあるエリアのはずである。

 ガードレールの裏から、2mくらいの幅の道が続いている。立派なしっかり踏まれた道である。その道の右側には適当な大きさの石が幾つか見える。行ってみたら、スパッと切れた面を持つ石があり、そのカンテが登れそうに見えた。

 なおもその太い道を進んだら、その道は急に藪の中の踏み跡程度の道になり、傾斜が増してくる。

 ジグザグに下ってゆくと、幾つかの石が現れる。しかし、トポの石がどれなのか全くわからない。トポには名前や番号が付けられた石があるのだが、その名前のような形状も、測量のためのものだろう番号もトポのそれとは符合しない。トポの位置と現在地との対比も全くわからない。

 大きな二つ重ねの石の前に出る。見ると、その上に乗った石の下のほうにチョークがついている。どうやら登られている石らしい。しかし、少し高い。少し被っている。すべっとしている。顕著なホールドは無い。小生の課題ではなかった。

 何もわからないまま、尚も下って行ったのだが、遂に踏み跡さえわからなくなってしまった。トポでは防護壁のような構築物で踏み跡は終わっているので、そこまで行けば幾らかわかるだろうと考えていたのだが、その構築物の陰さえわからない。仕方がないからそこから引き返してきた。

 引き返すときに、周りに見える石を再び観察してみたが、高いものが多く、藪の中だし、ということで、結局最初の広い道の脇の石まで戻ることにした。

 この石、石の付け根が転倒防止のためかコンクリートで固められている石で、一面が割れたように僅かに被り気味の壁になっており、両カンテは幾らか手がかかる感じになっている。特に左カンテは小生にも持てそうなカンテになっている。

 本当はその壁の真中を、細かいカチで登りたかったのだが、ホールドが繋がりそうに無かったので、その左のカンテを登ってみることにした。

 スタートのカンテは垂直に立っている。従って、レイバック気味になる。ということは、あいも変わらず離陸に苦労する。

 何とかカンテギリギリにスタンスを見つけ離陸する。手を上げて、左足をカンテに絡める。後は何とか手を上げて行けば自然と足は上がってくる。そうするとカンテは寝てくるから、そのまま少しトラバースして、壁の真中辺りでマントルを返す。

 それにしても、ここの石は痛い石である。王子ヶ岳の石と殆どそっくりだ。花崗岩なのだが、その結晶が物凄く大きいのだ。まるで大根卸し板なのである。

 これで、何とか2つの石を登ることが出来た。

 このエリアは、トポには石がいっぱい書かれているのだが、それで終わりにする。

 自動車のところまで戻ると、犬を連れた人が、そこより高いだろう、山頂方向に伸びる自動車が走れる道を歩いてきたので、その道の先に自動車を置くスペースはあるかと聞いてみた。そしたら、スペースはあるというから、自動車で行ってみたら、確かにちょっとしたスペースはあった。しかしそこに自動車を置いてしまうと、後の人がそこで自動車を回すことが出来なくなってしまう。仕方がないから、そこで自動車を回し、引き返した。

 戻りながら、来た道の両脇を見ながら走ったら、2箇所ほど、自動車を寄せられそうな場所があったが、無理に寄せることも無いと、元の場所に再び自動車を停めた。

 自動車で走った道を歩いて、もう一つの展望台のあるピークに向かう。距離にすれば百メートルかそこらだ。

 自動車をUターンさせたところから少し登ると、下にお地蔵さんが祭られている、大きな石の前に出た。この石もコンクリートで基部を固められている。王子ヶ岳の石も大規模な転倒防止工事が行われたが、多分、ここもその一環の工事であろう。

 その石の奥には浄土寺の奥の院と思しき立派な建物が建てられている。その建物の前を回りこんで、展望塔に登ってみた。

 コンクリで作られた立派な塔である。眼下には、この山頂付近のボルダーは勿論、遠くの山腹に見え隠れするボルダーも見える。勿論、尾道水道から対岸の島もよく見える。しばらく眺めて、写真を撮って降りてきた。

 こちらのエリアは、奥の院までの道と、行場の鎖場の傍にボルダーがあることになっているから、先ず大きく迂回してくる普通の道を下ることにする。

 トポには、不動岩とかねじれ岩とか、幾つかの石の名が書かれているが、相変わらずわからない。どんどん下っていったら、下のお寺の墓場に出てしまった。

 その墓場の上辺りから第一鎖場が始まるはずだと、見当をつけた辺りに行くと、大きな岩に太い鎖が垂れたところが表れた。

 傾斜は結構ある。普通の岩場の鎖場位に考えていたのだが、これははっきり修行場である。結構傾斜はきつく、長さも10m以上ある。普通の人では多分恐ろしいく感じるであろう。

 どうやら巻き道は見当たらない。でも、来てしまったから仕方がない。小生が途中まで登り、続いて相棒を登らせる。適当なところまで相棒が登ってきたら、小生がまた少し登る。そんな感じで相棒を登らせたが、正直、少々恐かった。

 その鎖場が終わると、少し岩場の道が続いて、第二鎖場が出現する。

 こっちは第一に比べるともう少しハードに見える。幸い、2段に分かれ、高さもそれほどでもないから、小生が一段目を登り終えたところで相棒に登らせ、次は小生が2段目の部分を登る。そして、巻き道で相棒の所に戻り、相棒に2段目を登らせた。

 次は第3鎖場である。

 ここも第2鎖場とよく似た感じの鎖場である。第一段目は傾斜も緩く高さも無いが、第2段目はより傾斜がきつく、なおかつリップとの角度もある。

 第一段目を登った後、第2鎖場と同じように、小生が戻ってから相棒に第二段目を登らせてみたら、やっぱり傾斜がきつすぎて相棒には登れなかった。

 その先の岩場の踏み跡を少し登ったら、先ほど下った立派な道に出ることが出来た。しかし、相変わらずボルダーは判らず仕舞い。まぁ、適当に遊んだからと、自動車のところまで戻ってしまった。

 まだ11時ちょっと過ぎである。朝はリンゴだけしか食べなかったからと、1昨日道の駅で買ったかにラーメンを自動車の脇で作っていたら、ハイカーらしいおばさんが二人通りかかった。我々はまさか人が通るとは思わなかったから道占拠してラーメンを作っていたのである。おばさんたちに侘びを言って、少し避けながら歩いてもらった。

 先に我々が引き返してきた道からおじさんが一人登ってきた。どうも不思議なので、そのおじさんに、この下に道があるか聞いてみたら、尾道大橋の袂から道があるという。我々はこの道を下って迷ったといったら、そんな迷う道ではないという。なんだか不思議な話だったが、再度その道を求めて下る勇気も無かったから、半信半疑のままその場を後にした。

 さぁ、後は帰るだけだ。

 面倒くさいから、直ぐ近くの福山西インターから山陽道に乗ることにする。

 先ほどの立派な国道2号線を別の有料道路と勘違いしてしまって、その道に入って直進すれば直ぐに高速に乗れたところを、側道にそれてしまったものだから、少し時間をロスしてしまったが、その後はたいしたトラブルも無く、吹田から名神に乗ることが出来た。

 京都の手前で渋滞との表示があったが、京滋バイパスに逃げたため渋滞することなく進むことが出来た。しかしその先、関が原で20数キロの渋滞だとラジオが報じている。あそこはいつも渋滞しているらしい。仕方がないと諦めて進むと、渋滞しているはずの場所まで来ても渋滞の様子は無い。ラジオを聞くと、今度はその先で渋滞と報じている。渋滞が前のほうに動いていってるようだ。

 ゆっくり走ってゆけば渋滞が無いかもと、のんきに走っていたら、遂に彦根の手前で渋滞に嵌ってしまった。

 結局1時間半ほど渋滞の中を走ったら、彦根トンネルを抜けた辺りで完全に渋滞は無くなった。と思ったら、またまた羽島の手前で1時間ほどの渋滞に引っかかってしまった。

 後は順調。結構のんびりと、途中、食事をしたり、コーヒーを飲んだり、買い物をしたりしていたし、速度は80km程度で、大型トラックにくっついて走っていたから、すっかり遅くはなってしまったが、時間調整をすることも無く、1時頃首都高に入り、2時過ぎに家に着いた。

 今回も結構長い旅だったが、まだ後半の東北が残っている。先ずは、請うご期待である。


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作成年月日 平成17年 5月27日
作 成 者 本庄 章