地蔵ヶ岳オベリスクに行ってきました

2004年 8月10日記
 盆前の土日でジムの仲間二人と三人で鳳凰三山地蔵ヶ岳のオベリスクを登りに行ってきた。

 金曜日の夜、何時もの駅前で落ち合い、甲府を目指す。

 首都高に乗ったとたんに、環状線から高井戸まで渋滞中の表示が。やばい、どうしよう。

 レインボーブリッジを渡る予定だったので、既に有明である。でも、下道に下りるか。

 有明から下道のレインボーブリッジを渡って都内に入ると結構道が複雑になりそうなので、インターを降りた先の交差点でUターンし、湾岸線を東雲まで戻る。

 ここからなら、豊洲、晴海、勝鬨から銀座、四谷、新宿で甲州街道に出る、何回か通ったことのある道だ。

 途中、月島の近くを通る。月島は、今回の仲間の一人と小生にとってとても懐かしい場所である。その二人で、とんでもなくローカルな話題で盛り上がる。

 勝鬨橋を渡り、銀座四丁目の交差点の服部時計店の時計を眺めながら、皇居のお堀端を廻り、半蔵門から四谷に進む。既に12時近いから、銀座付近で僅かに客待ちのタクシーを避けるためにスピードを落としたが、比較的スムーズに進む。

 さすが新宿、新宿御苑のトンネル前から渋滞が始まる。まぁ、ここの渋滞はしょうがないか。

 新宿駅南口前を過ぎても渋滞は解消しない。結局環八の交差点辺りまで渋滞に巻き込まれる。

 調布で中央道に乗り、石川パーキングで仲間に運転を代わってもらった後、あとはスムーズに韮崎まで進む。

 今夜の泊まりは青木鉱泉である。国道20号を松本方面に少し走ってから、釜無川を桐沢橋で渡り、青木鉱泉への道標に導かれて、舗装された沢沿いの細い道をしばらく進むと武川村からの林道にぶつかる。

 その辺からドンドコ沢の工事の為か急に道が分かりにくくなる。途中間違えてドンドコ沢に出る道に入ってしまったのだが、結構広い場所で行き止まりとなる。でもそこが沢沿いの気持ちの良さそうな場所だったので、大きなボルダーの横にテントを張り休むことにする。

 朝、自動車の音で目を覚ます。結構自動車が入ってきているようだ。

 仲間はまだ寝ていたので、小生だけテントを抜け出し、付近を少しだけ散歩してみる。

 この場所の直ぐ上流に立派な橋が掛かっており、青木鉱泉はその橋を渡った先のようだ。

 テントに戻ると、仲間も起き出していたので、各人で朝食にする。

 テントをたたみ、青木鉱泉に向う。

 青木鉱泉の駐車場は林道の脇にトラロープが張られた場所であり、そういう場所が何箇所かある。沢山自動車が停められている中を一番奥のスペースまで進み、自動車を停める。仲間の一人が以前来た時は、自動車が着くなり駐車料金を徴収に来て感じが悪かったらしいのだが、今回はそのような人はいなかった。

 先ずは駐車料金を払おうと、宿の前まで行く。

 宿の前には荷物の用意などをしている登山者が何人かおり、宿の入り口の食堂の様な所では朝食の準備が行われているようだった。

 その食堂の様なところを入り、宿の人に駐車料金を払う。

 宿の人が二日分かと聞くから、天気があまりよく無さそうな感じだったので、途中で引き返す可能性があるから、一日分にしてくれと話す。因みに一日分は750円だった。

 トイレを借りて自動車に戻り、仕度を整えて出発する。因みに8時半頃である。

 再び宿の前を通り、沢沿いの砂利道を少し進んでから山道に入る。

 標高二千メートルを越えるのは、前回の瑞牆山がおよそ20年位い振りだったので、二千七百メートルを越える、おまけにテント泊の今回の山行は非常に不安である。前年の安達太良のアプローチや、前回の瑞牆山で、若者には全く付いて行けない事は自覚はしていたが、現在の自分のペースがわからない。

 先を行く若者、それもバリバリのバリエーションをやってきた若者のペースに合わせて歩き出す。テント泊と言っても、テントや炊事道具は仲間が担いでくれているから、小生の荷物は個人装備にフラットソールが加わっているだけだ。食事はそれぞれと言うことで、一応自分用のおよそ4食分の食材は背負ってはいるが。

 平地は何とか付いて行ったが、登りに差し掛かると急にペースが落ちる。先を行く仲間との距離が離れ出す。でも、無理は出来ない。仲間には悪いが自分のペースに落とさざるを得ない。

 我々の前に中高年登山者らしい一団が登っている。追い付きもしないし離れもしない。どうやら中高年登山者のペースと小生のペースは同じようだ。

 しばらく歩くと、前を歩いていた集団が道を譲ってくれる。折角譲ってくれるから、先に出る。

 先頭の仲間は大分先を行く。もう一人の仲間は小生の直ぐ後に付いてくれている。そして、離れすぎると時々先の仲間が待っていてくれる。申し訳ないが仕方がない。

 約一時間歩いたところでやっと休息になる。疲れた。

 出だしの1ピッチは何時もきついものだ。この先は少しは楽になるだろう。そう思いながら、そう願いながら、荷物を降ろし、休息する。

 先ほど抜いた集団は全く見えない。同じようなペースだったのに何故だろう。

 10分ほど休んでまた歩き出す。

 辛い。益々ペースが落ちる。短い歩幅でゆっくり一歩一歩足を運ぶ。ところがこの道、急だから大きな段差が連続して出てくる。従って大きく足を上げ、その足に乗り込むと言う動作を繰り返すこととなる。疲れる。

 日頃ボルダリングをやっているから、運動をしている気持ちになっていたが、考えてみると、ボルダリングはそんなには運動はしていない。時間にすれば一日精々10分か20分だ。いくら乗り込みが続くと言っても精々3歩か4歩だ。一回の運動だって1分も続けることは珍しい。精々頑張っても20秒か30秒である。後は大休止の連続である。こんなに何百回も乗り込みを続けることは絶対にない。おまけに荷物による負荷までかけているのだ。

 それでも仲間がいてくれるから、次の休息までの50分前後を頑張るしかない。

 南精進ヶ滝への分岐に到着する。

 中年の夫婦らしいカップルが休んでおり、奥さんらしい人が敷物を敷いて寝ている。やっぱりきつい登りのようだ。

 ここから南精進ヶ滝へは50mと書いてある。仲間がどうしますかと聞いてくれるから、50mも余計に歩いたら疲れちゃうからと答える。そして、そのまま先に進む。

 朝出るときから心配していた空模様が何となく怪しくなってくる。上の方にガスが出始めてきたのだ。やっぱり雨なのだろうか。

 先頭を歩いていた仲間が、天気が心配だから先に行ってテントを張って置くということで、一人で先に行く。小生は相変わらずゆっくりと歩くしかない。

 鳳凰の滝を過ぎた所辺りだったかで雨が落ち出す。小降りの内は涼しくて良いか位に考え、そのまま歩き続ける。

 それからどれ位い歩いただろうか、遂に雨が大粒になってくる。仕方がない。合羽を着込む。

 途中休んでいるとポンチョを被った単独行の女性が追い付いてくる。一見中高年者には見えない。まぁ追い付かれてもしょうがないか。その女性が先に立ったので、我々も少し遅れて出発する。

 しばらくするとその女性が立ち止まっている。少しだけお話をして、追い越す。

 若いと思ったその方は、実際にお話をしてみると、決して若くはなかったようだ。

 やっと白糸の滝に到着する。ここは登山道から滝が見えるから、荷物を置いて、少し滝壷への道を進む。ここ迄来れば、もう少しくらい疲れても、疲れすぎているからどうでも良い、そんな気になっての行動である。

 先ほどの女性が追い付いてくる。そして我々よりも先に歩き出す。

 荷物を降ろして、空身でいると、寒くなってくる。合羽は着ていても全身ずぶ濡れなのだ。もっと休みたいのだが、休んでいる間に死んでしまいそうな感じだったので程々で歩き出す。

 先ほど抜かれた女性に対し、若いから追い付かれてもしょうがないかと思っていたのだが、そうでもなかったと分かったため、急に闘争心が沸いてくる。しかし、既に足は完全によれてしまっている。気ばかり焦っても足が前に出てくれない。上に上がってくれない。

 ちょっとした枝沢を渡るところで、何となく道が分かりにくかったのだろうか、ポンチョの女性が一人立ち止まっている。やっと追い付いたか。しかし、別人だった。

 その人が地蔵岳はこっちでよいのかと聞くから、多分良いのだろうと答えて追い越す。

 尚もしばらくきつい登りが続く中、疲労凍死の恐怖に怯えつつ、やっとこさ足を上げて歩き続けていたら、やっと傾斜が緩やかになってきた。そろそろ小屋が近いのだろうか。

 白い砂のちょっとした沢型になる。もう小屋も近いのだろう。心なしかペースも僅かに上がり出したところで小屋の前に出る。やっと着いたか。でも、テン場は見えない。目的地はまだ先か。

 小屋の人が釜の火燃しをしている横を通ると、その人がお泊りですかと聞くからいいえと答える。どちらまでと聞くからキャンプ場までと答えると、テン場は小屋の裏だと教えてくれ、隣にいたお姉さんがこちらへどうぞと言いながら申込書を持ってきてくれる。

 名前を書きながら、仲間が先に来ているはずだと話すと、あの方のお仲間だったんですか、それなら手続きはもう済んでますよ、ということで、なんか急に親切になる。そんなにやばそうに見えたのかなぁ。7分のズボンに運動靴だし、ザックカバーなんて洒落たものは使ってはいないし、雨具もゴム引きの合羽だし、それになにより、たった一人で夢遊病者の様にふらふらと歩いていれば、ヤバイおじさんの単独行者と思われても仕方がないか。因みに後ろに付いていてくれた仲間は途中から少し先を歩いていて、直接テン場に行っていた為、小生一人だったのだ。

 小屋の前の庇の下で、濡れたシャツを脱いで、より乾いているといっても半分は濡れているシャツに着替え、持参していたこれも半分濡れているフリースも着込んで、荷物だけはしばらくその場に置かせてもらって、傘を差して仲間のテントに行く。多分1時半頃だったと思うのだが。

 テン場は広くは無い。というよりも、凄く狭い。奥は段差のある棚になっているのだが、全部で20張りも張れるだろうか。仲間のテントは直ぐに分かった。

 テントに入ると、中では火を焚いており、凄く暖かい。ザックから出してきたマットに座ってほっとする。

 仲間を見ると合羽を着たままである。所謂着干しをしているのである。そうか、濡れたまま丸めて置いておいても乾きはしない。でも、着ていれば乾く。そうか。一休みし、雨が止んだ間に、早速荷物を取りに行き、合羽を着る。

 まだ2時前後だったと思うが、何もすることは無い。外は雷が鳴り、時折強い雨が降ってくる。小生の持参した、物凄く感度の悪いラジオを鳴らしてみたが、それも落ち着かない。

 着干しといっても、一番上の合羽と一番下のシャツしか乾かない。着いた時に脱いだシャツはまだずぶ濡れの状態である。身体も充分に温まったので、先ほど脱いだシャツを直接肌に着て乾かすことにするか。

 表面の乾いた合羽を脱ぎ、一番下に一応は絞ったずぶ濡れのシャツを着て、一番上に、これも半分濡れている羽毛のチョッキを着込む。

 寒さが怖かったので、荷の重くなるのも省みずに大分余分に衣類を持ってきていたのだが、それが少しは助かったようだ。全身濡れていたので、それだけ着ても火を消すと途端に少し寒さを覚えたのだから。遭難て、こういう昔の事が忘れられない中高年者が引き起こすのだろうなあと、つくづく考えてしまった。

 仲間の一人が、今回の山行の動機付けとなったらしい、ウエストンの本を持ち出し、オベリスク登頂から千丈岳や北岳登山の部分の朗読を始める。その一行の行程をもう一人の仲間が地図で確認する。実は今年は、このウエストンがオベリスクを登ってから100年目の年らしいのだ。

 ウエストンを案内したトラジロウやミツジロウだかの登山能力の高さや、芦安村と伊那側の村との地蔵ヶ岳南面辺りの所有権の争いの話、陸軍測地部に雇われた芦安村の人が花崗岩の三角点を三千メートルを越える山の頂まで担ぎ上げる話など、感心しながら聞かせてもらう。明治の話だから登山道なんて無かっただろうし。ウエストン一行の岩魚を20匹も釣って食べる話や、一行のうちの二人がカモシカを見付け、後を追って遂にそのカモシカを担いできて、みんなで食べた話などは、昔の小生のコンロと米だけを持って沢に入り、アイヌネギや岩魚、果ては山椒魚まで食べた事を思い出し、何となく懐かしくなってしまった。

 薄暗くなってきても雨は止まない。明日はオベリスク登頂だというのに、岩は乾くのだろうか。

 時々うとうとしながら、ラジオを聞いたり、取り留めの無い話をしていたのだが、中々時間が経たない。それでもやっと6時近くなってきたので、夕食にすることにする。

 仲間の持ってきてくれた2台のコンロを使い、それぞれが夕食を作る。小生はゆでうどん、仲間二人は乾蕎麦である。お互いゆでたり暖めたりだけだから、あっという間に炊事を終えてしまう。食べてしまうと、もうすることがない。持参したローソクを灯す。

 隣のテントの人達が先ほどからうるさい。騒いでいるわけではないのだが、話す声が大きいのである。話の内容が全て聞こえてくる。

 やっと8時を過ぎる。でもここで寝てしまったら明日の朝が辛いと、9時まで頑張ることにする。

 やっと9時近くまで頑張った後仕度をして寝る。

 半分濡れた羽毛シュラフに半分濡れたシュラフカバーを掛け、半分濡れた羽毛のチョッキを着込んで就寝する。これだけ着てても、その下には半分濡れたフリースを着ているから、何となく寒く感じる。昔の冬山以上に着込んでいるのに。何時しか雨は止んでいた。

 2〜3回寝返りを打った後に、気が付くと隣のテントがうるさい。まだ暗いのにとランプを点けて時計を確認するとまだ3時だ。ったくもう、眠れないじゃないか。気が付いたら4時を過ぎていた。

 仲間も起き出したようだ。隣のテントは既に出発の用意を始めているようだ。あれが正しい登山者の姿なのかなぁ。最近はテントに寝ても、7時を過ぎないと起きないし、仲間などは8時前には起きることは殆ど無かったのだから。

 結局我々も5時前には用意をはじめ、6時前にはテントを撤収した。

 テントをたたんでいると、反対側のテントに小屋の小父さんが来る。どうやら、そのテントの学生風のグループが昨夜テントが壊れたとかで水浸しになり、小屋にお世話になったらしいのだ。そんな騒ぎは全く知らなかった。

 小屋の小父さんは我々にも声を掛けてくれ、今後の行程を聴いてくれる。一応、中道経由で降りると告げる。そしたら、今日も午前中は晴れそうだから大丈夫だろうと教えてくれた。どうやら小父さんは、小生のことも気になっていて、声をかけてくれたのだろうか。たのだろうか。それとも、小生の自意識過剰か。いや、多分被害妄想だろう。

 6時頃にはテン場を出発し地蔵ヶ岳に向う。昨日小生に付いていてくれた仲間は先に行く。用を足というもう一人の仲間は少し遅れて出発する。

 昨日のことがあるから、ゆっくりと一歩一歩足を出しながら歩く。

 樹林帯を抜け、オベリスク目指して白くざれた少し傾斜のきつい賽の河原をゆっくりとジグザグで登る。

 登りながら、前を登る登山者の行動を観察すると、歩くスピードは小生と変わらないのだが、5分か10分くらいで小休止を入れている。小生は、歩き出せば殆ど止まる事はしない。そこにスピードの差があったのか。やっと納得する。

 稜線直下の登山道脇のボルダーに先行した仲間が既に取り付いている。やれやれ、やっと休める。因みに時間は6時40分頃か。

 荷物を置き、デジカメを取り出して構える。しかし、逆光である。急いでざれた斜面をトラバースして反対側に行く。

 場所を決めてデジカメを構えたら、ちょうど仲間が落ちたところだった。しばらく待っていたら、それで止めると言う。そんなぁ、折角用意したのにぃ。も一度登って。リクエストを出す。標高が高いから疲れるんですよねと言いながらももう一度登ってくれたから、その姿を写真に収める。これで一応の目的の一つはクリアである。

 そこからもう一登りで稜線に出て、適当なところに荷物を置き、クライミングの用意をする。用意といっても、靴にチョークバックだけだから、サブザックの必要は無かったかも知れないが、一応サブザックにその二つを詰める。

 オベリスクには何人かの人達が取り付いているようだが、上まで登った人はいないようだ。

 大きな岩が重なった場所の歩きやすそうな場所を探して上を目指す。所々岩にステップを切ったところが見えるので、そこを繋ぐように岩を攀じ登ってゆく。

 オベリスクの基部迄行くと、既に仲間の一人が取り付いている。

 傾斜のきついスラブ上の岩のステップの刻まれたカンテを登り、ロープの垂らされた凹角状の奥のクラックを使って登るのだが、凹角状面をチムニー登りが出来そうだが、既に高いところに登った後の5〜6mの壁だから、残置されたロープを使わなければ完全にフリーソロ状態である。

 仲間は凹角状の中に垂れ下がった、新旧数本のロープを凹角の外にどかし、フリーで登って行く。凹角の側壁にはやはりステップが刻まれているらしい。しかし、クラックは余り良いサイズではないらしい。凹角の抜け口は、残置ロープの束がある為にかえって悪くなっているらしい。そういう情報をくれる。

 続いて、もう一人の仲間が刻まれたステップを使わずに、チムニー登りで登って行く。

 二人が上に抜けたので、小生も後に続く。

 最初は凹角の右側面に刻まれたステップを使って、右手はカンテやそのステップ、左手はそのステップやクラックを使って登って行く。

 抜け口直下まで行くと、抜け口のホールドとして欲しい場所のクラックの上にロープの束がある。その直下のクラックには鎖が挟まっている。A0になっちゃうけど、無理をすることは無いから、積極的にロープを掴んで上に抜ける。

 抜けた先はピークとピークの間のコル状になっており、もう一段高い岩峰が二つある。高いほうに二人が登っていたから低い方のピークに上がって見る。

 そのピークの先を覗き込むと、スパッと切れている。結構高いのだ。

 コルに戻り、やっぱり高いほうのピークの2m程を這い登る。そのピークの上は3〜4人は座れる広さがある。

 そこから登ってきた反対側の甲府盆地方面を眺めると、尾根筋にボルダーがいっぱい見える。その先は雲海で甲府盆地は見えない。

 正面の甲斐駒の壁や北岳のバットレスを眺め、今度は四尾根をロープ無しで行くかとか冗談を言い合い、少し怖い思いをしながらコルに下りる。

 そこからは、やはりおっかなびっくりロープを使って登ってきた凹角を降りる。

 その凹角の裏にゴートクラックと呼ばれるクラックがあるらしい。仲間はそれを偵察に行くと言うので、小生は既にフラットソールを脱いでしまっていたが、そのままデジカメをもって付いて行く。

 右横に廻ると、少し広めの場所がある。そこにもお地蔵さんが置かれている。この地蔵ヶ岳にはお地蔵さんが沢山置かれているのだ。更に廻り込むと大きなクラックが現れる。それがゴートクラックらしい。

 仲間の一人が登りはじめる。始めのクラックがちょっと悪いらしいが、その後はそれ程でもなく、最後のカンテは易しいらしい。続いてもう一人の仲間も登る。小生はそれをデジカメに収める。

 最初に登った凹角よりは傾斜が少なく、高度感もそれ程は無いから、こちらの方が失敗してもダメージは少ないかと感じられたし、上に登った仲間が、出だしのクラックがいやらしいが上は難しくは無さそうだと言ってくれたのだが、既に運動靴に履き替えていたし、昨日の疲労もあるから無理をしてもと、小生は諦めることにした。

 荷物までもどり、ひとしきりオベリスクを眺め直した後、観音岳を目指す。因みに8時半頃か。

 這松や高山植物の咲き乱れる尾根を登り返す。相変わらず一歩一歩ゆっくりと歩を進める。

 途中、観音岳方面から下ってきた一団が小生が登って行くのを待っていてくれる。すいませんと言いながら登って行くと、その内の決して若くは無さそうなおじさんに、ゆっくりゆっくり自分のペースで登ってくださいと声を掛けられる。やっぱり小生のペースってそんなにのろいのかなぁ。かえって落ち込んでしまう。

 観音岳の前に幾つかのピークが存在する。そのうちの一つのピークへの登りの斜面に道が二つに分かれたところが出てくる。その分岐の前で一人のおばさんが、どっちに行けば良いのですかと聞いてくる。どっちでも同じですよと答えて、実際に適当に一方の道に入る。そのおばさんが一緒に付いて行こうとといいながら付いてくる。

 綺麗な花があったのでちょっと立ち止まって眺めながらこの花なんていうのだろうと話していたら、そのおばさんが即座にタカネビランジとかなんとかと教えてくれる。この花は、南アルプスにしか無く、特に地蔵ヶ岳付近に多い花らしい。さすが中高年のおばさんだ。それにしても、そういうことってどこで覚えてくるのだろうか。ある意味尊敬してしまう。でもビランって糜爛なのかなぁ、余り美しくないなぁ、とか考えてしまった。お陰でビランジを覚えてしまった。

 歩き始めたら、程なくおばさんは見えなくなってしまった。

 さすが百名山だ。稜線上でも結構な人たちが歩いて来る。多分途中の稜線の何処かで泊まっていたのだろう。

 この地蔵ヶ岳から薬師岳にかけての稜線や枝尾根には結構ボルダーが存在している。それを適当に写に撮りながら進む。

 観音岳への登りの白くざれた場所で道が三本に別れている。どれを行ったら楽そうか迷ったが結局一番左の傾斜の楽そうなところを小生が歩き出すと、仲間は外の二本をそれぞれに分かれて歩き出す。

 右の二本は右側の岩稜に伸び、小生の歩く一番左は左斜面の這松帯に伸びている。途中までその道を歩いたが、這松帯に入る手前辺りから道の踏み具合が少なくなってきた気がし始める。そのまま行って道を外しても勿体無いので、途中から岩の斜面を登り、岩稜方向に登って行って右の道の先に合流する。

 その後、気になったので、左側の這松帯からの踏み跡に気をつけながら登ったのだが、それらしい踏み跡は見つからなかった。結局はそんなに先に行かずに岩の壁に入り、小生の歩いた道に戻っていたのだろう。

 観音岳の天辺で休息を取る。時間は10時頃である。ここにも登れそうな適当なボルダーが存在する。しかし、昨日は地蔵まで上がってオベリスクに登る予定が今日にずれ込んでしまったので時間にそれ程余裕が無いことと、何より昨日、仲間も結構消耗していたらしく、モチが沸かないと言うので皆で眺めるだけにする。

 観音岳から薬師岳はだらだらの稜線でる。傾斜が無いからそこそこペースが上がる。

 明らかに小生よりもお年寄りのお爺さんと呼ぶに相応しい方が降ってくる。思わず、よくここ迄登って来られましたねと声を掛けてしまった。

 雲が出始める。そろそろ雨だろうか。まだ早いだろう。そんな話をしながら歩く。

 薬師岳山頂に到着する。10時40分頃である。

 山頂は広い。そして、ボルダーがいっぱいある。下地は白砂である。若しかすると、この薬師の山頂付近が一番ボルダーに向いている気がする。

 山頂の一番高い岩の上に仲間が登る。僅かなステップが切られている様だが、ジャリジャリするらしく、運動靴では結構悪いらしい。天辺にはハーケンもあるらしい。もう一人の仲間も登ったのだが、小生はわざわざフラットソールを出してまで登るのもと、その隣の低い岩に登ってお茶を濁す。

 二つ三つのボルダーを眺め、触って中道登山道に降る。因みに時間は11時ちょっと前である。

 山頂から東方向に張り出す尾根との鞍部からその尾根の頭にかけてボルダーが点在している。大きさも適当な気がする。

 その尾根との鞍部に降り、登山道を辿ると、その登山道の直ぐ脇にボルダーが現れる。

 高さも3m前後で僅かな薄被りの面も持っている。触ってみると、少しざらついていて、脆い感じがする。でも、一部堅い突起も残っているから、気合を入れれば十分に登れる範疇である。そんな気がした。

 それからは降りだからと、小生が先頭を歩く。

 しばらくなだらかな樹林帯を歩くと、程なく急な降りになってくる。使う筋肉が昨日とは違うから、また、仲間が後ろにいるから、結構良いペースで降り始める。どんどん降り始める。

 何時まで降っても傾斜は緩くはならない。展望も開けない。ただただ代わり映えのしないガリの走った段差の大きな道を降る。

 そんな中を下から登ってくる人と出会う。よくこの道を登ってくるものだ。それも決して若くは無い人達が。感心しながら降る。

 途中、30分位降ったところで、御座石だったかの名のある結構有名らしいそこそこ大きな岩が登山道の脇に現れる。当然休息をする。

 その石の被った面を仲間が早速登りはじめるから、急いでデジカメを取り出し、アングルを決めてデジカメを構える。しかし、ここでも仲間の挑戦は終わってしまう。仕方がないから、またまたリクエストを出す。もう一人の仲間が本庄庵は厳しいんだよとか囃し立てるものだから、結局は又ももう一度登ってくれる。

 その前に大きな集団を追い越したので、その集団が降りてくるまでに出発しようと仲間が言うから、大丈夫、あの集団はまだこないと小生が断言してしまう。で、声が聞こえてきたら出発しようと言うことになり、もう少しゆっくりする。

 歩き出したら、直ぐ近くに一人の人が休んでいた。あちゃー、あの会話、全部聞かれていたんだ。仲間が言う。誰もいないと思って交わしていた会話だから、相当にいいかげんなことを話していたから、確かに聞かれていたら恥ずかしかったのだが、どうせ二度と合うことは無い人だろうからと言うことにする。でも、あの人、クライマーだったらどうしよう。

 家族連れとすれ違う。その際に、あと一時間位ですかと聞くから、降りで1時間は掛かっていたから、1時間は無理だろうと話す。序に、ずっとこんな調子が続くから大変だと脅かしてしまう。でも、一応、山頂は天国のようなところだと付け加えておく。実際、この苦しい登りの後の山頂は別世界に感じても可笑しくは無い風景だから、決して嘘ではない。と思うのだが。仲間もジョシュアかと言ったくらいだし。

 途中で急激に植生が変わる。白樺が無くなり、一勢に岳樺に変わるのである。

 傾斜が無くなり、道が平らになる。やっと平らになった。そこで一服。

 歩き出すと再び急になる。しかし、路面もフラットに近くなり、少しは楽になってくる。

 と思っていたら、道が湿ったりぬかるんで滑りやすくなってくる。おまけに足は踏ん張れなくなりつつある。ちょっとした段差を降りたら、そのまま膝が崩れ落ちてひっくり返ってしまった。もう駄目だ。

 古い林道を横切る。もう直ぐだと喜んだら、まだ先は長いと言われてしまう。仕方がないもう一踏ん張りか。

 またも傾斜は急になる。もういいかげんにしてくれよ。本当にそう叫びながら降る。

 広い尾根を長めにトラバースした後に、その広い尾根をジグザグに降りだす。今度こそ林道は近いのか。でも、右側に見える大きな沢の床をまだ下である。

 やっと、やっと道が平らになり、廃屋が現れて林道に飛び出す。やっと着いた。でも、まだ林道が結構あるらしい。

 実は、小生の持参した地図は、インターネットから落としたものをインクジェットのプリンターで打ち出したものだったから、昨日の雨で濡れてしまい、完全に消えてしまっていたのだ。金曜日の夜にビニール袋を買う予定だったのをすっかり忘れてしまって荷物の防水をしてこなかったものだから、全ての荷物が濡れてしまったのである。よくも遭難しなかったものだ。

 林道で休んでいたら、オートバイが一台やって来て通り過ぎて行く。で、程なく引き返して行って、またまた引き返してくる。そして、我々の降って来た登山道方向に入って行く。しかし、登山道のところでまた引き返してくる。なにをやっているのだろうか。

 先に追い抜いた二人連れが降りてくる。そして、足取りも軽く、に見えたのだが、休むことなく我々を追い越して行く。抜かれた。

 それから少しして我々も歩き出す。道は平らだから、足は出る。それ程遅れずに仲間に付いて行く。

 途中、河原のボルダーなどを見物しながら、適当に歩く。だったのだと思うのだが。

 林道が大きくUターンする辺りで先行していた二人組に追い付き追い越す。やったー。

 林道から別れ、ドンドコ沢に掛けられた仮橋を渡って対岸に渡ると程なく青木鉱泉の宿である。今度こそ着いたぁー。何人かの登山者が休んでいた。多分2時頃か、やっと約8時間の行動は終わったのだ。

 荷を置き、水を飲んで、自動車に戻る。

 自動車で着替えをしていたら、バスがきた。昨日見たものとは違い、結構大きなバスだ。

 着替えを済ませ、再び本日分の駐車料金を払いに戻る。

 青木鉱泉の入浴料は千円だったので、そこでの入浴を諦め、結局仲間に運転してもらって何時もの武川の湯に向う。

 武川までは小武川沿いの林道を走り、武川村で20号に出ることにする。

 この林道は全てダートなのだが、結構手入れがされており、川遊びの人たちも結構入っている道である。武川村に近づいてから少し道がごちゃごちゃしたが、基本的には迷うことなく20号に合流した。

 3時頃だったと思うのだが、今回も明るいうちに温泉に到着する。

 相変わらず駐車場は混んでいる。敷地内の駐車場を一周し、結局道の反対側の第三駐車場に自動車を入れる。こっちも結構自動車が停まっていた。

 温泉の建物の中に入るなり仲間の一人と一緒にいきなりアイスを購入し、それを食べる。

 お風呂は混んでいても、洗い場だけは空きスペースがある。それがこの温泉の良いところである。早速頭と身体を洗う。

 何時もならその後サウナに入るのだが、今回だけはサウナはパスである。代わりに少し温めの源泉の湯船に入る。もうこれ以上は汗をかきたくは無いというのが心情である。

 その後はやはり温めの露天風呂に入り、再びのんびりする。最後は泡風呂で筋肉を解し上がることにした。

 仲間の一人はサンチェアーで涼んでおり、遅れていたので、ロビーでそれを待っている間に寝てしまった。後で聞くと、サンチェアーの仲間も寝てしまったらしい。

 またももう一人の仲間の運転で出発するが、20号が韮崎を越えた辺りで渋滞しだす。カーナビでは渋滞は無いはずなのだが。

 渋滞に入ってから間も無くの甲府の手前で、もうそろそろ6時近くだと言うことで、仲間が何時も気になっていたという中華料理屋に入ることにする。駐車場には殆ど自動車は停まってはいない。

 階段を登って2階の玄関の前に立っても、店が開いているのかどうかが分からない。仲間が扉を開けてやっているかどうか聞いてみたらOKだった。

 テレビで中国映画らしいものをやっている。しかし、漢字の字幕が出ている。変なの。

 メニューを見ると意外と安い。値段的にはOKである。

 三人三様の定食を頼む。因みにサラダにスープまで付いてきて600円からせいぜい千円までなのだ。

 店のおばさんがテレビの番組を日本語の番組に変えようかと言うから、そのままで良いといって、そのままカンフー映画を見る。その時、この映画は香港映画だから字幕が付いているのだと教えてくれる。なるほど。でも、字にすれば同じなのかなぁ。

 肝心の味である。で、味もOKである。今度は相棒と一緒に訪ねることにしようか。

 続けて仲間に運転をお願いして、走り出す。その後、甲府市内も少し渋滞はしていたが、程なく甲府昭和のインターに着いたので、中央道が小仏トンネルまで24km渋滞していたが、そのまま中央道に乗る。

 勝沼を過ぎた辺りで渋滞は20kmに縮まっている。

 三車線のうち、どこを走れば速いかを意識しながら走ると、談合坂までは確実に一番左が早かったようだが、その後はどこでもそんなには変わらなかったようだ。強いて言えば一番右かも知れない。

 小仏トンネルを抜けると一時渋滞は解消したが、元八王子辺りから再び渋滞が始まる。既に二車線になっているのだが、この渋滞は途中まではそれ程変わらないが料金所に近づくと完全に左車線が先行する。料金所を過ぎると殆ど渋滞は解消していた。

 途中石川のパーキングエリアに入る。そこそこ混んでいた。

 このパーキング、何となく以前と変わっているような気がする。ハンバーガー屋に牛丼屋が入っていた。

 首都高は相変わらず渋滞がある。電光掲示板に従ってレインボウブリッジを廻って船橋まで戻る。

 駅前着は10時頃だったと思うが、結構早く着くことが出来た。

 仲間曰く、マニュアル車の運転は疲れた足でのクラッチペダルの操作がきつかったらしい。小生だけでなく、若者にも今回の行程はそれなりにきつかったようだ。ほんの少しだけ安心する。

 まともなボルダリングはしなかったが、それなりに楽しい充実した山行となった。将に山行に相応しい行動であった。不十分な装備での、所謂無謀登山と言われてもしようの無い山行ではあったが、多分忘れられない山行の一つとなるであろう山行であった。若者二名に感謝しなければならない。

 ○○君、××君、本当に有難う。これに懲りずにまた連れてってね。


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作成年月日 平成16年 8月10日
作 成 者 本庄 章