ソウルでボルダリングその2
 仁寿峰(インスボン)のボルダーに行ってきました

2012年12月 2日記

 ソウル第3日目

 ホテルの隣の食堂で朝食。また昨日の小父さんと遇った。

 ソウル駅近くのホテルを10時頃出発。天気も良くなったので行く先は勿論仁寿峰である。

 ホテルのフロントでトソンサへの行き方を聞いてみたのだが、そのフロントの人は、トソンサもウイドンも知らなかった。でも、ネットで調べてくれ、ソウル駅から190番だか何番だかで、ウイドンまで行くバスがあると教えてくれたが、本数はあまりないとのことだった。スユでタクシーは捕まるか聞くと、大丈夫とのことだった。そこで、先ずソウルから地下鉄4号線でスユまで行き、そこからタクシーに乗ることにした。

 スユは、昨日の水落山に行く途中に通った駅だ。途中のソウル駅での乗り換えも上手くゆき、スユ駅で降りることが出来た。

 スユ駅の3番だか4番出口を出て、大通りに出ると、その大通りの出た側は自動車が2車線いっぱいに流れていた。その流れを見ていたら、結構タクシーが混じっていた。しかし、そんな混んでいる所でタクシーを停めてはと思い、少しその流れに沿って、キョロキョロしながら歩いて行くと、1台のタクシーが停まった。客は乗っていなかったので、「OK?」と聞いてみたらOKだということで乗せてくれた。乗ってから「ウイドン、トソンサ」というと、走り出した。

 道はやっぱり混んでいた。少し走って、確か左に曲がると、やっぱり広い道で、道路の案内標識に他の字とは違う色で「ウイドン」と書いてあるのが分かった。どうやら通じたようだった。

 途中、地下鉄の工事でもやっているような、道路いっぱいに鉄板を敷き、道路の半分を通行止めにした工事をやっていた。もしかすると、その内ウイドンまで地下鉄を通すのかも知れないと思った。

 暫くすると、その広い道から、少し細い道にやはり左折した。そろそろトソンサに向かっているのだろうか。少し走ると坂道になり、その道をどんどん登って行った。

 トソンサのロータリーに入り、停まった。料金は6,300ウォンだった。その時点の日本円だと約500円だ。ソウルからの電車賃が約100円だから、二人でなんと600円前後だ。日本だったら、タクシーの1メーターにも満たない。少々円が高い時期だとはいえ安すぎる。

 登山口の階段の横でクレーン車を使って立木を切っており、通行が止められていた。仕方がないからボケっと立っていたら、そこで交通整理をしていたお兄さんが、多分、何処に行くかと聞いてきたので、「ペグンデ」と答えた。すると、ちょっとまてというようなしぐさをした。そして、「ジャパニーズ?」と聞いてきた。やっぱり日本人の発音だったのだろう。

 ロータリーから、綺麗な広い石段を登ると、入山用のゲートがあった。しかし、最近、以前あった入山料は廃止されたらしく、そのゲートは柱だけだった。また、その脇の小屋は閉ざされており、人はいなかった。

、大きな石を敷き詰めた階段みたいな、両脇に綱を張り、その綱に多分立入禁止と書かれただろう札が下げられた、急な登山道を登って行った。

 暫く登るとコルのような所に出た。しかし、両脇の柵は無くならなかった。このまま両脇に柵が張られているようだったら、登山道から離れて、山に入って、ボルダリングなんか出来るのだろうか。少し心配になってきた。

 道は斜面をトラバースするようになり、斜面も幾らか傾斜が緩くなってきた。

 左手には建物が見え始めた。右手奥にはトイレも見え始めた。しかし、柵は無くならなかった。

 ボルダリングエリアは「インスサンジャン」という山小屋の周辺だ。多分この辺だろうと思ったので、その「インスサンジャン」を探しながら尚も登っていった。

 レンジャーの事務所みたいな建物が現れた。続いて、石に囲まれた小さなお寺みたいなものが現れた。間違いなくこの辺だ。しかし、まだ「インスサンジャン」は現れなかった。(注:帰国後、レンジャーの事務所みたいな建物は「北漢山警察山岳安全救助隊」、小さなお寺は「スドッ寺」だということが判明した。)

 尚も登ると、番号が振られたキャンプサイトが現れた。そういえばこの辺はキャンプ指定地であったことを思い出した。

 トポによると、「インスサンジャン」はお寺よりは下だ。ということは「インスサンジャン」は無くなってしまったのだろうか。

 暫く登ると、仁寿峰が真正面に見える視界の開けた場所に出た。時間は12時半頃だった。

 多分その先にはボルダーは無いだろうと、トポを頼りに登山道脇の炊事場らしいところまで下ることにした。

 それらしい所をいくら探しても炊事場らしい所が見つからなかった。仕方がないから、大きなスラブの向かって左側の一番高いところのボルダーらしいものを目がけて登って行った。トポでは8番9番10番の岩だ。

 岩が重なった所までたどり着き、9番10番らしい岩を調べたのだが、なんかしっくりこなかった。その裏の8番の岩は、直ぐ裏だというのにちょっと行きにくかったが、遠回りをして行ってみると、なんと顕著な縦ホールドにチョーク跡の残る、22番の課題が見つかった。また少し遠回りして先の9番10番ではと思った岩に戻ってみると、確かに9番。10番だった。

 途中、登山道で休んでいた相棒の所まで戻り、その近くの登山道脇の6番7番にいった。

 トポでは6番7番の前に炊事場があることになっているが、炊事場は無かった。しかし、トポには6番7番の岩の図は無いものの、7番の3つの課題の解説がそれらしいので間違いはないだろうということにした。

 岩の配置が大体分かったので、相棒を伴い、8番の岩に行った。

 8番の岩には課題は一つ。グレードはV4。小生のグレードではない。がしかし、結構見栄えが良い課題なので、記念撮影。

 少し遠回りして9番の岩へ。ここにはV0が3本。しかし、ラインは無視して適当に1本。

 次は10番。真ん中にV0が1本ある。縦フレークを使って上部のホールドを取りにいったが、その先、足、手が見つからずに敗退。これでV0なのだろうか。今度は少し左により、顕著な真ん中の縦フレークを使わずにリップを取り、何とか上に抜けた。まぁ、V0だったらこんなものだろう。

 登山道まで戻り、7番の岩。登山道に面した面の右のカンテはV2だ。見ると、何となくむつかしそう。でパス。で、左よりのフェースを登った。

 その左側のスラブ面はやっぱりV0。触ってみたら、足がツルツルで全く登れず。ノーハンドでも登れるらしいのだが、足が全く効かなかった。何しろ凄く寒かったのだ。恐らくソールがカチカチだったのだろう。多分。

 お寺のすぐ脇の大きな5番の岩に行ってみた。

 幅の広い垂壁にV1からV8まで、6本くらい課題がある。一番易しいV1はランジ課題だ。一番良いホールドを追うというV1/V2課題を触ってみた。離陸が出来なかった。何しろ足が全然効かないのだ。やっぱり寒すぎるのだ。ということにしておこう。

 その壁の右の1段上がった所の被った面にV0の課題がある。触ってみたら、左のカンテに良いホールドが有り、その上も何とかホールドが有りそうだったのだが、何しろ下地の半分が1m以上下の地面になってしまう崖なのだ。落ちたらその崖を落ちることになってしまう。ここは韓国だ。言葉も通じないし。救急車も呼べないし。まぁーそんな事を口実に写真用のポーズをとったのみで終りにした。

 次の11番の岩を探しに行く途中で、トポに写真も載っていた形の面白いカンテをもつ4番の岩が見つかった。トポを手に入れた時から触ってみたいと思っていた岩だ。

 意外と下地が悪かった。ホールドもざらついている感じで、心もとなかった。これも落ちられない。そう思ったので、この岩も記念写真の撮影に留めた。

 そのちょっと上の大きな11番の岩に行ってみた。真ん中に顕著な綺麗な縦ホールドを持った岩だ。そこはV4。未だVグレードとしては小生の未登のグレードだ。

 ホールドに手が届かず離陸できなかった。縦ホールドの下の方を背伸びしながら探ってみたら、一番下の部分が辛うじて摘めた。左手も何とかホールドが見つかった。こんなんで離陸が出来るのか。やってみたら、離陸出来た。そこからは暫く持てそうなホールドが続く。どうせ記念写真の延長だから、行ける所まで行ってみるか。そう思って、4手か5手位登ってみた。岩の半分くらいまで登れた。若しかして、とも思ったが、この上で落ちたら、この寒さだ、多分ただでは済まない可能性がある。ということで、そこから飛び下りた。結構衝撃を感じた。結構高くまで登っていたようだった。マットがあれば登れたかも。まぁそういうことにしておこう。

 隣の12番岩に行った。これもそんなに高くはないが大きな岩だ。

 インスボン側の面は僅かに寝た1枚のフェースになっている。そのフェースはどこでもV0らしい。

 降り口を探して見たが良い降り口が見つからなかった。壁の左に生えている気を使うしかない様だった。

 真ん中辺りを触ってみたら、やっぱり離陸が出来なかった。やっぱり足が効かないのだ。左の上方にフレークの張り付いた感じの面を触ってみた。今度は足を入念に探し、その足にチョークで印を付けやってみた。3足程登ることが出来た。右手で張り付いたフレークの縦ホールドが持てた。その上に張り付いた薄いフレークのホールドが持てた。後は適当にホールドが繋がった。上に抜けると、上にはピカピカのハンガーが撃たれていた。

 その壁の左の壁が結構面白い形をしていたし、左端が切れ落ちてはいるが易しそうだったので、登ってみた。木を使って降りる方が難しかった。かな?

 時間はまだ2時半頃だがやっぱり寒かった。足も使えないしと、既に戦闘意欲は殆ど無くなっていた。まだ幾つかの岩を回ってはいなかったのだが、既にお帰りモードになってしまっていた。

 そこから直ぐ上の15番岩のV5の課題を見に行ってみた。下が切れており、ほぼ直角のカンテが垂直に立ちあがっていた。

 その隣の16番岩のリップをトラバースする課題が易しそうだったので、やってみた。易しかったが、リップは結構ザラザラだった。

 その岩の脇の大きなスラブの面を見上げたら、大きく氷が張っているのが見えた。そういえば登山道の途中に青氷が張っていたのを思い出した。どおりで寒い訳だ。どおりで足が効かなかった訳だ。スラブが登れなかった訳だ。経験上、多分4度Cは下回っていたのだろう。2度か、もしかすると1度。いや0度。だったかもしれない。いずれにしても寒かった。

 お寺の横を抜け、キャンプ場を下ると、キャンプ場で整備らしい作業をしている人たちがいた。来たときはいなかったのだが。

 登山道を下りだすと、相棒が足が痛いと言い出した。で、凄く遅れだした。トソンサからウイドンまでは歩こうということになっていたので、果してタクシーが捕まるかどうか心配しながら降りてきた。そんなこんなで、結局トソンサに着いたのは4時近かった。

 ロータリー状の駐車場に着くと、タクシーが停まっていた。が、赤い表示が付いており、多分乗ることは出来なかった。(注:これは勘違いで空車表示だったので、多分乗れたのだろう。)駐車場に停まっていたもう一台のタクシーを見たら運転手はいなかった。

 ロータリーの真ん中辺に並んでいる人たちがいた。暫くすると、バスが上がってきた。お寺のシャトルバスの事をすっかり忘れていた。

 そのバスに乗り込む人達を見ていたら、地面に置かれた大きな箱にお札とか硬貨を入れて乗っている。そうか、お布施で乗るのか。真似をして、相棒が2,000ウォンを入れてバスに乗り込んだ。結局バスは4時20分頃に出発した。

 ウイドンでバスの発着場から広い通りまで出て、タクシーを拾おうと、少し歩きだした。小生はスユ方向に歩いている積りだったのだが、相棒は反対に歩いていると言い出した。で、どういう訳だか、いつの間にかスユまで歩こうということになっていた。そこで、途中に出てきたバス停で方向を確かめるべくバスの路線図を調べていたら、お兄さんがどこに行くかと聞いてくれた。スユだというと、このバスに乗れと教えてくれた。只スユの方向が知りたかったのだが、丁度そこにスユに行くらしいバスが来た。そしてそのお兄さんがそのバスに乗れと言った。で、何が何だかわからなかったが、相棒と2人でそのバスに乗り込んだ。相棒が幾らかとバスの運転手に聞くといらないということだったので、そのまま乗り込んだ。で、一番後ろに座っていたそのお兄さんの横に座った。

 そのお兄さんに相棒が幾らかと聞くと2300ウォンだかと言った。相棒がその額をお兄さんに渡すと、お兄さんがそのお金を運転手の隣の料金箱らしい所に入れに行ってくれた。

 そのお兄さんが、英語は話せるかと聞いてきたので、相棒が少しと答えたのだが、小生が分からないというと、スマホの翻訳ソフトを使って、最終の行き先はと日本語で書いたスマホの画面を示してきた。

 そんな中、相棒の隣の人が相棒に何処まで行くかと聞いてきたらしい。スユと答えると、その人もわざわざ運転席の方まで行き、あと8つ目だと教えてくれた。

 スユでバスを降りると、最初のお兄さんもスユで降り、地下鉄の駅まで案内してくれた。が、スユの街を少し歩きたいとの相棒の希望で、そのお兄さんとは地下鉄の入り口で分かれた。それにしても韓国には親切な人が多い事に驚いたのだった。

 スユを少し歩いた後、そのい日は南大門にいった。

 南大門は食料品が多いと聞いていたのだが、案内地図を見ると、登山用品街表示があった。(注:こちらはクライミング用品はあまり扱ってはいなかった。ディープな店はやはり東大門の方らしい。)地上に上がると、直ぐ前に登山用品やがあった。入ってみたがクライミングシューズはあまりなかった。店内を見回ると、カセットコンロ用のバーナーがあったので値段を聞いたら4万8千ウォンだかと言った。4千円近くだ。既に一つ持っていたので買うことはしなかった。

 参考にした地図には登山用品街と有るのだが、その店の近くには他にスポーツ用品やは無かった。なので、南大門を見に行こうと大きな道沿いに多分そうだろうと思われる方向に歩いて見たが、それらしい道にはぶつからなかった。

 地図の見方が違うのだろうか。地下鉄の駅近くに戻り、露店の小母さんにその地図を見せながら現在地を聞くと、地図の方向を90度間違っていたようだった。

 南大門に行くべく中央に露店の並んでいる道を歩いて行くと、広い通りに出た所に通訳のボランティアのお兄さんとお姉さんがいたので、日本語担当のお姉さんに南大門を聞くと突き当たった所の左側だと教えてくれた。そして、現在は修復工事中で白い覆いが歌舞されていると教えてくれた。どれくらい時間がかかるかと聞くと5分くらいと教えてくれた。序に登山用品街も教えてもらった。

 5分なら例え白い覆いが被されているとしても行ってみようと教えられた方向に歩いて行った。所が、なかなか突き当らなかった。途中少し道が曲がった所があったので、そこかもしれないと引き返すと、大きな白いのっぺらぼうの建物が現れた。よくよく見るとそれが南大門の工事用の覆いだった。教えてくれた言い方が理解できなかったのだった。

 夕食をと考えたのだが、なんだか面倒臭くなってしまったので、ホテルの横の既に2回行った食堂に行くことにした。

 東大門からはホテルへは地下鉄の1号線で乗り換えなしに行ける。ホームに降りて行き先を確認したら、何だか電車の進行方向があやふやになってきた。いままでも、なんかこの地下鉄の進行方向に何となく違和感を感じていたのだ。で、帰国後ネットで調べてみたら、ソウルの地下鉄ではこの1号線のみが日本と同じ左側通行であり、その他の路線は右側通行だったことが分かった。出発前に買った観光案内書を丁寧に調べ直したら、小さな文字のコメント欄に書いてあった。ったくもぅー。

 食堂で座っていると、同じツアーのご夫妻が現れた。お話をするのは初めてだったが、地下鉄に乗ったとか、バスに乗ったとか、今回のエピソードを色々と効かせてもらったりお話したりした。

 明日は帰国の日だ。お土産げをと近くの999ウォンショップに行ってみた。相棒がごま油を見つけ、それを何本か買い込んだ。

 宿に戻り帰国の支度を始めた。で、その時気がついた。ごま油はビンだ。割れたら大変だ。大急ぎで緩衝材を挟み、ポリ袋に入れ、周りに衣類等を詰め込んで支度を終えた。でも、少し心配ではあった。

 夜の外出は凄く寒かった。いや、その日はずっと寒かった。そんな1日だったようだ。

 ホテル出発は明朝の5時半である。早く寝なければ。


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作成年月日 平成24年12月 2日
最終改定日 平成24年12月11日
作 成 者 本庄 章