グレードはボルダリングの意識を変える

−密やかな有段者宣言−
2001年12月20日記
 先日小川山で「エイハブ船長」と言う日本のボルダーグレードの標準となる課題を登った。因みに1級である。

 この日本独特のボルダー課題のグレーデイングは、段/級式と呼ばれ、算盤グレードとか言われたりもするが、小川山の「エイハブ船長」、御岳の「忍者返し」をともに1級とし、それより難しい物を初段、二段というように段で表し、それよりやさしい物は2級、3級と級で表すと言うものである。その1級の標準となる課題を登ったと言う事である。

 もう一つの標準の課題である御岳の「忍者返し」は、もう3年程前から挑戦を繰り返し、最近になってやっと核心の一歩手前まで行くようになった。おまけに、この課題は最近、河原の課題の常として、これまでの何回かの沢の増水に因って下地が上がり、易しくなったと言われている。従って、最初の1級はこの課題でとばっかり思っていた。

 しかし、それよりは少し難しいかもしれない、しかも日帰りの難しい小川山にある、「エイハブ船長」が本気でトライを始めてからそう時間の経たない内に登れてしまったのである。これはまだまだ時間がかかりそうだと思っていた矢先に登れてしまったのである。これは、時期が12月の初めと言う、岩が乾き、フリクションが最高に効く時期であったからこその成果ではあろうが、なんにしろ登れたのである。

 所が次の週に、戯れに触った「虹の入江」という初段の課題が都合恐らく2日間、5〜6回のトライで登る事が出来てしまった。1級の喜びも束の間、すぐに有段者になってしまったのである。であるから、登った当初は本当に初段なのか疑心暗鬼になってしまった。

 この課題は、将にフリクション勝負、初登者も夏にはすごく難しくなると言っている課題である。12月の中旬、日中でも氷点下と言う状況の中で、ひたすらスローパーで耐えて身体を上げ、登った課題だから、この時期以外には小生には登れない課題であろう。そして、実際は、この時期はグレードがダウンする課題かも知れない。しかし、登ったのである。登れた時は仲間が見守っていてくれ、スローパーホールドを磨いてくれたり、岩の上でホールドの指示までしてくれたりと、そういう最高の条件で登ったのである。初段だという課題を登ったのである。

 そんな訳だから、登った当初は先の1級より喜びは少し薄かったのである。しかし、日が経つにつれ喜びが湧いて来た。何だかんだ言っても初段を登ったのだと。やっぱり1級の時よりも余計にニヤニヤしてしまうのである。

 以上は、少し長いが、前置きである。これからが本題である。

 先の1級を登ってからジムに行って、いつもの未だにできない課題をいくつかやったのだが、そして、相変わらずできなかったのだが、今迄と意識が違うのである。また、初段を登った後の小川山に於いても、それをより明確に意識したのである。

 今迄なら、自分の限界グレード付近の課題は、まただめか、とか、そのうちには絶対に、とか、なんとなく惰性でやっていながらも登らなければと言う強迫感を伴いつつ登っていたように思う。だが今は、やってりゃ出来るようになるは、とか、どうせ登れなくても、とか、なんかすごく余裕で遊べるようになったように思えるのである。そして、グレードなんか人それぞれだから、そんなにこだわる事はないのじゃないかとか、そんな風に考えられるようになってきたのである。

 「やってりゃそのうちグレードが付いてくる」と散々言われたような気がするこの言葉が、現実として感じられるようになって来たのである。まさに、余裕だと思う。やっぱりグレードがその余裕を与えるのだと思う。本当にそう思う。

 たかが初段、いまや五段の時代なのにと人は言うかもしれない。しかし、小生にとっては三段はおろか、二段ですら雲の上である。今でもそうである。つい先日まで、最終目標が初段だったのだから。なにしろ、もう相当に若くはないのだから。といいつつ、いつのまにか二段を目指す、そんな実力が付いてくることをほんのちょっぴり期待はしているが。

 今やもう最終目標を達成してしまったのだから、これからはグレードを追い求めるのでは無く、のんびりと自分の課題を攻める事にしよう。

 まずは小川山、ビクターのサブウェーだ。

 で、最後にここだけの話しだが、まぁ、小生の真の実力なんてそんなもんですよ。


戻る

作成年月日 平成13年12月20日
作 成 者 本庄 章