九州のボルダーを巡る旅が終わりました

2005年 1月12日記
 いよいよ平成16年12月22日の夜から始まった九州ボルダリング行も昨日でボルダリング本体を終わり、あとは帰るのみとなった。

 豊前おこしかけ道の駅で6時過ぎに目を覚ます。

 朝食の後、東京に向け走り出す。

 8時前に雪が降りだす。カーナビは近道を指示するが、雪が降っているから、そのまま国道10号を忠実にトレースする。

 北九州市に入ったのだが、益々雪が増えてくる。バイパスのような広い道で交通量も少ないから、既に道路は真っ白である。道路脇に突っ込んだ自動車も現れる。広い交差点の真ん中で立ち往生する自動車のいる。もうノーマルタイヤでは無理だと判断し、歩道に乗り上げて、チェーンを付ける。その時、左前のタイヤの空気が少し減っているのが気になったが、そのままチェーンを付けた。

 その先ちょっとした山様の所を越えて市内に入ると交通量が増えてくる。小倉の町に入ると、雪は相変わらず降ってはいるのだが、既に道路に雪は無い。チェーンを外そうと思ったのだが、外は雪だから、そのまま走り、関門トンネルの入り口の例のJチェーンの店まで頑張る事にする。

 この店の駐車場は幸い建物の下に作られていたから、雪がかかる心配は無い。少し狭いし暗くはあったが、雪に濡れることなくチェーンを外ことができた。

 ところが、チェーンを付けるときに心配した左前輪の空気が殆ど無くなっている。やっぱりパンクだったのか。しかし、正月早々からパンク修理をしてくれるところがあるだろうか。心配しながら、そのままJチェーンの店に入り、朝ご飯を兼ねた食事をする。

 このJチェーンの店のメニューの中で、鶏ごぼううどんが食べられずに気になっていたので、最後にそのメニューを食べることにしたのだった。

 うどんを食べながら、今まで使ったことの無いJAFを使ってみるかと、相棒の携帯を借りて店の外に出ると、それまで閉まっていた店の向かいのガソリンスタンドが営業を始めていた。そう言えばもう10時を回っていたようだ。もしやと電話を止め、そのままガソリンスタンドに行って、パンク修理をしてくれるか聞いてみたら、やってくれるという。

 やっと安心したので、最後のコーヒーをゆっくり飲んで、そのガソリンスタンドでパンク修理をしてもらった。

 その時、千葉からですかと聞かれたから、24日の日にここの「河頭山」に行ってから今まで九州内を旅行していたのだと答えたが、僅かに期待した返事は返っては来なかった。

 ところで、この河頭山の読み方なのだが、ローマ字では「GOTO」としか表示されていないから、「ゴウト」やまだと思っていたのだが、「ゴウトウ」やまらしい。だとすれば、「ゴウトヤマコウエン」との発音では通じなかったので、なんの反応も無かった可能性は有るかもしれない。

 そのまま、関門トンネルを潜り、下関に渡ったら、やっぱり下関と小郡との間の中国道は通行止めになっていた。

 来る途中のラジオで既に分かっていたことだから、そのまま国道2号線を走る。

 国道2号は山口南で山陽道とぶつかるから、山口南で山陽道に乗ることにする。

 山口南のインターに行くと、冬タイヤ規制だという。タイヤチェーンで良いかと聞くとそれでも良いというので、再びチェーンを付けて、高速道路に入ったら、路面に雪は全く無い。その中を30〜40km位でとことこ走ってみたのだが、あまりにも情けない。これなら今までのように一般道をノーマルタイヤで走った方が速い。途中に佐波川サービスエリアがあったので、そこによって徳山西からは規制が無いとの情報も仕入れ、その先の防府西で一般道に下りる。

 チェーンを外し、他の自動車と一緒に国道2号をノーマルタイヤで走ったのだが、途中ちょっとした山道にもなって来たから、雪が少し多くなって来て、スピードがガクンと落ちてしまい、ノロノロ運転になってしまった。

 途中コンビニで昼飯を買い込み、2時半過ぎにやっと徳山西インターから山陽道に乗り、順調に走り出すことが出来た。

 その先は心配した渋滞も無く、兵庫から大阪を抜ける。しかし、滋賀に差し掛かると、関が原が雪らしい。しかし、通行止めではないから、関が原だけは越えようと、低速作業車で先頭を固定しノロノロと走る関が原を越え、11時頃まで走って、上郷サービスエリアまで行った。

 翌朝は6時半頃目覚め、途中富士山の絶景を眺め、渋滞する首都高を抜けて、13時頃無事家に帰り着くことが出来た。

 またまた雪に見舞われた九州行ではあったが、また、10泊11日と言う長丁場ではあったが、大したトラブルも無く、無事戻ることが出来た。

 さて、次はどこ行こうかな。やっぱり○○かな。とすればやっぱりあそこかな。資料集めなければ。


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作成年月日 平成17年 1月12日
作 成 者 本庄 章